きのう展示したエリアの写真です。
昨日は今夏一番といっていい暑さ。
梅雨の欠片すら掻き消えた感じ。
早朝から
市民交流センターねひめ広場へ、
荷物を運びこんだ。
かなりの量になってしまったので、
ひとり黙々と行ったり来たり。
まだ涼しい時間なのに汗でじっとり。
開館時間前にようやくクーラーが入ったものの、
焼け石に水状態。
ビルの3階なので暑いのが上に上がってくるのだろうか。
とにかく暑い。
展示エリアを前に作業プロセスを酌んだ。
横12メートルを超すだけに、
あまり細かく考えても仕方がない。
会館の開場と同時に作業にかかった。
暫くして助っ人が3人。
市役所の担当者は若いが、
ほかの二人は私以上の高齢者。
しかし一人よりは作業が捗る。
年々仲間は老いて(?)いくなあと、
自分の年齢を忘れてクスリ。
終わったのはお昼の二時過ぎ。
もうくたくた。
途中メンバーが二人抜けたので、
市役所の担当者と並び、
成果を眺め酔った。
ひ孫と並ぶひいおじいさんの顔は
くしゃくしゃといった塩梅。
「お疲れさまでした」とひ孫。
その笑顔に疲れも吹っ飛んだ。
さあ「ふるさと川柳In加西公募作品展」の
始まりはじまり~~!
コロナのせいで4か月伸びたが、
これでようやく応募者の方へ、
責任を果たせると思い、
ハッピーハッピーである。
梅雨の欠片すら掻き消えた感じ。
早朝から
市民交流センターねひめ広場へ、
荷物を運びこんだ。
かなりの量になってしまったので、
ひとり黙々と行ったり来たり。
まだ涼しい時間なのに汗でじっとり。
開館時間前にようやくクーラーが入ったものの、
焼け石に水状態。
ビルの3階なので暑いのが上に上がってくるのだろうか。
とにかく暑い。
展示エリアを前に作業プロセスを酌んだ。
横12メートルを超すだけに、
あまり細かく考えても仕方がない。
会館の開場と同時に作業にかかった。
暫くして助っ人が3人。
市役所の担当者は若いが、
ほかの二人は私以上の高齢者。
しかし一人よりは作業が捗る。
年々仲間は老いて(?)いくなあと、
自分の年齢を忘れてクスリ。
終わったのはお昼の二時過ぎ。
もうくたくた。
途中メンバーが二人抜けたので、
市役所の担当者と並び、
成果を眺め酔った。
ひ孫と並ぶひいおじいさんの顔は
くしゃくしゃといった塩梅。
「お疲れさまでした」とひ孫。
その笑顔に疲れも吹っ飛んだ。
さあ「ふるさと川柳In加西公募作品展」の
始まりはじまり~~!
コロナのせいで4か月伸びたが、
これでようやく応募者の方へ、
責任を果たせると思い、
ハッピーハッピーである。
いよいよ
「ふるさと川柳IN加西」市民投票展示会です。
午前中に展示用意を終わり、
後は公開となります。
いま深夜二時半。
ぎりぎりまで準備にかかっています。
いま地元の昔話の紙芝居の仕上げです。
ここ数日
ほかのことは何も手が付けられません。
明日の一区切りで、
またほかのことを楽しむつもりです。
23日は孫が来る予定で、
プールの用意もしなきゃ。
考えるだけでハッピー気分にないますね。
さあ、明日は早く起きないと、
今夜は3時過ぎには寝るつもりです。
「ふるさと川柳IN加西」市民投票展示会です。
午前中に展示用意を終わり、
後は公開となります。
いま深夜二時半。
ぎりぎりまで準備にかかっています。
いま地元の昔話の紙芝居の仕上げです。
ここ数日
ほかのことは何も手が付けられません。
明日の一区切りで、
またほかのことを楽しむつもりです。
23日は孫が来る予定で、
プールの用意もしなきゃ。
考えるだけでハッピー気分にないますね。
さあ、明日は早く起きないと、
今夜は3時過ぎには寝るつもりです。
コロナがまた自粛解除以前の様相を呈してきた。
今のところ、20日からの展示はできそうだが、
その先が読めない。
隣のN市で感染者が出たらしい。
ヒタヒタとわが身に迫り来る気さえしてしまう。
こんな状況下で、
子供たちはどんな夢を抱くのだろうか。
ポジテブな夢であってほしい。
といっても、
夢を抱けないと悲観しないでほしい。
コロナなどの外的要因の影響を受けたわけではないが、
私は子供のころ、
大人になったら、こんな仕事をやるんだ!なんて、
これっぽっちも夢を見なかった。
級友たちが、
「将来は野球選手になります」「先生になりたい」
なんて言ってるのを横目に、
かなり覚めた心情で眺めていたものだ。
その後から今日に至るまで、考えてみても、
自分でこんな仕事をやってみたいなんて思ったことはない。
小学校ですでに眼鏡のお世話になりかけた私、
益々人見知りが激しくなってしまった。
成長する過程で進路を決める際は、
親や誰かに言われるがままに、
その仕事に就くという連続だった。
自主性がなかったというより、
そこまで考えが至らなかったに過ぎない。
夢を持てなかった私は、、
誰かの影響を受けるか指示に従う生き方だった。
しかし心配ご無用である。
そんな夢無し男も、
いっちょ前に一人前の調理人になり、
自慢できる家庭まで手中にできたのである。
夢など何かのきっかけごとに変えればいい。
選んだものに懸命に打ち込めば、
いい人生を得られると、
今は納得している。
たぶん、これからも夢見ることはないだろうな。
「
今のところ、20日からの展示はできそうだが、
その先が読めない。
隣のN市で感染者が出たらしい。
ヒタヒタとわが身に迫り来る気さえしてしまう。
こんな状況下で、
子供たちはどんな夢を抱くのだろうか。
ポジテブな夢であってほしい。
といっても、
夢を抱けないと悲観しないでほしい。
コロナなどの外的要因の影響を受けたわけではないが、
私は子供のころ、
大人になったら、こんな仕事をやるんだ!なんて、
これっぽっちも夢を見なかった。
級友たちが、
「将来は野球選手になります」「先生になりたい」
なんて言ってるのを横目に、
かなり覚めた心情で眺めていたものだ。
その後から今日に至るまで、考えてみても、
自分でこんな仕事をやってみたいなんて思ったことはない。
小学校ですでに眼鏡のお世話になりかけた私、
益々人見知りが激しくなってしまった。
成長する過程で進路を決める際は、
親や誰かに言われるがままに、
その仕事に就くという連続だった。
自主性がなかったというより、
そこまで考えが至らなかったに過ぎない。
夢を持てなかった私は、、
誰かの影響を受けるか指示に従う生き方だった。
しかし心配ご無用である。
そんな夢無し男も、
いっちょ前に一人前の調理人になり、
自慢できる家庭まで手中にできたのである。
夢など何かのきっかけごとに変えればいい。
選んだものに懸命に打ち込めば、
いい人生を得られると、
今は納得している。
たぶん、これからも夢見ることはないだろうな。
「
またぞろコロナが頭をもたげてきた。
また自分なりの自粛ライフに
入らなければならないのかも。
一人で時間を過ごすのは
得意(?)だから苦にならない。
小さい頃から、
ひとりぼっちだった。
人前で物が言えなくなるのが致命傷だった。
それでも仲間外れにならなかったのは、
遊びの輪の中、
いや輪の外にべったりくっ付いていたからだったなあ。
syべったり遊び合ったり出来なくても、
必ずその仲間たちにべったりくっ付いての、
傍観者を決め込んでいた。
いつも傍にある顔だから、
いつしか仲間の一人と勘違いして貰えたのだ。
割合優等生面していたのも好都合だった。
仲間と認められれば、
苛められることもないし、
自分流の生き方を通しても、
誰も文句を言わなかった。
別に考えがあってそうしたわけではないが、
自分を守る本能のなせるワザだったのかも知れない。
一種の処世術と言える。
それを大人になってからも生かし、
どんな会合でも、
顔を出して頬笑んで過ごしたものだ。
一人は大したことではないが、
紙芝居など実演できないのがきつい。
コロナを恨む日々となっている。
コロナのニュースを見て、
落ち込みながら見渡した先に、
あさがおが一輪。
今夏一番先である。
少し心が癒されたところでパチリ!
また自分なりの自粛ライフに
入らなければならないのかも。
一人で時間を過ごすのは
得意(?)だから苦にならない。
小さい頃から、
ひとりぼっちだった。
人前で物が言えなくなるのが致命傷だった。
それでも仲間外れにならなかったのは、
遊びの輪の中、
いや輪の外にべったりくっ付いていたからだったなあ。
syべったり遊び合ったり出来なくても、
必ずその仲間たちにべったりくっ付いての、
傍観者を決め込んでいた。
いつも傍にある顔だから、
いつしか仲間の一人と勘違いして貰えたのだ。
割合優等生面していたのも好都合だった。
仲間と認められれば、
苛められることもないし、
自分流の生き方を通しても、
誰も文句を言わなかった。
別に考えがあってそうしたわけではないが、
自分を守る本能のなせるワザだったのかも知れない。
一種の処世術と言える。
それを大人になってからも生かし、
どんな会合でも、
顔を出して頬笑んで過ごしたものだ。
一人は大したことではないが、
紙芝居など実演できないのがきつい。
コロナを恨む日々となっている。
コロナのニュースを見て、
落ち込みながら見渡した先に、
あさがおが一輪。
今夏一番先である。
少し心が癒されたところでパチリ!
子供が仕事で悩んでいる。
部署の責任者として、
数人のスタッフを使いこなせないらしい。
就職して1年半、
まだ新米、無理ないと思う。
まして私の子供ならなおさらかも。
誰も理解してくれないほど、
酷い人見知りな父親に似てしまったのだから。
私は克服するのに二十年はかかったと思う。
そのためにアマ劇団に参加したり、
いろんなグループへ飛び入り見学をやってみたり、
悪戦苦闘したが、
今は人並みに他人との交流をこなせるまでなっている。
幼馴染が私の顔を見るたびに言う。
「ホンマにお前あの根暗なガキんこやったなんて、奇跡やど」
そう私は大化けできたのだと思う。
だから、
子どもの悩みを見守っている。
自分で克服する日を迎えるのを。
私の子供なのだから、
何とかすると信じている。
5年後10年後が楽しみだ。
あっと、
そんなにかかったら、
私の寿命が尽きている恐れ大である。(ハハハハハ)
玄関先の吊り花壇に、
アオガエルが梅雨前から住みついているのをパチリ。
昨日やっとこさ終えた草刈りの跡をパチリ!です。
部署の責任者として、
数人のスタッフを使いこなせないらしい。
就職して1年半、
まだ新米、無理ないと思う。
まして私の子供ならなおさらかも。
誰も理解してくれないほど、
酷い人見知りな父親に似てしまったのだから。
私は克服するのに二十年はかかったと思う。
そのためにアマ劇団に参加したり、
いろんなグループへ飛び入り見学をやってみたり、
悪戦苦闘したが、
今は人並みに他人との交流をこなせるまでなっている。
幼馴染が私の顔を見るたびに言う。
「ホンマにお前あの根暗なガキんこやったなんて、奇跡やど」
そう私は大化けできたのだと思う。
だから、
子どもの悩みを見守っている。
自分で克服する日を迎えるのを。
私の子供なのだから、
何とかすると信じている。
5年後10年後が楽しみだ。
あっと、
そんなにかかったら、
私の寿命が尽きている恐れ大である。(ハハハハハ)
玄関先の吊り花壇に、
アオガエルが梅雨前から住みついているのをパチリ。
昨日やっとこさ終えた草刈りの跡をパチリ!です。
畑で柵の手なおしをしていると、
顔見知りのRさんが通りかかった。
幼馴染みで、やはりUターン組である。
珍しく声をかけてきた。
「精が出るのう」「若いもんが街に出てしもたからな」
「聞いたか。Sが死によったわ」「へぇ~」
どうやらその情報をしゃべりたくて立ち寄ったのだろう。
Sも幼馴染のひとり。
昔々は田舎なりに結構子供が多かった。
同級生で10人近くいたと思う。
といっても親しくしている相手はいない。
小さい頃からアウトドアっ子じゃなく、
インドアっこだったから、
友達はいなかった。
しかしSとは一度だけの因縁があった。
昔も今も私は穏やかで優しい男と通っている。
つまりはお人よしなのだが、
自慢じゃないが、昔も今も喧嘩はしなかった。
ただ例外がSとのけんか。
小学校5年生だった。
当時投下校は村の子供らが連れ立ってしていた。
その日の下校はなぜかSだけが連れだった。
なぜけんかになったか、
どちらが先に手を出したかは、覚えていない。
自然とはじまった喧嘩は、
鼻血が流れるほどの血闘(?)だった。
お昼時で周囲に誰もいなく、喧嘩は続いた。
そして終わった……と思う。
それぐらい喧嘩の記憶ははっきりしない。
だから買ったのか負けたのか定かではない。
あれ一度かなあ。
大人になってからも喧嘩沙汰は一切ない。
唯一のけんか相手の逝去を知らされ、
歳月が流れたのを実感した。
深夜零時。
家族の弁当のためにキッチンに立った。
フライパンでご飯を炊き、
茄子の揚げびたし、はさみ揚げ、肉詰めピーマンを作った。
茄子は飽きることはない。
いろんな料理が楽しめる。
顔見知りのRさんが通りかかった。
幼馴染みで、やはりUターン組である。
珍しく声をかけてきた。
「精が出るのう」「若いもんが街に出てしもたからな」
「聞いたか。Sが死によったわ」「へぇ~」
どうやらその情報をしゃべりたくて立ち寄ったのだろう。
Sも幼馴染のひとり。
昔々は田舎なりに結構子供が多かった。
同級生で10人近くいたと思う。
といっても親しくしている相手はいない。
小さい頃からアウトドアっ子じゃなく、
インドアっこだったから、
友達はいなかった。
しかしSとは一度だけの因縁があった。
昔も今も私は穏やかで優しい男と通っている。
つまりはお人よしなのだが、
自慢じゃないが、昔も今も喧嘩はしなかった。
ただ例外がSとのけんか。
小学校5年生だった。
当時投下校は村の子供らが連れ立ってしていた。
その日の下校はなぜかSだけが連れだった。
なぜけんかになったか、
どちらが先に手を出したかは、覚えていない。
自然とはじまった喧嘩は、
鼻血が流れるほどの血闘(?)だった。
お昼時で周囲に誰もいなく、喧嘩は続いた。
そして終わった……と思う。
それぐらい喧嘩の記憶ははっきりしない。
だから買ったのか負けたのか定かではない。
あれ一度かなあ。
大人になってからも喧嘩沙汰は一切ない。
唯一のけんか相手の逝去を知らされ、
歳月が流れたのを実感した。
深夜零時。
家族の弁当のためにキッチンに立った。
フライパンでご飯を炊き、
茄子の揚げびたし、はさみ揚げ、肉詰めピーマンを作った。
茄子は飽きることはない。
いろんな料理が楽しめる。
東京の小劇場シアターモリエールで
コロナのクラスターが!
ニュースを見て衝撃を覚えました。
若かりし頃芝居に没頭していた時に、
何度も東京の小劇場へ足を運びました。
下北沢、渋谷店…魂が打ち震えた日々。
闇に一筋の照明、ホコリと熱気、
ガンガンと迫る音響に雄たけび……。
確かに感染症には無防備な空間だったなあ。
何とか知恵と発想と行動を駆使して
現状を克服して小劇場ここにありと
頑張ってほしい。
いよいよ目の前に迫ってきた展示会。
確認作業で徹夜してしまいました。
「ふるさと川柳IN加西」優秀作品市民選考会。
コロナをひと時でも忘れて、
全国から集まった作品を鑑賞して、
清き一票をお願いします。
コロナのクラスターが!
ニュースを見て衝撃を覚えました。
若かりし頃芝居に没頭していた時に、
何度も東京の小劇場へ足を運びました。
下北沢、渋谷店…魂が打ち震えた日々。
闇に一筋の照明、ホコリと熱気、
ガンガンと迫る音響に雄たけび……。
確かに感染症には無防備な空間だったなあ。
何とか知恵と発想と行動を駆使して
現状を克服して小劇場ここにありと
頑張ってほしい。
いよいよ目の前に迫ってきた展示会。
確認作業で徹夜してしまいました。
「ふるさと川柳IN加西」優秀作品市民選考会。
コロナをひと時でも忘れて、
全国から集まった作品を鑑賞して、
清き一票をお願いします。
食事の用意に入って、
醤油が残り少ないのに気づいた。
濃い口も薄口も均等になくなっている。
半々にミックスして使うことが多いせいだ。
さっそくイオンモールへ出向いた。
この辺で愛用の醤油を商品棚に並べているのは、
モールの食品売り場。
求めるのは地元のT醤油。
1・8リットルペットボトルだが、
運が悪ければ、
濃い口は売れてしまってることが多い。
結構人気があるようだ。
考えてみれば、
子供のころ、
家に配達された醤油。
おふくろの味は、
この醤油が生み出す味だった。
実は5年前までは
格安醤油で間に合わせていたが、
売り場で懐かしいロゴのラベルを見つけて以来、
割高になるが買い続けている。
結構いい味をつけられるから、
止められない止まらない~~って感じに。
この間、
工場前の直販店舗へ立ち寄る機会があった。
ちいさな道の駅の雰囲気。
醤油ソフトを買ったが、
ほんのりした味わいが、
懐かしい記憶を呼んだ。
いま私は家庭の料理番。
作る料理の味は、
おふくろの味に近い。
家族の評判もいい。
それもこれも、
地場産醤油のなせるワザなのかも知れない。
私がキッチンに立つ限り、
T醤油は不滅の存在になったといってよかろう。
醤油が残り少ないのに気づいた。
濃い口も薄口も均等になくなっている。
半々にミックスして使うことが多いせいだ。
さっそくイオンモールへ出向いた。
この辺で愛用の醤油を商品棚に並べているのは、
モールの食品売り場。
求めるのは地元のT醤油。
1・8リットルペットボトルだが、
運が悪ければ、
濃い口は売れてしまってることが多い。
結構人気があるようだ。
考えてみれば、
子供のころ、
家に配達された醤油。
おふくろの味は、
この醤油が生み出す味だった。
実は5年前までは
格安醤油で間に合わせていたが、
売り場で懐かしいロゴのラベルを見つけて以来、
割高になるが買い続けている。
結構いい味をつけられるから、
止められない止まらない~~って感じに。
この間、
工場前の直販店舗へ立ち寄る機会があった。
ちいさな道の駅の雰囲気。
醤油ソフトを買ったが、
ほんのりした味わいが、
懐かしい記憶を呼んだ。
いま私は家庭の料理番。
作る料理の味は、
おふくろの味に近い。
家族の評判もいい。
それもこれも、
地場産醤油のなせるワザなのかも知れない。
私がキッチンに立つ限り、
T醤油は不滅の存在になったといってよかろう。
いい天気。
一昨日まで降り続けた雨で
水を吸い柔らかくなった地面。
それを厚く覆う雑草を
草刈り機で薙ぎ払う。
といっても、
草花とくっつくように生えた雑草は、
直に手を駆使して、
丁寧に引っこ抜くしかない。
「痛っ!」
思わずうなった。
しゃがみこんだとたん膝に痛みが走った。
コロナと同時に痛み出した膝。
それをだましだまし使っていたが、
もう限界なのかも。
93歳で亡くなった母は、
晩年痛む右足を伸ばしたまま、
這いずるように雑草を抜いていた姿を思い出す。
思わず顔が綻んだ。
雑草と格闘中の私。
まさに母そのままではないか。(笑)
一昨日まで降り続けた雨で
水を吸い柔らかくなった地面。
それを厚く覆う雑草を
草刈り機で薙ぎ払う。
といっても、
草花とくっつくように生えた雑草は、
直に手を駆使して、
丁寧に引っこ抜くしかない。
「痛っ!」
思わずうなった。
しゃがみこんだとたん膝に痛みが走った。
コロナと同時に痛み出した膝。
それをだましだまし使っていたが、
もう限界なのかも。
93歳で亡くなった母は、
晩年痛む右足を伸ばしたまま、
這いずるように雑草を抜いていた姿を思い出す。
思わず顔が綻んだ。
雑草と格闘中の私。
まさに母そのままではないか。(笑)