老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

老母親の想い、子の想い

2023-06-05 13:09:01 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1949 老母親の想い、子の想い 



.齢(よわい)を重ねるにつれ、土田光代さん(仮名86歳)は、息子との二人暮らし。
物忘れや家事の一つひとつを最後まで成し遂げることが怪しくなってきた
 
長男の不二雄さんは、
新幹線が停車するK市駅の近くにあるデパートに勤めているため、
日中は一人 家で過ごす。
数年前から認知症が進み、
息子宛てに電話がかかり、息子が家に居ても、「家には居ない」と受話器を手にしながら話している。
紳士服売場での仕事は時間通りに終えることができないため、
家路に着くのは21時を過ぎてしまうことも多い。

家のなかは静寂であり、老いた母親はもう寝床で眠りについていた。
キッチンに行き電気釜の蓋(ふた)を開けてみると、
手つかずのご飯が残されており、
夕食を食べていないことがわかる。

「長男がお腹を空かし、そろそろ帰って来るだろう」からと
光代さんは台所に立ち肉や人参、ジャガ芋を鍋に入れガスコンロにかけ火をつける。
思いとは裏腹に、鍋は真っ黒に焦げ、
その鍋はキッチン下の収納庫に置かれてあった。
その後も、味噌汁を温めようとして、
鍋を焦がすことがときどきあり、
家が燃えてはいないかと心配しながら仕事している・・・・。

また浴槽の湯はりをしようと、湯を入れ始めるが、
「お湯をだしていること」を忘れてしまい、
浴槽から溢れ、流れ出していることが週に1、2回ほどあった。

昨年までは便所での用足しを出来ていたが、
今年に入り便所での「用足の仕方」を忘れできなくなってきた。
紙パンツと尿とりパットを着けるようにした。
濡れたパットを枕下や敷布団の下に、紙おむつは箪笥のなかに隠したりした。
それを注意すると「私ではない」と哀しい声を上げて泣くこともあった。

同居している息子、娘や息子夫婦、娘夫婦たちは、
認知症を患っている親に対し、
「何もせずに“じっと”座って居て欲しい」と懇願する。

何もしないで居てくれることの方が子ども夫婦にしてみれば「助かる」のだが・・・・。
子どもから世話を受けるような身になっても、
老いた母親は「わが子を心配」し、

煮物や味噌汁を作ったり温めたり、
浴槽の湯をはったりするのである。

物忘れなど惚けていても「家族の役に立ちたい(誰かの役に立ちたい)」という気持ちを持っている
しかし、ガスコンロに鍋をかけたことや
浴槽にお湯を出していることを忘れてしまい、
反対に息子や息子嫁などに手を煩わせてしまう結果に陥ってしまう。

認知症の特徴の一つは、
鍋をかけたことや浴槽にお湯を張っていたことを忘れただけでなく、
忘れてしまった、そのことさえも忘れてしまうのである。
「出来ていた」ことが「出来なくなった」り、
ひどい物忘れにより生活に支障がでることで、
親子関係や家族関係のなかに葛藤や軋轢が生じてくる。

認知症になってしまった母に対し上手く対応できるのは難しく、
問い詰めたり怒ったりしてしまいがちである。

これが「他人の関係」ならば案外上手くいくけれども、
それはいくら「他人の関係」であっても、
認知症を抱えた人は、「命令」や「指示」、「怒ったり」するような介護者には寄りつかなくなり,
その人から離れて行ってしまい、
「家に帰る」と言って落ち着かなくなることさえある。

訪問介護サービスの一つに「生活援助」がある。
同居家族が居ると簡単に「生活援助」のサービスは利用できない。
(特例給付サービスで利用できる場合もある。ケアマネジャーに相談してみる)

同居家族の有無にかかわらずその家にヘルパーが来て、
認知症のお年寄りと一緒になって
調理や掃除、洗濯などの家事を行うサービスができたらどんなにいいか、と思う。

誰のための介護保険サービスなのか。

認知症があり、調理の手順や仕方を忘れてしまい「出来なくなった」けれど、
ヘルパー傍に居て手助けし一緒に行うことで、「出来ない」ことも「出来る」ようになることもある。
また「できる」「できない」のことだけに眼を奪われるのではなく
誰かと(ヘルパーと)一緒にかかわり、話したり、共同作業をすることで、
その人は、満足感や喜びを感じていくことで、
認知症のことを忘れ、穏かになり心までが落ち着く。