老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

老いに生かされてきた

2023-06-06 05:29:15 | 沁みる砂時計
1950 老いに生かされてきた


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白髪混じりの60才過ぎの女性が相談に訪れた。
自分の年齢も60才を越え体力的に限界です。

義母はリウマチを患い、歩くこともままならない。
“ボケ”もではじめ、夜間大きい声で独りしゃべりをしたり、
おむつを外し布団の上にオシッコをしたりなど、
隣の部屋にいても落ち着いて寝ることができないのです。

年老いた義母にとって“家”が一番いいとわかっていても・・・・、
これ以上女手一つで義母の面倒を看ていくのは困難です。
長い間義母の面倒を看てきて、いろいろと苦労もありましたが、
“義母に生かされてきた”という思いです。 

13年前に主人が亡くなり、ずっと義母との二人暮らしでした。
血の繋がりがない義母であっても、義母の存在は一つの心のはりになっていました。

自分の親は、(他人である)長男の嫁に世話になり、
自分は(他人である)夫の親の世話をしている。

自分の疲れがとれたら(老人保健施設から)義母を引き取り、
また面倒を看たいと思いますので、それまでお願いしたい」、
としみじみ話されました。