老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

帰る生家がない寂しさ

2023-06-11 13:35:34 | 阿呆者
1956 故郷の廃家



子どもの頃 自分が住んでいた故郷の家を思い出す

「故郷の廃家」 作詞 犬童球渓 作曲 ウィリアム・ヘイス(アメリカ)

幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば   咲く花 鳴く鳥 そよぐ風
門辺(かどべ)の小川の ささやきも   なれにし昔に 変らねど
あれたる我家(わがいえ)に   住む人絶えてなく

昔を語るか そよぐ風   昔をうつすか 澄める水
朝夕かたみに 手をとりて   遊びし友人(ともびと) いまいずこ
さびしき故郷や   さびしき我家や


十九の春 連絡船で津軽海峡を渡り 青森駅から急行列車に乗り仙台駅で降りた。
仙台駅前の交番で安宿の旅館を紹介してもらい
半年間その駅前旅館で3畳間の物置部屋に住み掃除をした後、福祉の大学に通った。
その後蒲団袋と段ボール箱一つタクシーに乗せ、同級生の貸家に転がり込んだ。

福祉学科を卒業し47年が経った。
老いたいま、故郷を棄てた自分に
イマサラ故郷に帰りたい、と思っても
故郷の生家と土地は人手に渡り
帰る家がない寂しさ。

老いたいま、故郷に帰り住みたいと思うも
それは叶わぬ願い。

恋しいやふるさと なつかしき父母(旅愁)
その父母はもういない 親不孝だった自分。



通った桂中学校の門柱だけ残った。校舎は取り壊された



子どもの頃よく歩いた昆布橋
蘭越町昆布からニセコ町(旧 狩太町)西富につながる橋 
国道5号線


当時通った中学校は廃校となり 取り壊され いまは無い
桂川の辺で炊事遠足をした(桂川は学校の裏側に流れていた)
メニューはカレーライスだったが
自分たちの悪友男グループはジンギスカン鍋にしたら 担任の先生に怒られた。

ジンギスカンは焼くだけだったので他のグループより 早く食べ終えてしまった。
暇だったので女子グループからカレーライスを催促したら、また 先生に怒られた。
いい思い出だった。

炊事遠足の写真を撮ろうと思い親父からカメラを借りた。
フイルムが絡み、心配になりカメラのお裏蓋を開けてしまった。
家に帰り親父に話したら また怒られた。
親父の大切な画像が入っていた、とお袋から後で聞き
本当に悪いことをしてしまった、と反省した。
あれから55年の月日が過ぎた。

その父母は いまはもういない。
43歳で腸閉塞(大腸癌)で他界した父、認知症とリウマチを患い急性肺炎で亡くなった母(郡山市にある南東北病院)
病室で父母を看取ることはできたことが最後の親孝行だった。