1957 何も混じっていない「ただ」の水が飲みたい
96歳の文乃婆さんが2週間ぶりに家に帰ってきた。
「家に帰り~たい」と叫んでいた。
ご主人の写真が飾られている仏壇の前にベッドを置き、起きあがるとご主人の顔を見える。
彼女の隣に息子の簡易ベッドが置かれていた。
最近、誤嚥性肺炎で入院したことから、病院ではトロミを混ぜた水を出されても口を閉じ、飲むことを拒否していた。
病室では、「ただ」の水(トロミが混じっていない水)が飲みたい、と訴えても駄目だった。
喉の渇きを感じ、冷たい水をどれほど飲みたかったか。
体力もかなり落ち、いつ心臓が止まってもおかしくない状態にある。
在宅酸素機器も置き、0.5の酸素を流している。
家族は、本人の願いを聴き、口から水やお粥ではないご飯を食べた。
口から食べると生命力がでてくる。
誤嚥性の防止や栄養バランスも大事だけれど、いまは「本人が欲している(望んでいいる)こと」を叶えてあげたい。
長男夫婦はそう思い、少しでも口から水を飲ませたり、好きな(缶詰の)ミカンを食べさせている。
退院した日には訪問看護師とヘルパーが同じ時間に訪れ
日常のケアや急変時の対応について細かい打ち合わせをした。
翌日には訪問診療の医師が訪れ、声をかけ聴診器を通し本人の状態を診てくれた。
14日間かもしれない。命はいつ途絶えるかわからない。
病院とは違い24時間、最期まで自宅で看取ることを家族は決心してくれたのは
「家で死にたい」、という老母の強いねがい。そのねがいを叶えてあげたい、ただそれだけであった。
呼吸が止まっても慌てず、訪問看護師やケアマネジャーに電話をかけてください、と何度も話をした。
5年前、ご主人を自宅で看取りをした経験があっても、長男嫁にとっては不安は大きい。
帰り際、「何かあったら夜中でも夜明け前であってもいいから、気兼ねなく電話をかけていいですよ」、と
ケアマネやヘルパーは長男夫婦に言葉をかけた。。
文乃さんはご主人とともに終戦後、3人の息子を育ててきた。
「いまの生活があるのは父母が必死に働いてきたお陰」、と長男は話す。
だから、最期まで親の面倒(介護)をするのは当然、妻(嫁)にだけ介護をまかせず
夜は自分が世話をする、といって老母が眠る隣の部屋で仮眠してきた(2年位続いている)。
家族が頑張っている姿をみると、こちらも頑張らねばと思い、ヘルパーや訪問看護師にも言葉をかける。
手までも痩せ細った文乃婆さんの手を握ると、弱い力であるけれども握り返してくれ、手のぬくもりが伝わってくる。
耳が遠くなり、話しかけても聞こえにくいので、A4サイズを半分にした画用紙に言葉を書いたものを文乃さんに見せ、
文乃さんと言葉のやりとりをする。
寝たきりの状態にあっても、彼女は懸命に生きておられる姿に、勇気づけられる。
文字は読めるし、声をだし聴こえる声で話す文乃さん。
そのときの笑顔がなんとも言えない。
1日、1時間、10分、1分でもいいから長男や孫、ひ孫に囲まれ、生きて欲しいと願うのは、みんなの思いである。
病室にはなかった風の流れや光、眼にする風景を感じている文乃さん。
小雨に濡れた花 冷たい水を浴び喜んでいる紫色の花(路端で)
96歳の文乃婆さんが2週間ぶりに家に帰ってきた。
「家に帰り~たい」と叫んでいた。
ご主人の写真が飾られている仏壇の前にベッドを置き、起きあがるとご主人の顔を見える。
彼女の隣に息子の簡易ベッドが置かれていた。
最近、誤嚥性肺炎で入院したことから、病院ではトロミを混ぜた水を出されても口を閉じ、飲むことを拒否していた。
病室では、「ただ」の水(トロミが混じっていない水)が飲みたい、と訴えても駄目だった。
喉の渇きを感じ、冷たい水をどれほど飲みたかったか。
体力もかなり落ち、いつ心臓が止まってもおかしくない状態にある。
在宅酸素機器も置き、0.5の酸素を流している。
家族は、本人の願いを聴き、口から水やお粥ではないご飯を食べた。
口から食べると生命力がでてくる。
誤嚥性の防止や栄養バランスも大事だけれど、いまは「本人が欲している(望んでいいる)こと」を叶えてあげたい。
長男夫婦はそう思い、少しでも口から水を飲ませたり、好きな(缶詰の)ミカンを食べさせている。
退院した日には訪問看護師とヘルパーが同じ時間に訪れ
日常のケアや急変時の対応について細かい打ち合わせをした。
翌日には訪問診療の医師が訪れ、声をかけ聴診器を通し本人の状態を診てくれた。
14日間かもしれない。命はいつ途絶えるかわからない。
病院とは違い24時間、最期まで自宅で看取ることを家族は決心してくれたのは
「家で死にたい」、という老母の強いねがい。そのねがいを叶えてあげたい、ただそれだけであった。
呼吸が止まっても慌てず、訪問看護師やケアマネジャーに電話をかけてください、と何度も話をした。
5年前、ご主人を自宅で看取りをした経験があっても、長男嫁にとっては不安は大きい。
帰り際、「何かあったら夜中でも夜明け前であってもいいから、気兼ねなく電話をかけていいですよ」、と
ケアマネやヘルパーは長男夫婦に言葉をかけた。。
文乃さんはご主人とともに終戦後、3人の息子を育ててきた。
「いまの生活があるのは父母が必死に働いてきたお陰」、と長男は話す。
だから、最期まで親の面倒(介護)をするのは当然、妻(嫁)にだけ介護をまかせず
夜は自分が世話をする、といって老母が眠る隣の部屋で仮眠してきた(2年位続いている)。
家族が頑張っている姿をみると、こちらも頑張らねばと思い、ヘルパーや訪問看護師にも言葉をかける。
手までも痩せ細った文乃婆さんの手を握ると、弱い力であるけれども握り返してくれ、手のぬくもりが伝わってくる。
耳が遠くなり、話しかけても聞こえにくいので、A4サイズを半分にした画用紙に言葉を書いたものを文乃さんに見せ、
文乃さんと言葉のやりとりをする。
寝たきりの状態にあっても、彼女は懸命に生きておられる姿に、勇気づけられる。
文字は読めるし、声をだし聴こえる声で話す文乃さん。
そのときの笑顔がなんとも言えない。
1日、1時間、10分、1分でもいいから長男や孫、ひ孫に囲まれ、生きて欲しいと願うのは、みんなの思いである。
病室にはなかった風の流れや光、眼にする風景を感じている文乃さん。