老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

介護殺人で救われた人がいた

2023-06-10 16:00:37 | 文学からみた介護
1955 ロストケア {2} 喪失の介護


路端に咲いていた花たち

離婚した羽田洋子(38歳)は生まれたばかりの颯太を連れ、
年金暮らしの母(71歳)が住む家に戻ってきた。
あれから6年が経ち、母は駅の階段から転げ落ち、腰と両足の骨を複雑骨折した。
それがきっかけで母は歩けなくなり寝たきりになり、いま思えばあれが(介護)地獄の始まりだった。

洋子は仕事の他に子育ての他に母の介護まで背負うことになった。
離婚したとき、乳飲み子を抱えた娘を受け入れてくれた母。
今度は私が寝たきりになった老母を受け入れる番だと思い、献身的に(介護を)尽くした。

認知症を患った母は、心を尽くして介護をしてくれている娘の名前も顔もわからなくなっていた。
認知症は母の人格そのものを変え、母が母でなくなっても、「家族だから、面倒をみなくてはいけない」。
そんな義務感だけが残り、空しさと疲労だけが残った。

母の介護が辛く、この介護地獄から抜け出したいと思いながら、
あとどれくらい(介護地獄が)続くのだろう?
いつまで耐えなければならないのか? 先の見えない介護。

老いて寝たきりになり認知症になり「生ける屍」になっても、
母は死なないなんて、こんなに絶望的なことはない!(『ロストケア』光文社文庫 45頁)
そんなふうに考えてしまう自分が心底嫌になった。

裁判の中で検事から質問されても、洋子は心のなかでは
母が毒殺された事実に対しても「くやしさ」も「無念」もなかった。
母の死をきっかけに、介護地獄から解放された。

洋子は、思った。
「母の死によって洋子が救われたのは間違いはない。
そして身も心も自由を失い、尊厳を剝ぎ取られたまま生きていた母にとっても、
やはり救いだったのではないだろうか」
(『ロストケア』光文社文庫 329頁)

42人の要介護老人を殺した斯波宗典は、
「殺すことで彼らと彼らの家族を救いました。僕がやっていたことは介護です。喪失の介護、
『ロスト・ケア』です」
(『ロストケア』光文社文庫 316頁)。

人を殺すことは許されるのか?

介護地獄であり、もう限界、特別養護老人ホームにお願いするしかない!、と老親を棄てた訳ではない。
それでも老いた実親や義父義母の介護を終え振り返ったとき、自分も生かされてきた、ことに
気づかされ、自身の老いの生き方や死に方を考えるきっかけになったことに感謝する家族もおられる。

孤独のなかで介護し続け、その愚痴やストレスのはけ口があるかないかで、気持ちの負担が違ってくる。
介護の重荷から解放されたわけではないけれど、話を聴いてくれる、相談に乗ってくれる人がいる、
それは家族だけでなく老いた人にとっても大きな心の支えとなる。