老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

家に帰りたい~

2023-06-08 23:34:45 | 沁みる砂時計
1953 家に帰りたい~


第2の故郷 筑波山(画像は本文とは関係ありません)


主治医から「食べない。点滴だけでは6分の1程度の栄養しかとれない。廃用性症候群もみられ老衰の状態にある」
長男は「明日にでも退院させて欲しい」、と訴えるも聞き入れてもらえず駄目だった。
今日にでも連れて家に連れて帰りたいくらいだ、という思いは強かった。

結局は来週の月曜日に退院となった。
個室で痩せた老母(96歳)と面談、缶詰のミカンを食べさせようと老母に寄り添う。
自宅の畳で逝かせたい、と願う息子。
本人も最期は自宅で死にたい、と願っている。
息子の呼びかけに応えようと、老母は一粒のミカンを口にした。

「12日に退院できるからね」
「あと三日だね」、とはっきりした言葉で話す。

それでも最後は病棟中に響きわたる声で「家に帰りたい~」と叫んでいた。

訪問診療、訪問看護、訪問介護(毎日、1日2回)、介護用ベッド。
訪問介護も家族のサービスに応じて対応する。
往診の医師を軸にしながら看取りの体制をとった。
24時間体制をとり、急変時は訪問看護を通し往診の医師が訪れることになった。

救急車を呼ばない、ことで確認した。

自宅での看取りは末期癌の人も含め、両手両足の指を超える。

どこで死にたいか
老母は「家で死にたい」、と主治医にもはっきりと主張されていた。



夢? 希望? 妄想?

2023-06-08 09:30:09 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1952 夢? 希望? 妄想?


私は植物に関しても全くの無知で、「美しい紫色の花に見惚れていました。あなたの名前を知らず大変申し訳ございません」。


にんげん、寝ているときは至福の時間(とき)。
いい夢見は余計に眠ったまま夢の世界に留まりたい。

老人の寿命も延び、おくやみ欄をみると90代の人が増えてきた。
今日の福島民報のおくやみ欄では106歳のお婆ちゃんもおられ大往生の人生。
最後まで元気だったのか、それとも介護を受けていたのか、おくやみ欄からではうかがい知れない。

自分はいつまで生きられるか、わからない。
長生きはしたいけれど、残された時間、何をしていくのか・・・・。

短編夢世界では、これからのデイサービスの在り方を数人の人と熱く語りあっていた。
これから老人は「冬の季節」を迎え、子どものように厚い政策は期待できない。
「介護は金がかかる」、と悪者のように扱われ、要介護老人もその家族も介護従事者も光が閉ざされたまま。

国民年金だけで暮らしている高齢者は、介護に使うお金があまりなく、どう支援したらよいかいい知恵が浮かんでこない。

夢のなかでは、介護に金がかかりすぎる、という前に、地域社会のなかにある資源を活用していく方法はあるのではないか。
少子化で、小学校、中学校は「使わない教室(空き教室)」がある。
また、年に総会の他数回しか使わない公民館やコミュニテイーセンター(集落会館)が地域ごとに数多くある。

小学校や中学校、コミュニテイーセンターなどを小規模デイサービスや介護予防教室に活用するなら
集落単位(小学校単位)ならば、高齢者はお互いに顔馴染み、会話も盛り上がる。
仕事を終えた元気な老人(高齢者)は、介護の初任者研修(昔のヘルパー2級)を取得する。
その費用は無料、市町村社協(社会福祉協議会)や介護事業所などが研修を担当。

元気な高齢者が小規模デイサービスやヘルパーに参加していく。
コミュニテイーセンターや公民館は調理室(ガスレンジ、キッチンなど)があり、
軽い認知症や要支援の人ならば元気な老人と一緒に調理をすることもできる。

夢のなかでの戯言で、それは理想だよ、と言われてしまいそうだが、夢を追い続けてみたくなった。

自分は70歳、何ができるのか、と逃げ腰になってしまう。

できるところから。
過去を振り返るより、前を振り向き、
まず地域の高齢者は何を欲し、何を求めているのか

「これがあったらいいな~」という気持ち、言葉を落穂拾いの行為を見倣い
そして誰かの手をお願いし、訪問介護でできなかったサービスの掘り起こしを
最後の仕事して「やってみよう」、と夢のなかで被害妄想のように大きくなっていた。

老人パワーをどう介護の世界に巻き込むか
自分も老人。
腕力や脚力、体力は子ども以下だけれど、智慧はまだ衰えない。

自分一人ではできない
どうにかして若い人を見つけ
同志を見つけるところから始まる。
いま、物忘れがある頭のなかで、被害妄想の夢を膨らましていくいる自分。

大風呂敷を広げてしまった

まだ十年の時間がある、まず、「やってみよう」


 
 「mother」の一場面