老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

死ぬまで生きるしかない

2023-06-07 05:23:59 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1951 高いクリームを買っても 皺(しわ)は伸びない


早朝散歩のとき 野生の鹿? に遭遇


まだケアプランを作成していない84歳の女性から、寂しくなると電話をかけてくる。
急ぎの用事はないのだが、なにかサービスを使いたいような感じで話すのだが、
翌日訪問すると、彼女は「まだサービスは使わなくても大丈夫。躰がしんどくなったからお願いするから」、と。

誰も彼女の家に訪れる人はいなく、その代わりに私に「来て」と誘惑する。

「死に物狂いで働いてきた、自分の幸せを考えずに生きてきた。養女を育ててきたが、優しい言葉もかけてくれない」。

「84歳になった。いつも玄関先の壁にかけてある鏡をチラ見するだけ。
手鏡で自分の顔を見たら、皺がたくさんあり、そして染みだらけ。
皺と染みの顔をみてビックリ。高いクリームを買って顔に塗っても皺は伸びない」。

左右の脚が痛く、その上坐骨神経痛がある。
車(軽自動車)を駐車している所まで歩くのも大変(自宅から50㍍先にある)。
そこまで休み休みしながら歩いていく。

16年間、自分の車のなかに巾着袋を置いている。
巾着袋のなかには運転免許証、健康保険証、実印、通帳用印鑑、預金通帳、マイナンバーカード、財布が入っている。

家を空けて歩くこともあり、貴重品は家に置くよりは車に置いた方が安心だ、と話す。

「それ、危ないよ、16年間盗まれなかった(車上荒らし、盗難)けれど、今日あるかもしれないよ」
「今日、車から巾着袋持ってきた方がいい」、と何度も念を押した。

運転免許証はあと1年半で有効期間が切れるので、それまで車を運転する。
「運転するのも大変」、と話す84歳の婆さん。
「車がないと通院や買い物ができない」
車の運転ができない同年代の婆さん友達から電話がかかり、遊びに来てね」、と誘われることもある。
交通事故が心配、本当に大丈夫かな・・・・・?

彼女は、「死ぬまで生きるしかない」、と話す。
本当にしばらくぶりの訪問者だったので、話は延々と続き、90分の雑談で、
彼女に対して、月1回ヘルパーが来て、買い物や掃除を使うよう約束をした
(安否苦確認もある、本当は週1回利用させたいのだが、彼女の気持ちを尊重し1回になった)
問題が起きてからでは遅い

ケアプランの作成の有無に関係なく(介護給付費は0円だけれども)、月に1回以上訪問することにした(自分のなかで)
また地域包括支援センターから、「それは入りすぎだよ。(高齢なケアマネジャーなのだから)躰無理しないほうがいい」、と苦言を頂くこともある。
(3年前に自分が申請し、要介護1の認定を受けている)

「躰がしんどく運転も億劫になったときは、日曜日でも夜でも電話してね」、と彼女にお願いする。

私の年齢(とし)はいくつ、と聞かれた
「70歳です」
「若いわね(嬉しい言葉です、妻は若いわね、と言ってくれません)」
「私が70のときは皺も染みなく、顔の肌はツヤツヤしていた(本当かいな?)」

「まだまだ躰が動くわね」、と激励されてしまった。