老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

409;上手な介護サービスの活用処方 第10話「認定調査の項目」⑧

2017-09-21 02:35:52 | 上手な介護サービスの活用処方

 上手な介護サービスの活用処方 第10話「認定調査の項目」⑧

2-7 口腔清潔(介助の方法)

1.介助されていない
2.一部介助
3.全介助

ここでいう「口腔清潔」とは、歯磨き等の一連の行為のことで、
「歯ブラシやうがい用の水を用意する」「歯磨き粉を歯ブラシにつける等の準備」「義歯をはずす」「うがいをする」等のことである


1.「口腔清潔」の介助が行われていない
2.一連の行為に部分的に介助が行われている場合をいう
・見守り等(「確認」「指示」「声かけ」)が行われている場合も含まれる
・歯みがき中の指示や見守り、磨き残しの確認が行われている場合を含む
・義歯の出し入れはできるが、義歯を磨く動作は介護者がおこなっている場合も含む

口腔清潔の一部介助は、上記の通り、介護者が歯ブラシや水を用意(準備)するだけで、「一部介助」になる

3.「口腔清潔」の全ての介助が行われている場合をいう
・本人が行った箇所を含めて、介護者がすべてやり直す場合も含む
・介護者が歯を磨いてあげ、口元までコップを運び、本人は口をすすいで吐き出す行為だけできる場合は、「全介助」になる


洗面所の誘導は含まない
口腔清潔のとき洗面所を汚した際の掃除は含まない
義歯にポリデント等使用している場合は、口腔清潔に含む

(介護者がポリデント液に義歯を浸すなどの行為は、一部介助になる)

口腔清潔(口腔ケア)は、最近でこそ介護施設やデイサービス等で重視されてはきているが、
食後の歯磨きをしていない事業所もある
食後の歯磨きをされているかどうか、サービス事業所のスタッフに尋ねることは大切
口腔清潔は誤嚥性肺炎予防になります
口腔清潔にされていないと、肛門よりも不潔な箇所かもしれません



408;金時?

2017-09-20 15:09:45 | 老いびとの聲

 金時?

金と時間が有る人
金は有るが時間が無い人
金は無いが時間が有る人
金も時間も無い人

私は最後の金も時間もない
この先いつかは
金は無いが時間は有るようになる
その時まで生命が有れば
有る時間を
楽しみ過ごして往きたい
知らない町を旅したい

407;上手な介護サービスの活用処方 第9話「認定調査の項目」⑦

2017-09-20 11:56:22 | 上手な介護サービスの活用処方
 上手な介護サービスの活用処方 第9話「認定調査の項目」⑦

暫くお休みでした
再開します
2-6 排便(介助の方法)

1.介助されていない
2.見守り等
3.一部介助
4.全介助

ここでいう「排便」とは、「排便動作(ズボン・パンツの上げ下げ、トイレ、排便器への排便)」「肛門の清拭」「トイレの水洗」「トイレやポータブルトイレ、排便器等の排便直後の掃除」
「オムツ、リハビリパンツの交換」
「ストーマ(人工肛門)袋の準備、交換、後始末」の一連の行為のことである

1.「排便」の介助が行われていない
2.「排便」の介助が行われていないが、「見守り等」が行われている場合をいう
・ここでいう見守り等とは、常時の付き添いの必要がある。「見守り」「確認」「指示」「声かけ」や
認知症高齢者等をトイレへ誘導するために必要な」「確認」「指示」「声かけ」等のことである

・トイレやポータブルトイレ、排便器等の排便後の掃除は一部介助になる
3.「排便」の一連の行為に部分的な介助が行われている場合をいう
4.「排便」の全てが行われている場合をいう

・トイレまでの移動介助は行われても、排便行為に介助はないときは、「1.介助されていない」になる
・週1回看護師が摘便を行うは、「4.全介助」をになる
・自分で「ストーマ(人工肛門)袋の準備、交換、後始末」まで行っている場合は、「1.介助されていない」になる。
・「ストーマ(人工肛門)袋の準備、後始末」を介護者していている場合は、「3.一部介助」になる

・ひとり暮らし高齢者や認知症高齢者のなかで、自分でトイレにて排便を行っているが、ズボンや下着に便が付着しているなどの場合は、「3.一部介助」になる

認知症があるため、排便のとき便を便器や壁、手などに付着し、便を拭き取りに苦労されていることなど、認定調査員に話されることが大切です。排せつ介助に手間がかかっている、苦労されていることを話されると
特記事項に記載される

406;{オシッコ考 ③}「放物線を描くオシッコ」

2017-09-20 03:40:16 | 排せつ考
南陸奥 いつもの散歩路

 {オシッコ考 ③}「放物線を描くオシッコ」

暗闇の一歩手前の夕陽
畦道で
小学生の子どもと立ち並び
放尿をしたことがあった
子どものオシッコは 勢いがよく放物線を描いていた
「元気があっていいなぁ~」と横眼で見ながら
私はオシッコをした
垂直線に近いような状態でオシッコが落ちてゆく
齢をとると「もう放物線を描けないのかな」と
立ちションをしながら侘しく夕陽を眺めていた

帰宅後手を洗った
蛇口の水も勢いがあった



405;再び歩くことへの挑戦 ⑦

2017-09-20 03:31:07 | 老いの光影
 再び歩くことへの挑戦 ⑦
旧題名「寝たきり状態」からの挑戦


昨日の午後 秋桜デイサービスで
リビングからトイレまで(距離にして5,6m位かな
清子さんは 両脇スタッフに脇の下を支えられ
トイレまで歩いて行った
まだ足の運びは心もとなく
自分で歩いている、という感じではなかったが
本人は(歩けて)嬉しかった

一度理学療法士に来て頂き
アドバイスをもらわなければと思った

404;再び歩くことへの挑戦 ⑥

2017-09-19 18:27:58 | 老いの光影
秋桜デイサービス用にオーダーで作製した浴槽台
浴槽台と浴槽の高さが同じ
お尻を移動させて入ることができる
勿論浴槽の周囲には手すりは設置されている

 再び歩くことへの挑戦 ⑥
旧題名「寝たきり状態」からの挑戦


9月18日から毎日のご利用となる堀川清子さん
心配していた台風18号も通り過ぎ 送迎時の雨もなく一安心
秋桜デイサービスで排便ができ 朝から絶好調
家庭用浴槽にも入ることができ これまた最高
立ち上がり、つかまり立ちは介助を受けるものの
自分の足で 自分の力で できるようになってきた
90歳を過ぎ 寝たきりになったとき
「(自分は)もうお終いだと思ってしまった」
「でも、こうして前向きになれたのはうれしい」
と話される彼女

民家を活用した小規模デイサービスの長所と短所

介護施設や定員30名規模のデイサービスと違い
民家を活用したデイサービスの浴室は
浴室の出入りは段差があり、狭い
(秋桜デイサービスの浴室は1坪半の広さ)
床から浴槽の淵までの高さは40㎝あるが
同じ高さの浴槽椅子と手すりを設置すれば
坐りながら浴槽の出入りが容易にできる
浴槽内や浴槽台で坐ったり立ち上がったり、つかまり立ちしたりなど
入浴しながら基本動作の訓練がしっかりできるところが
元気になる素である
浴室の出入り口は12㎝の段差があり、足元が滑り転倒のリスクはある
その分本人も介護スタッフも緊張と神経を使うという欠点もある
秋桜デイサービスの浴槽で入ることができれば
自宅の浴槽も条件は同じであり
家族の介護負担も重くはなく容易に入浴ができるようになる

清子さんの場合、まだ独歩はできていないが
立ち上がったりつかまり立ちしたり、座位保持ができることで
一般家庭の浴槽に入ることができる

もしこれが介護施設や30名規模ぼデイサービスならば
《歩けないということで》
車いすで浴室まで移動し
リフト浴や車いすに坐ったままで入浴できる浴槽がある
リフト浴は、電動で昇降しながら浴槽に入る
介護者の介護負担軽減や利用者も容易かつ安全に入浴できる
しかし、
利用者は常に受身の立場にあり
立ち上がりやつかまり立ちなどの動作はなく
一連の入浴動作がないことにある
それだけでなく大切なことは、家庭用普通浴は
個人の意思で浴槽の出る時間を決めることができることだ
入浴の主体は利用者にある

リフト浴などの場合
リフト昇降の操作は介護スタッフが握っており
本人がまだ浴槽に入っていたい、と思っても
主体は介護スタッフにある

歩けなくても坐ることができれば
家庭用普通浴槽に入ることができる
そのことをわかって頂けたと思います

403;秋桜デイサービスの全景

2017-09-19 05:07:29 | 老いの光影
秋桜デイサービスの全景
室内はおいおい紹介していきます
今年の2月にオープン
1階がデイサービス
(定員10名、介護スタッフ4名、生活相談員2名;内1名は非常勤)
(ようやく収支トントンになったところ)
2階は余が介護相談の事務所として利用している
段差だらけの小規模デイサービス
階段(段差)があることで
昇降訓練が知らぬ間にできる
車いすの上がり降りはスロープで十分
(写真からスロープがみえる)
手前が南向きで陽当たりは抜群

402;{オシッコ考 ②}「尿蛋白」

2017-09-19 00:38:55 | 排せつ考
秋桜デイサービスセンターの庭に咲いていた

 尿蛋白が出たら、将来は人工透析か?

馬鹿な男の話
42歳の頃 厄年であることも忘れ
人生を謳歌していた
2年以上も仕事を休まず
朝早くから夜遅くまで仕事をしていた
当時は仕事を3つ抱え
本業は8:30~17:30まで介護施設で仕事①
18:30~22:00頃まで
隣りの市で特別養護老人ホーム申請書類の作成を手伝っていた②
毎週木曜日が休みだったので
東京にある医療福祉専門学校で
非常勤講師で3科目を受け持っていた③
その後もなんやかんや介護の仕事をしていて
いつも帰宅したのは0時過ぎであった
朝は6時過ぎには起き、朝食をとり7時前には施設に向かう
通勤時間車で40分


それでちょっと暇ができ病院受診をしたら
内科医から
尿蛋白があるね。慢性腎不全だな
で原因不明で、この先は治らない病気
現状維持がベストで、クレアチニン、尿素窒素の数値を悪化させないことだ
最終的には人工透析になることは覚悟していた方がよい
この後栄養士と会って、食事についてアドバイスを受けなさい。


ザル水みたいな腎臓で
腎臓機能の働きが低下し老廃物が上手に処理できていない
慢性腎不全症の診断を受けた
貧血になり、階段を昇ることも大変になり足が上がらない
38.0の高熱になり、それが長引くと
一挙に人工透析になるといった塩梅で
人工透析患者予備軍であり、透析とは隣り合わせにあった

このときほど オシッコするたび
オシッコを恨めしく思ったものだった

慢性腎不全症の治療は14年余り続き
服薬、食事療法を行ってきた


尿蛋白=人工透析ということにはならないが
治療が必要
慢性腎不全症は自覚症状がないだけに
40歳を過ぎたら生活習慣病の診断を受けることが肝要




401;{オシッコ考 ①}「オシッコが出る」のは、当たり前

2017-09-18 15:28:51 | 排せつ考
 「オシッコが出る」のは、当たり前

手足が不自由になり
トイレに行くことも
一人ではままならぬ
洋式便器の前に立っても
ズボン、下着の上げ下げも
(人様の)やっかいになってしまう
嫁や他人のお世話ともなれば
お茶など水分を控えてしまい
トイレに行く回数を極力減らす
(結果 脱水症となり救急車で病院搬送)
水分を十分にとり
オシッコが出ることは
自然の摂理なのだ
オシッコが出ないと大変なことになる

それが介護になると
「またオシッコでたの!」
「さっき行ったばかりでしょ」
(さっき取り換えたばかりでしょ)
と、つい口から言葉が漏れてしまう

人間 水を飲んだ分(量)だけ
オシッコも同じ量が出る
だからオッシコが出るのは当たり前

人間 
水を飲まなくなり
オシッコもでなくなると
臨終が近い


400;感謝

2017-09-18 10:38:34 | 老いびとの聲
来月22日で109歳を迎える安達サタさん
いまも歩行器につかまり歩いている

感謝 

『桜梅桃李』から引き継ぎ『春夏秋冬/老い楽の詩』は
今回で400回を迎えた
皆様のお蔭で継続することができました
ありがとうございます


いまこうして自分が
生きていること
そして
体と頭が働く(機能する)限り
小さなことでもいいから
社会とのかかわりを持てることに
感謝し生きる

慢性腎不全を患わってからは
蛋白やカロリー制限のため
胃袋が小さくなり食べる量も減ってきた
wifeの祖母 安達サタさんを見倣い
腹八分ではなく腹七分と「少欲知足」の暮らしが大切と話されていた




399;早朝から鈴虫の鳴き声

2017-09-18 08:00:14 | 春夏秋冬
 早朝から鈴虫の鳴き声

窪地に雨水が溜まっている
雨は止んだ
外は薄明りになり
風の鳴き声とともに
鈴虫が鳴いている

台風18号は走り抜けた
幼児も老人も
送迎車を安心して
待つことが出来る
 

398;認知症老人と存在論 ⑤

2017-09-18 04:57:30 | 文学からみた介護
 認知症老人と存在論 ⑤
~ハイデガーの哲学から考える~


(4)「ある」ということばの意味
 
「ある」ということばを、『類語新辞典』(大野晋・浜西正人著、角川文庫)を紐解いてみると、
「有無」という箇所に当たり、[ありーそこに物があること]として、「有る」「在る」「居る」「存する」が列挙されている。
「有る」「在る」「居る」の存在は日常語として使われ、
「存する」の存在は文章語として使われている。

いまここに自分が「在る」ということは、
いまこうして自分が「生きている」ことであり、
いま生きているとは自分の「居る場所」(居場所)が「在る」のかということに連なる。

ハイデガーは「ある」ということばは、
漠然とした理解ではなく、存在論の中心的な問題であり、
「自分の存在をどう理解するかは、自分がどう存在していくかと深く関わっており、自分の生きかたそのものを決定して」いくことである(31頁)。

自分自身の存在が大事であるということ、
それは自分の生きかた、
自分の人生そのものを大切にしていきたいと思い願っている。

それは自分だけでなく、
他者に対しても同じ人間として「自分自身の存在や人生、家族そのものの存在」も同様に大事なのである。
老人介護において、
ひとりの人間としての「老人の存在が大事」であり、
「存在をよりよく理解」しようと努力しているかである。
老人は、私たちに「ある」ということばの意味と理解について問題提起されていることを忘れてはならない。


※最後までお読みいただきありがとうございました。

397;青い屋根の家

2017-09-17 20:45:42 | 老いびとの聲
青い屋根の家 

いま県境を台風18が通り過ぎているところなのか
尿意で眼が覚め時計をみたら2時36分
それにしても
それぞれの話は繋がりがない
ホラー的な夢を見てしまった
金縛りでも遭ってはと思い
体を右側に向け違う夢に切り替えた
山下清風の男
それは私だったのか
放浪の旅をしていた
見知らぬ地に辿り着き
青い屋根の家があった
そこには認知症老人と障害者が
助け合い棲んでいた

396;そんなたわいもないダラダラとした日曜日を過ごしてしまった

2017-09-17 19:43:00 | 老いびとの聲
夕暮れ時の阿武隈川{写真左上の小路は散歩路}

そんなたわいもないダラダラとした日曜日を過ごしてしまった

台風18号の理由にしてはいけないのだが
疲労が溜まっているのか
心身ともにスッキリせず
台風来襲前日の日曜日
午前中は那須アウトレットで
敬老の日にちなみ
じいさんばあさん達へのプレゼント購入
昼食は滋味菜館で中華料理を頂き
午後はチョッと長めの昼寝
15以降は起き出し
昨日録画した『そして父になる』を観賞
夕方小雨より振りだした雨のなか beagle・gennkiと散歩
そんなたわいもないダラダラとした日曜日を過ごしてしまった


鏡風景のなかに吸い込まれ
別の世界で生きていくとしたら
違う人生になるだろうか

ふと、そんな妄想を抱いてしまった

395;認知症老人と存在論 ④

2017-09-17 11:53:08 | 老いの光影
 認知症老人と存在論 ④
~ハイデガーの哲学から考える~


(3)「存在の意味」と認知症老人 {続き}

偉大な哲学者ハイデガーは強調する。
「存在の意味は自分の問題だ」と言う前に、「自分」がいる、自分の存在がある。
そして、「存在の意味」ということばがある(25頁)。
人生の深刻な問題や認知症老人のケアに関わり、思い悩み戸惑うとき、生きていくことや老いていくことの意味を考えさせられる。

四肢が拘縮し寝返りもできず、重度の認知症になり「生きる屍」のような状態に置かれた介護施設の風景を眼にしたとき、何を思い、何を感じるか。

死を目前にした老人の「存在とはなにか」、介護している側に身をおいて置いている「自分とはなにか」、生きること、老いることの「意味とはなにか」をもっともっと知る必要がある。

現実にある具体的な介護の実態や老人の声無き姿を通し、「存在」「自分」「意味」ということを哲学的に抽象的に思索してみることも大切だ。

自分自身との内なる対話をもつ訓練を積み重ねることにより、あること(認知症老人)がわかってくるのである。

ハイデガーは、「意味の問題は、ことばの問題であり、生活体験である」と指摘している(26~27頁)。
意味がわかるというのは、「ああ、そうであったのか」という納得の体験であり、この体験をもとに生きていけるということである(26頁)。
言葉の意味がわかるということは、言葉を使ってコミュニケーションができることである(26頁)。

「ことばの意味をわかるとは、それを生活のなかで体験すること」であり、「意味の体験が深まり拡がる」。
最初は意味不明、意味難解であった認知症老人のことばは、介護実践のなかでともに生活を体験し、ひとりの老人の生きて来た生活史を把握、理解を深めていくことにより、ことばの意味がわかるのである。

認知症老人の呟き、行動から不安や葛藤、苦悩、痛みなどをについて、知ろうという「自分の存在の在り様」が問われてくる。