老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

809;親父の命日

2018-07-10 07:47:32 | 空蝉
空を見上げる 想いは故郷の空に繋がる

 親父の命日

48年前の7月10日、
親父は
あの世に逝った。
43歳だった。
当時自分は17歳。
親父の分まで生きよう
とその時思ったが、
自分の分さえも
生きてこれなかった自分。

いまなら助かった親父の病気 大腸癌。
息を引き取る寸前
親父は自分の手を握りしめた
その力は何であったのか

親父を偲ぶと
昭和の時代を思い出す
親父と生活した生家は無く
帰る故郷も無いが
故郷の風景は忘れぬ




808;当たり外れ

2018-07-09 20:59:07 | 阿呆者
 当たり外れ


夏の果実の王様は
西瓜哉
西瓜は包丁で切るまでわからない。
「当たり外れ」なのかどうか。
当たれば甘い西瓜。
そんなことを呟いたら、
脇で聞いていた90歳の婆さんは、
結婚も同じく、「当たり外れ」がある。
生きているときは「外れ」と思っていたが、
旦那が亡くなってみると「当たり」だったかな
と、思い直した。

807;水を飲んだときは・・・・

2018-07-09 12:42:30 | 老いの光影 第2章
 水を飲んだときは・・・・

他人の痛みや喉の渇きは
わからない

本当は
自分が水を飲む前に
他者に水を与えて欲しい、と願うが
現実はそうではない

デイサービスや介護施設のケアスタッフに
よく話をする

夏は暑い
喉が乾いたら
冷たい水を飲むのはかまわない
自分が水を飲んだとき
喉が渇いても
水を飲むことを知らない、できない認知症老人のことを気遣って欲しい
冷たい水は
他者も欲していることに
気づいて欲しい

水は生命
水は乾いた喉だけでなく
気持ちまで潤わせてくれる

806;「介護思想」(3)感情が丸裸になる

2018-07-09 03:25:27 | 介護の深淵


 「介護思想」(3)感情が丸裸になる

認知症を患った老人の姿から感じることは、
その人の性格がそのまま反映されてくる。
やさしく、穏やかな性格の人は、
認知症になっても穏やかな性格であり、
きつい人は、そのままきつい性格となって表れて来る。

隣近所や職場など社会の中での他者とのつきあいは、
嫌な相手にお会いしても、笑顔で挨拶や言葉を交わしたりする。
そうしければ人間関係を保つことはできない。
ときには自分の感情を素直に出したり、或は感情を抑えたりして、
感情をコントロールできる。
認知症になると、感情はそのまま素直に出現する。
長年培ってきたその人の性格や生活歴が、実際の生活場面に反映してくる。
この先自分も認知症にならないとは限らない。
穏やかな認知症老人になり、介護者から好かれたいと思っているが・・・。

認知症とは直接的に関係はないが
死顔も同じ。
この世に悔いや恨みつらみもなく穏やかに死ねると、
死顔も眠ったように穏やかに死顔になる。
そんな顔して死ねるかどうかは、現世の生き方による。

認知症を患ってしまうと、認知面や理解力、判断力が落ちてゆく。
言葉を忘れたり、言葉そのものの意味がわからなくなったりするが、

感情は失わずに残っている。
認知症を患っている人は、すべてを失っている訳ではない。
怒ったりする人、指示や命令をする人、叩く人などは傍に近寄っていかない。
やさしい人、穏やかな人、話を聴いてくれる人には寄っていく。
バタバタしていてせっかちな人は、落ち着かず不安になり椅子から立ち上がったりして不穏になってしまう。

認知症老人が不穏になったり、怖い人から離れていくのは、
かかわり方の良し悪しに因る。


805;組み合わせ

2018-07-08 17:27:46 | 阿呆者
 組み合わせ

人生において、
組み合わせは
気になる。
その組み合わせが、
マッチしているのか、いないのかは、
世間の判断に依るのであろうか。

自分は、
かりんとうにお茶
あんぱんに牛乳
キャラメルコーンにコカ・コーラ
の組み合わせがマッチしている。


さくらデイサービスの老人は
かっぱえびせんとかりんとうが大好物
おやつのとき
我先にと手が伸びてしまっている。

804;「介護思想」 (2)“思う”と“想う”

2018-07-08 09:27:00 | 介護の深淵

 「介護思想」 (2)“思う”と“想う”

人間は自分の立場から、物事を考えがちである。
そうならないよう、多くの本を読んだりするが、それだけでは十分ではない。
他者の話を聴いたり、いろんな体験や経験を積む。
各地を回り見聞を広める。
そうした行動のなかで、自分の考えが肉付けされていく。

しかし、思うようにいかないのが人生。
自分はあと一月足らずで齢66歳を嵩ねてしまう。
人生残り少なったところで、俺の人生を振り返り、
「本当に生きてきた」と実感できるようなものがなく、
今更ながらにして焦りと後悔を感じたところで、後の祭りである。
違う生き方があったのではないか、
そう感じても仕方のないことである。
中学生のときに変えられなかった弱い性格は、
老いた現在(いま)も引き摺り、
物事に対する捉え方も狭隘であり偏狭である。
「自己思想」がなっていない。

思想 という言葉
仏教思想 キリスト思想 東洋思想 西洋思想などと書くと
思想という言葉自体が、難しくなってくる。
思想 という漢字を「思」と「想」に分けてみる。
どちらも「おもう」と読める。
「思う」は、自分に対する思いであり、自分の気持ちや考えを表す。
もう一つの「想う」は、相手に対する「おもい」やりである。
「想」の漢字を解すと、「相」と「心」になる。
それは相手の心をどう思い遣るのか、という意味が含まれる。
自分の立場から相手をどう思い遣り、
「想い」として行動を起こしていくのか。

「介護思想」という言葉、
被介護者がどう思っているのか、
介護者自身がそのことを気にしながら介護をしているのかは、
置かれた立場により、微妙に違ってくる。

これから
「介護思想」について書き続けていくが、
それは介護とはなにか、といったような哲学的思想的な話しではなく、
自分の頭で「思った」介護や
介護の現場のなかで感じたこと、
或は介護を通した家族におけるそれぞれの立場や
ケアマネジャーの考えなど
織り交ぜ交錯させながら、
介護に対する「思い」や「想い」を
ありのままに述べていければ、と・・・・・。

 

803;「介護思想」 (1)置かれた立場で介護は違う

2018-07-08 05:34:17 | 介護の深淵
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」(鴨長明『方丈記』)

 「介護思想」 (1)置かれた立場で介護は違う

介護は置かれた立場により
それぞれが「思う」と「想う」は違う
なんのことを書いているのか
まだ意味不明の文だが
これから
自分にとっての介護とは
あなたにとっての介護とは
「これが介護だと」
言い切れるものはない

介護は
人それぞれであり
置かれた立場で違ってくる
要介護老人になった当事者なのか
実父母なのか
嫁いだ先の父母なのか
また実父母であっても
親から受けた愛憎
自分が育ってきた家族
嫁いだ先の家族
空の巣になった高齢者夫婦家族
家族模様から
介護事情が垣間見えてくる

介護のことから話は180度回転する
「わたし」のことを
「私」
或は「自分」
「俺」と言う人もいる
「余」とも言うが
ピント来ない

「わたし」の考えを書くとき
「自分」と表現する
それは自らを二つに分けることができない存在
自分という存在は
この地球には
唯一の存在である
(他には存在しない)






802;お年寄りが好きなドリンク

2018-07-07 17:47:24 | 老いの光影 第2章
 お年寄りが好きなドリンク

余が関わり知っている老人
在宅訪問をすると
お茶代わり或は帰り際に
よく出されたりするドリンク
リポビタンD
チオビタ
オロナミンC

認知症を患う老人のなかには
体に「いい(良い)」と思い込み
1日に3、4本飲んだりしてしまう
トイレに通うこと頻回

頭痛や腹痛などすると
家庭薬である置き薬箱から
せきどめ
ケロリン
救心
などを手軽に服用してしまう
置き薬の人が
これは体調が悪いときに
よく効く薬だよ、と置いていく高価な薬

何でも効くと誤解される救心

救って欲しいのは
老人の心(気持ち)

そう「痛く」なくとも
「痛い」と訴えることで
あなたの傍に「居たい」
または
「生きたい」とも聞こえて来る

801;ただいま〔5〕

2018-07-07 12:25:43 | 老いの光影 第2章
 ただいま〔5〕

人間は人の中に居ても
一言も話をせず
家でもデイサービスでも
無言のまま5年間過ごしてきた文婆さん

耳が聞こえない
話しかけても話さない人だと
誰もがそう思い込み
デイサービスの椅子に座っていても
話しかけない
歌を忘れたカナリアではないが
話すことをしなくなった老人は
言葉を忘れてしまう
それだけでなく
口や喉の機能までが低下(退化)していく
脳卒中の病いがないのだが
話すとき呂律が回らず言葉が不明瞭な文婆さん
回りはそんなことは気にもせず
話しかける

隣りに坐る91歳の婆さんは
昨年の夏脱水症で入院
寝たきりの状態で退院した
さくらデイサービスに通い
2週間で介助つきだが歩けるまでに復活
復活した智恵子婆さんは
迎えに行ったときから帰るまで
機関銃の如く喋りどおし
文婆さんは口を開けざるを得ない

スタッフからも
洗濯たたみ、食器拭きなど
いろいろとお願いされる
人間頼まれると嫌な気持ちははしない

したくないときは
断れることもできる

いまは呂律が回らずはっきりしないが
そのうち言葉ははっきりしてくる
気長に待つ

デイサービスが終わり
家路に着いた文婆さん
夫が出迎える
聞こえる声で
「ただいま~」と話した
いままで「ただいま」の言葉を聴いたことがなかっただけに
夫の目はウルウルしていた
妻から話しかけることはもうないと思っていただけに
嬉しかった

「ただいま」の言葉は素敵だし
心に残したい言葉
学校や仕事などから家に着き
玄関戸を開け
「ただいま」
「おかえりなさい」
の会話は
家族のぬくもりが其処に在る
家で(自分を、私を)待ってくれる人が居るから
「ただいま」と言葉をかける

これが
家には誰も居ず
冬などは夕暮れ時が早いから
玄関戸を開けても
真っ暗で寒々しく寂しさを覚えるし
「ただいま」の言葉は必要としない

私を待ってくれるあなた
老いても夫婦で助け合いながら生きる
チョッとした言葉が人の気持ちを温かくしてくれる
「ただいま~」

800;ただいま〔4〕

2018-07-07 03:58:54 | 老いの光影 第2章
90歳を過ぎても 自分でできることは自分で行う 時間はかかるが「待つ」ことが大切

子育ても老人介護も同じく「待つ」

 ただいま〔4〕

文婆さん
昨日(7月2日)は85歳の誕生日だった
今日はさくらデイサービスに行く日(2回目)
85歳の誕生祝ということで
少し遠出ではあるが
約10km先にある田舎食堂で外食会
空は晴れ
心も晴れ
8人のジジババと
4人の熟年?スタッフ
4台の軽自動車に分乗し
出発

別のデイサービスで
5年間利用していたが
外食の機会は一度もなかった
〔25名の利用者では行きたくても行けない〕
必ずしも大きいことはいいことではなく
小さい方が小回りがきいて自由がきく
10名の小規模デイサービスはいい
〔経営は厳しい〕

テーブルに着いた
文婆さん
メニューを手にし
カレーライスを選んだ
職人が作ったカレーの味に
口元もほころぶ

ここの田舎食堂の目玉は
ビッグな海老天丼

外食は
子どもだけでなく
老人もウキウキ楽しみ

さくらデイサービスに来て
文婆さんは
自分を気にしてくれる
言葉をかけてくれる
お願いごとをされる
自分の居場所ができたような
そんな気持ちがする


〔次回へ続く〕


798;どうでもいいような不思議な話

2018-07-06 07:37:18 | 阿呆者
 どうでもいいような不思議な話

人間の身体は
左右のバランスが
とれているようで
とれていない
余の身体は
どうも左手左足の調子が悪い
左手の背は
瘤ができ手術
左膝は
歩いているとき
カックンとこけてしまう
サポーターをしている

左肘は
ちいさな袋ができ
垂れ下がっている
水が溜まったのだ
一度整形外科を受診した
注射器で
水抜きをした
痛かった
血が混じった水溶液
数日後には
また水が溜まり
膨らんだ左肘
水抜きはしないことにした
左肘の膨らんだところから
黒い草のような毛が生えてきた
醜いので
生えるたび
剃刀で剃っている
水があるから
黒草が生えるのか
と思うと
不思議でならない
右肘は
水が溜まらないので
毛は生えない

どうでもいいような話を
お読み頂きありがとうございます!

797;ただいま〔3〕

2018-07-05 03:49:16 | 老いの光影 第2章
さくらデイサービスの外観(南向き玄関は階段があるも、足の不自由な老人にとり階段昇降訓練になる。左側の壁に手すりはある)

 ただいま〔3〕

文婆さんが
さくらデイサービスセンターを
初回利用された
翌日の朝
文婆さんの家に電話を入れ
訪問した

文婆さんの旦那は
まめでお茶をだしてくれた
名は古井秋吉
齢85歳
ストーマをつけながらも頑張り
妻の通院介助と買い物には
軽乗用車がないと困る、と話す
昨年運転免許証の更新ができ
「ホッとした。これがないと困る」

文婆さんはベッドで寝ていた
寝室は隣の部屋にあり
秋吉爺さんは起こしに行った
文婆さんは青と白模様のパジャマ姿で起きてきた
なかなか起きない婆さんが起きて籐椅子に座った
斜め横の掘り炬燵に私が座り
私の向かいには秋吉爺さん

「どうする?」
「今行っているデイサービスと昨日行ったさくらデイサービスと、どっちがいい?」
と秋吉爺さんは文婆さんに大きな声で話しかける
「自分で決めな」と畳みかけ話す。
私は「どっちがいい」とも話さずに彼女の言葉(気持ち)を待った
押しつけていけない
家で何にも喋らないと思われていた彼女
ポツリと話す
「昨日行ったデイサービスに行きたい」
秋吉爺さんは
「週何回行けばいいのか」と私に尋ねる
 「いま週3回デイサービスを利用されているから、さくらデイサービスは1回でもいいよ」
「1回では中途半端だから、どうせ新しいところに変わるのなら3回の方がいい」
夫は妻に「どうする、3回ともさくらデイサービスにするか、行くのはお前なんだから自分で決めろ」
文婆さんは「さくらデイサービスにする」と話す
妻が決めた方に決めるということで
7月から火曜、木曜、土曜の週3回、さくらデイサービスを利用することになった

7月3日火曜日から本格的な利用開始日
7月2日は文婆さんの85歳の誕生日

その日に文婆さんと家族(夫)と
介護用ベッドを貸与している事業所の福祉用具専門相談員と
いままで利用されていたデイサービスの生活相談員と
さくらデイサービスの生活相談員と
ケアマネジャーが
古井さん宅に集まりサービス提供担当者会議を開催
デイサービスの事業所が変わったことから
会議を開催しなければならない

たった1回の初回利用で
文婆さんは
新しいデイサービスを選んだ
これから文婆さんが
どう変化していくのか
私にとり楽しみがひとつ増えた


796;ただいま〔2〕

2018-07-04 21:52:40 | 老いの光影 第2章
さくらデイサービスの食堂 テーブルを囲み食事作り

民家活用 定員10名の地域密着型通所介護(地域密着型小規模デイサービス)


ただいま〔2〕 

さくらデイサービスのスタッフは5名
スタッフの休みがあるので
実際の1日のスタッフ4名

(1週の内、1日は5名のスッタフになる)
「文婆さんをお客様扱いにしないこと」
「楽しんでもらうこと」
それには
何かを主体的にしてもらうこう(お願いする)

今日のお昼のメインは
焼きおにぎり🍙とシチュー
爺さん婆さんも昼食づくりで
和気あいあい
勿論サランラップ掌に乗せ
おにぎり🍙を握る
三角や真ん丸や俵型など
さまざまな形をしたおにぎり🍙
文婆さんも握った
その顔に笑いがあった
いびつな形のおにぎり🍙であっても
スタッフは注文をつけない
ただ一言
「ありがとう」と
爺さん婆さんの見えないところで
いびつなおにぎり🍙を手直しをする

手直しをしたおにぎり🍙に
醤油を漬け
熱い鉄板焼きの上で🍙を転がし
焼きおにぎり🍙が出来上がり

次にシチューの具材を切ったり皮を剥いたりする
文婆さんには
皮ひきでじゃが芋や人参を手渡し
皮むきをお願いする
必ずスタッフが脇につき
スタッフも皮むきをしながら
「上手~ね」とごく普通に褒める

その後
卓上ホットプレートに芋、人参、鶏肉などを入れ
掻き混ぜをお願いする
いままで家では寝たきりの生活だったためか
「疲れた」と言って
手を休め掻き混ぜをやめようとする文婆さん
スタッフに声をかけられ
掻き混ぜを止めることはできず続いている

他の利用者も
いつも食べているテーブルを囲み
それぞれが何かの作業(食事作り)をやらされている?

できた焼きおにぎり🍙とシチューは
みんなの協働合作だけに
「美味しさ格別
家では声も出さない、と夫からいつも言われる文婆さん
私の耳にも聞こえる声で
「美味しい~」と呟いた


795;ただいま 〔1〕

2018-07-04 08:35:44 | 老いの光影 第2章
ただいま〔1〕

7月2日に
85歳の誕生日を迎えた文婆さん
第4腰椎体骨折後偽関節、左腰部脊柱管狭窄症、骨粗鬆症の疾病が有り
ひとり歩行は難しい
いままで定員25名のデイサービス事業所を
5年間、週3回利用されていた
在宅では週4日 24時間ベッド上の生活
起きるときはポータブルトイレで用を足すときのみ
不慣れな食事作りをしてくれる夫に
「美味しい」でもない「美味くない」でもない
無言に食べているだけ
夫が話しかけても
聞こえているのか聞こえていないのか
わからず
無言
長年連れ添った夫婦
無言の会話はあるけれども
無愛想な表情
夫はケアマネジャーにこぼす
「はりあいがない」
「疲れだけがたまってしまう」

5年間利用されていたデイサービス
文婆さんの変化を期待することはできない、と判断し
文婆さんの夫に
「定員10名の小さなデイサービスに変えてみようか
初回のデイサービス利用を行い
それで文婆さんの感想を聞いてみよう」
ということになった。

6月28日 さくらデイサービスの初回利用となった
(その様子は〔2〕へ続く)