老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1054;“筋を通せ” “上をだせ” 3   “過剰保護ではないか?”

2019-04-13 03:37:37 | 老いの光影 第4章
“筋を通せ” “上をだせ” 3   “過剰保護ではないか?”

厚井善雄さんは
いま、民間アパートで暮らしている
住宅扶助は受けている

彼の生活は昼夜逆転、深夜過ぎまで起き、昼近く起きる
世間の生活スタイルと異にしている
太陽が昇っても11時過ぎ頃まで寝ているのだが
真上に住んでいる2階の家族の足音が五月蠅くて眠れない

彼は木刀で天井を突き 怒鳴ったりしていた
大家に苦情を言ったりなど
2階家族とのトラブルは絶えなかった

五月蠅くて眠れないし
2階の住人のことで頭に血が上り気がイライラ
焼酎の量も増え その上眠剤も多用していた
酒を飲みながら眠剤の服用は「絶対ダメ」だ、と話すも聞きいれず

彼はそのアパート出たくてウズウズし
しきりに村建設課や生活保護課長に電話をかけまくっていた
例の「上を出せ」と“口”撃し
建設課長と新任の女性生活保護課長を大きな声でくどき落とした

村は県の外郭団体から
住宅の払い下げを買い取り
リフォームを行い
新規8世帯分(4階建て)の村営住宅入居の募集を行った

3LDKと間取りは広く
一人暮らしにはもったない位
応募者数はかなりあった
彼の場合は 建設課長とのやりとりで無抽選入居が決まった

「それはよかったね」
「ところで引越が大変だね、引越代だって村内でも業者に頼めば十数万円はかかるだろう」
「17万円もかかる。でも生活保護でだしてくれることになった」
「その他に、エアコン、給湯器、ガスレンジと住宅改修までだしてくれ、引越代は“ただ”で済んだ」

彼の場合、いま住んでいる民間アパートでも20万円満額の住宅改修(介護保険)を利用した。
転居し場所が違った場合、住宅改修(介護保険)を新たに使える。
両変形性股関節症があることから当然1階に住むだろうと思っていたが、彼は「2階に住む」と言う。
階段に手すりつけ、その他に風呂場に手すり、民間アパートと同じくベランダにもフラット工事を行う。

今回の引越代だけで総額60万円余り生活保護費で賄われる。
過剰保護ではないのか、と疑問に思うも
私自身生活保護費の項目を調べた訳ではないので、
その疑問が適切なのかどうかわからない。
でも一方では、生活保護費が打ち切りになった家族もいるなかで腑に落ちない。

今月の22日に引越をする。

(終わり)





1053;“筋を通せ” “上をだせ” 2 入院拒否 外来受診拒否の宣告 “病院出入り禁止”

2019-04-12 08:45:54 | 老いの光影 第4章
入院拒否 外来受診拒否の宣告 “病院出入り禁止”

厚井善雄さんは
アパートで独り暮らし

生活スタイルは昼夜逆転
太陽が空高く昇った刻 11時過ぎに起きだす
朝食と昼食を兼ね1日2食
夕食は焼酎大五郎25度270ml入りを
大ジョッキーで3,4杯飲む
勿論煙草も吸う

その為栄養の偏り、不健康な清潔がたたり
地元の病院に入院したこともあった。

入院中、大きな声で医師や看護師に話すため
相手に不快な感情を与えたり
脅された、と誤解されてしまう
治療途中で医師と口論になり強制退院となった

地元に2つしかない病院からは
入院拒否、外来診察拒否と宣告され
管轄の福祉事務所生活保護課にも連絡

唯一診察してくれているのは
整形外科医院1箇所のみ

他のクリニック、医院も診察拒否

「大きな声は地声だから仕方がない」
 「大きな声は、相手にとり怒鳴られ威嚇された、と思われるから、今後は気をつけた方がいい」と話すも
なかなか治らない。

“筋を通せ” “上をだせ”

相手のミスや言葉尻を
待ってしました言わんばかりに
獲物を狙うように待っているような彼

日中は、テレビと喫煙
獲物を定めた相手に電話をかける
当然私の所にも日に何度も電話がかかって来ることもある

部屋の掃き出し口からベランダへ出るところは段差があり
上がりお降りができなく洗濯が干せない
住宅改修を行い
掃き出し口とベランダをフラットにした
足が滑らないようにということで上面はゴム製の素材を張った

ベランダは常に雨風直射日光にあたり
長い間にはゴムの上面は変形したり膨張するのは当然ある
そのときはゴムを張り返ればそれで済むのだが・・・

彼の場合は
工事のミス、欠陥品であると
住宅改修を担当した職員を電話で呼びつけクレームをつける

「俺の言っていることが間違っていいるのかどうか」と問いただす
業者は「間違っていない」と答える
「俺の話は筋が通っているだろう」
次に「お前では話が進まないから、上の者(社長)と話をするから連絡をとれ」と“口”撃をかける

結局は、全て工事やり直しをさせた。

私は「あんまり我儘なことや自己中心的な事をしていると使えるサービス事業所はなくなるよ」
「私もサービス事業所、紹介できなくなる」と話したら
「お前にそんな筋合いを言われることはない」と怒った口調で怒鳴りだした。
「お前って呼んで欲しくない。私には名前がある」と返す。
「俺の言っていることがそんなに間違っているか」
「間違っているね。私が気に入らなければケアマネを他の人に変わってもいいよ。私から辞めるということは言えない。厚井さんが私に辞めて欲しい、と言えば辞めます」
「そんなことは思っていないから続けて欲しい」と・・・・。

私も大人げない冷静さを欠いた言動だったが、これくらい話さないとわからないと思い・・・。
ケアマネジャー失格だな


彼はまだ、62歳で若い。彼との関わりあいは、私がケアマネジャーを引退するまで続く、腐り縁となるであろう。

その後もいろいろあった
或る日、水中毒症になり
幻覚 幻視症状で暴れ出し
部屋は散乱
救急隊員から私の所へ電話がかかり
「大至急来て欲しい」と。

急いで駆けつける
彼は意味不明な言葉を連発。

受け入れ先の病院がなかなか見つからず2時間も要した
何せ地元の医療機関は診察拒否
結局30キロ先の精神科病院に搬送され入院となった

その日は救急隊員も私も
彼のために8時間ものの時間を費やしてしまった
その間救急車を必要としている人たちは
遠くの救急車を利用するしかなかった、と思うと
複雑な心境であった。
入院時兄に電話連絡を入れたが
兄は退院する日まで面会には来なかった。

(続く)








1052;“筋を通せ” “上をだせ” 1

2019-04-12 05:48:40 | 老いの光影 第4章
俺の勲章は「前科10犯 服役5回」

地域包括支援センター長から
「男性のケアマネジャーでないと担当できないケースで生保(生活保護受給者)の方で
一度他の男性ケアマネが受けたのだけど上手くいかなかった。受けてもらえるだろうか」
と、依頼の電話が入った。

断る理由もなく、「いいですよ」の返事で受け入れた。

名は厚井善雄さん(59歳)
太平洋が見える漁村で生れた。

中卒後東京の親戚を頼り
畳屋に就職した。
長続きせず寿司見習いに転職するも
その後は仕事を転々とする。

18歳のとき大麻所持と使用で
特別少年院のお世話になる。
その後は身を崩し
恐喝、傷害、詐欺などを繰り返し
「前科10犯、服役は5回した」と
自慢げに話す彼。

両変形性股関節を悪くし
両膝を曲げることもできなくなり
脚を伸ばしたままどうにか歩行
55歳のとき東京から兄夫婦が住む実家に舞い戻る

老母が認知症になったことで手がかかり
兄から家を出るように言われ

那須連山が見える村に転居
生活保護受給世帯となり独り暮らし開始

希望される介護サービスは
訪問介護と福祉用具貸与、住宅改修であった
(続く)




1051;“恵んでやるのだから、ありがたく思え”

2019-04-11 12:41:38 | 老いの光影 第4章
銚子の海

“恵んでやるのだから、ありがたく思え”

実際にあった“生活保護”受給または辞退した話を書いていく

私事になるが
私が生まれた処は北海道の山村
車で40分位も走れば日本海に抜ける

農家に生れ、私は長男、姉と妹がいた
高校1年の冬 大黒柱である親父が大腸癌を患い入院
いまの医療ならば親父も長生きできたのだが
50年余り前の医療では望めもなく、人工肛門を造設
1年4ヶ月の余命告知(実際は1年8ヶ月生きた)
痩せ細り体重は40㎏を切った

母親は病院に寝泊まりし親父の看病

10町歩(10㌶)あり田畑を荒らすわけにもいかず
私は親に相談せずに 高校を休学
1つ年上の姉と私の二人で百姓をした

北海道は冷害が多く、3年連続の豊作はありえなかった(当時)
百姓をして初めて多額の借金があることを知った
その借金は田圃の農地改善や農機具の購入等の借入金だった
入院費もあり生活は苦しかった

生活保護を申請した。
なかなか決まらなかった
それは田畑があるから、という理由であった
農民にすれば田畑は米、馬鈴薯など作る上ではなくてはならないもの

町だったので北海道の地方の行政管轄は支庁制をとっていた
後志支庁生活保護担当者と何度も話をした
ようやく生活扶助、医療扶助、教育扶助(妹は中学生だった)の保護決定通知を受けた

生活保護担当者から
忘れもしない屈辱的な言葉 “恵んでやるのだから、ありがたく思え”、
と蔑むような言葉。

50年の時が経過し
生活保護に対する国民の意識は大きく変化した
どう変化したのか 今回はあえて避ける

私の過去ことを書きたくて書いたのではない
これから2回にわたり “生活保護”の現実のケースを通し
生活保護が正しく為されているのかどうか
憲法第25条でいう 健康で文化的な最低限度の生活とは なにか
人間として生きるに値する生活とは



いまでは過去の裁判になり忘れられている(本当は忘れてはならない)
朝日訴訟、堀木訴訟、という人間裁判があった


弱い者は生活保護を容赦なく打ち切られ
怒鳴るような大声を出す者は、主張が通り
生活保護受給内容やその額は「お手盛り」ではないか、と疑う

次回は ひとり暮らしの59歳の男性 元組員の話を書きます




1050;春なのに雪・・・・

2019-04-11 05:00:43 | 春夏秋冬
桜 春なのに雪化粧

春なのに 雪が降った
塀の向こう側の桜は
白い花が咲いた

春なのに・・・・
中島みゆきの詩を想い出す

今日の下界は まっ白な雪で
“白い一日”になりそう

小椋佳のように
まっ白な陶磁器と雪景色を
ながめては 飽きもせず
過ごしたいものだ

地上の醜いものを
すべて覆い隠してくれるまっ白な雪
人間の罪深さは
まっ白な雪は覆い隠してはくれぬ

今日『老いの風景 第4章』は
雪のため 休「稿」です




1049;どうにも止まらない

2019-04-10 16:56:14 | 老いの光影 第4章
銚子燈台

“どうにも止まらない”

“なつぞら”のドラマが終わると同時に
ピンク色のケースに収まっているスマホが鳴り響いた

肺癌末期を自宅で看ている妻からであった
「昨日の朝から鼻血が止まらない。レバーみたい血の塊も出た」
訪問看護師に連絡を入れ、かかりつけの総合病院耳鼻科に受診することになった。

急いで清水健太郎さん宅を訪問
食欲がなく、気持ちも塞ぎ
妻にも冷たくあたる。
「俺の苦しみは俺しかわからない」

夫の苦しい気持ちもわかるけど
私も精一杯、疲れ、ストレスが溜まり、夜も眠れない
疲労困憊

血液サラサラの薬も服用していることもあり
なかなか鼻血は止まらない
鼻孔にテッシュを詰めるも 鼻血は止まらない

救急車を呼ぶほどでもないが
妻一人で車に乗せることも難しい
立つこともままならぬほど体力は落ちている

まだ契約してはいないが
介護タクシー会社に電話を入れ 総合病院への搬送を依頼。

病院に到着し、40分ほどしてから
耳鼻科の診察となった

耳鼻科医の説明によると
鼻腔の壁が傷つきそこから鼻血が出た
本人が負担にならない程度、鼻の孔にガーゼを詰めた

7日間はガーゼはとらずにそのままにしておくこと
途中でガーゼを取り出してしまうと、カサブタがとれたり鼻の壁を更に傷つけ
鼻血が止まらなくなり、慌てて病院に来る人もいる

7日後にガーゼをとるので再受診を。
ガーゼをとらずにいると
これもまた大変なこと(よくないこと)になる


健太郎さんが診察室で処置を受けている間
待合室で妻 雪子さんと話をした。

ご主人の生命をひとりで抱え込むのは大変ですよ。
何かあったら訪問看護師やケアマネジャーに躊躇わず電話かけてね

食欲がないので、無理して食事をあげなくても・・・
調子が良いときなど ウインダゼリーを器に空け、スプーンで食べさせてみるのも1つの方法です
あとは大好物、好物など少量でもよいから、食べたいものを・・・・

夜中、夜明けでも気にせず、困ったら電話をおかけください

健太郎さんは余命1ヶ月と告知され
3ヵ月を迎えようとしている


1048;飲み忘れの薬がビニール袋から溢れるほど、あるわ、あるわ~

2019-04-10 03:06:23 | 老いの光影 第4章
南湖公園 老木に桜の花

飲み忘れの薬がビニール袋から溢れるほど、あるわ、あるわ~

別のケアマネジャーから受け継いだ稗返義三さん(76歳)
本日二度目の在宅訪問をした

病気は多彩にある
アルコール依存症  酒好きで毎晩ワンカップの焼酎いいちこを飲み続けている
アルコール性認知症 いま服薬したこともインスリン注射をしたことも忘れ、またインスリン注射をしようとする
頚椎症のほか右足大腿骨骨折
糖尿病
陳旧性心筋梗塞  
慢性閉塞性肺疾患 なのにときどき喫煙をしている

稗返爺さんは、建設業、解体業、ラーメン店経営など様々な仕事を転々とした
国民年金で、妻と合せても月3万円足らず


妻は両眼、緑内障で治療中
将来失明の心配
夫の介護どころではないのだが
頑固、我儘な夫は
かたときもベッドの傍らに妻をおき
世話をしてもらっている

夫は大声で妻や長女を怒鳴ったり叩いたり物を投げたりする
そういうときは好きな焼酎も飲まさせなければ、と思うも
そうはいかない

妻も長女も疲れきっている

妻が服薬の「管理」をしているのだが
2年前のインスリンやら錠剤が
4,5個のビニール袋にいっぱい入っていた

朝昼晩
どの薬を、何錠服薬するのか
妻もわからなくなっている
一包化の薬もあれば
シートごと服薬されていない錠剤もあった
その他に打たれていないインスリン

私の方も何だかストレスが溜まりそう
一度本人と妻と一緒に
通院同行し
インスリン注射を服薬に変更することが可能なのかどうか

そして最低限必要な薬だけに絞ってもらえるのかどうか

服薬をわかりやすくしていかねば
薬は溜まる一方

心疾患、肺疾患、そして糖尿病もあり
正しく服薬しないと大変なことになる

今月、あと2,3回は訪問せねばならない




1047;木村元子 『私の頭の中の消しゴム』 小学館文庫 “愛されることはできても、愛することはできなくなっていく”

2019-04-09 05:06:51 | 文学からみた介護
愛されることはできても、愛することはできなくなっていく
木村元子 『私の頭の中の消しゴム』 小学館文庫


私の頭の中には、消しゴムがある。(84頁)

あの夜、光の洪水みたいに空高くから降り注いでいたオレンジ色の光が、なんだか少し頼りなくて寂しそうだった。
身体がどんどん冷えてきて。
でも、もう動きたくなくて。
このまま時間が止まってしまえばいい、それだけ願っていた。(86頁)

どんどん、記憶がなくなっていくんだよ。
自分のことも分かんなくなるんだよ。
浩介のことも忘れちゃうんだよ。
私、嫌だよ。(88頁)

俺がお前の記憶になる。
薫が忘れたら、これまでのことを何度でも話すよ。
2人がどうやって出会ったか。
どんなことで笑ったか。
どんなことで喧嘩をしたか。
何度でも繰り返すよ。

その度に薫は俺に新しく恋をするんだ。
別れるなんて絶対に言うな。
薫は俺を信じさせてくれたんじゃないか。
何も信じられなかった俺に。
変わらないものがあるって。
信じられるモンがこの世にはあるって。
いまさら、逃げんなよ。(89~90頁)

でも、会社を辞めると、病気で失うものが現実に見えるようで怖い。(134頁)

僕の目の前に君はいる。
僕のことを知らない君が。
こんなに近くにいるのに。
手を伸ばせばこうやって触れられる、すぐそこに君はいるのに。
僕には、君をこの世に呼び戻すことができない。(164頁)

愛されることはできても、愛することはできなくなっていくのです。

心がすべて失っても、私の体は生き続けます。(168頁)
この手紙を書いている今も、次の瞬間には、自分が自分でなくなってしまうかもしれない。そう思うと怖い。(169頁)


28歳という若さでアルツハイマーの告知を受け、
私の頭の中は消しゴムになり、
記憶を失っていく主人公の切なさ、
愛おしさが伝わってくる。

「自分が自分でなくなってしまう」怖さに対峙しながらも、
記憶が残されたわずかな時間に、
自分の思いを彼に綴った最後の手紙に託す彼女。


「心がすべてを失っても、私の体は生き続けます」
「愛されることはできても、愛することはできなくなっていくのです」(168頁)。
「でも、会社を辞めると、病気で失うものが現実に見えるようで怖い」(134頁)。

「この病気が残酷なのは、肉体的な死よりも精神的な死が先にくることだ。
私の身体は残っても、私の精神はなくなってしまうのだ」(123頁)。


介護の世界に身をおいている自分、
アルツハイマーになった薫の気持ち、
頭の中が消しゴム状態となり、
精神(心)を失っていく怖さ、不安、苦悩、葛藤など、
あらためて認知症者が抱えている想いや不安をどれだけ理解していたのか、
自問自答していかねばならない。

愛した人、思い出が一杯つまった時空間さえも喪失していく。
記憶があるうちに彼にさよならを無言で去り、館山の介護施設に入居した彼女。

特別養護老人ホームやグループホームに入居してきた高齢者も同じ想いで家族に「さ・よ・な・ら」し、
人生の最後をそこで過ごす。

介護者は、特別養護老人ホームやグループホームはどんな場所として位置づけ、
日々認知症者にかかわっていくのか。

私が私でなくなっていくとしても、私で私であることに変わりはない。
ひとり一人違う私に対し、
介護者は“にんげん”のもつ優しさや想いを
どう特別養護老人ホームやグループホームのなかで実現していくのか。

介護者は、浩介と同じ気持ちになり入居者に話しかけることだ。
「俺がお前の記憶になる。薫が忘れたら、これまでのことを何度でも話すよ」

入居者が生きてきた人生(記憶)を呼び揺り動かしながら、
「お前の記憶」になり寄り添っていく介護。
そのためには、どれだけひとり一人が生きてきた人生や大切な人(家族)のことを知っていくことが求められる。

『私の頭の中の消しゴム』はビデオショップの棚に並んでいる。


1046;beagle元気 誕生日6歳

2019-04-08 22:02:53 | 犬と人間
チョッと とぼけた顔で立ち上がっているbeagle元気 2019,4,8撮影

beagle元気 誕生日 6歳になる

201348日 静岡で産まれた僕。
白河の関を越え
201962日 ご主人と出会い、家族になった

僕の誕生日は“お釈迦様”の誕生日と同じだよ、とご主人から聞かされた
誕生祝いに夕食のとき とち乙女(苺)6粒 僕の白い陶器(食器)に並べられ 大感激
1粒づつ食べた とっても甘かった
人間ってこんな美味しい物を食べているんだね


ドッグフードも一杯食べたし
満腹になり 眠りの境地 
幸せ 今夜も最~高

人間に比べ 犬の生命は、遥かに短い
それと同様に 
不治の病や慢性の病を患い懸命に生きておられる老人たちの生命も短い

そう思うと
1年を生きる意味の重さが違ってくる
病を抱え死と隣り合わせにある老人の一日は 
私の一日とは 重みが違うことを 忘れてはならない

貴重な時間(とき)を刻む音は 
生命を刻む心臓の鼓動と共鳴する

何とそれに比べ私は
無駄な時間を浪費していることか

貴重な老人の時間を奪ってはいないか
何をしたいのか 何を欲しているのか
残された時間のなかで 
落穂拾いのように 老人の言葉を拾う


“げんき”なbeagle元気は
安心したのか腹を出し四肢を拡げ
無警戒、無防備の姿丸出しで寝ている
チョッと恥ずかしい姿態をしているけど
ごめんあそばせ

今日は僕の誕生日 6歳



1045;自分は何者か 3 “家族に冷たく 他人にやさしい”

2019-04-08 04:24:31 | 自分は何者か

 自分は何者か 3 “家族に冷たく 他人にやさしい”

は心とも言われ
は心臓に在る、とそう錯覚している
舞台に上がったとき 心臓はドキドキするし
恋をしているときは 心臓の高鳴りを感じる
ストレスが溜まると胸が痛む
心の持ち様で 心臓は緊張したり、反対に弛緩したりする

や心、気持ちは
心臓ではなく 頭に在る、とわかったのはいつ頃だろうか
頭にきた、という表現は
感情は頭から発信されたものであることを見事に表現している

ここで話は関連しながらも 違う話に移る

夫婦と子ども
夫婦は、血の繋がりはなく「他人」であるが
両親(父母)と子どもは、血の繋がりはあり「親子」である

子はかすがいと言われる
子はかすがいとは、子どもは夫婦の中を繋ぎとめてくれ
夫婦仲が悪くても、子どもへの愛情のおかげで
夫婦の縁を切らずにいれる

子ども大きくなり家をでると、空の棲症候群となり
夫婦関係は冷める
夫が定年になったとき、妻は疎ましくなり
老後の介護に影を落す

私自身、故郷から惚けた老母親を引き取り
私と妻と同居したが1年しかもたなかった

母は43歳のとき、同年齢の夫は病気で亡くなり苦労した
(当時私の年齢は17歳)

老母親は息子を盗られた、と嫁に対抗意識を持つ
惚けているのか意地悪なのか、素直でない姑に苛立つ妻
私はその狭間に立たされ
老母に「冷たい」言葉で叱ったり怒ったりで
やさしくできなかった

他人の老人には耳を傾けやさしく接してきた

妻から自分の親でしょう、と言われ
毎朝仏壇に水、お茶、ご飯などのお供え物を上げる
仏壇の横には父母の遺影があり
母親の顔をみるたびに
「もう少しやさしい言葉をかけてあげれば」、と後悔するも
母親はあの世に居ってしまった。

親孝行は生きているうちにするものだ、いまになって思う
いつまであると思うな「親」と「金」 そんな言葉もあった。

同居していたとき 母は要介護2の状態にあり
週3回の認知症型デイサービスに「出し」
最後は「ロング」ショートステイから老人保健施設入所となった
老人保健施設で急性肺炎となり
救急車で系列の病院へ入院
病室で老母親を見送った(83歳だった)

家族に冷たく、他人にやさしい
(本当に他人にやさしい、のかどうか怪しい)
そんな歪(いびつ)で捻(ひね)くれた私の性格は
子どもの頃からあった。

私のきょうだいは、姉、私、妹の3人
小学生のとき
妹が「くれよん貸して」、と言われても貸さなかったこともあった
学校で、好かん級友から「くれよん貸して」と言われると、抵抗なく貸していた
(子どもの頃から私の心は狭隘で貧しかった)

私の心のなかの「小悪魔」は居心地がよいのか、いまも棲みついている








1044;認知症老人も人間、生きている

2019-04-07 08:52:52 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界
明治・大正。昭和・平成そして令和へと生きる111歳サタ婆さん(妻の母方祖母)
2025年には、5人に1人が認知症老人

平成29年版高齢社会白書(概要版)によると 
認知症高齢者数の推計
65歳以上の認知症高齢者数と有病率の将来推計についてみると、平成242012)年は認知症高齢者数が462万人と、65歳以上の高齢者の約7人に1人(有病率15.0%)であったが、372025)年には約5人に1人になるとの推計もある


30年前の平成元年
老人介護の世界に足を踏み入れ
始めて認知症老人に遭遇

あともう少しで「令和時代」に入る
令和時代は私にとり 老い往くときに入り
5人に1人が認知症老人になると平成29年版高齢者白書に書かれてあり
その1人が私なのかな、と思っている。

認知症老人の存在は
家族にとり悩める存在となり
ときには疎ましく疲れ
ストレスが溜まりに溜まり飽和点に達し
言葉が荒々しくなり
虐待へと連鎖しかねない状況に追い込まれてゆく

介護施設、認知症グループホームや、デイサービス等で
認知症老人に向き合っている介護職員の場合は
虐待行為,あってはならない
何故なら介護職として賃金を得ているからである

30年老人介護の世界に身を置かせていただき
これからブログのなかで書く内容が正しいとは必ずしも限らない
認知症老人に対する見方、とらえ方は様々
人間がにんげんを判断したり審判を下すことは難しい

自分という人間がわからないのに
どうして認知症老人のことが理解できようか
と、考えてしまうけれど
認知症老人とかかわることにより
老い往く自分が見えてくるのかもしれない

認知症老人も人間、生きている
そのことを頭の片隅に置き
未知の令和時代を生きて往く




1043;自分は何者か 2 “自分は自分で在る”

2019-04-06 20:11:08 | 自分は何者か
どこにでも棲息するハルジョン

 自分は何者か2 “自分は自分で在る”

beagle元気に連れられ阿武隈川の辺を歩いている、と
ときどき、ひらめいたような感覚で考えることがある

それは誰もが考えるような思考ではないので
チョッと頭がおかしいのかな、と疑われてしまう
(いや、チョッと以上におかしいよ、と囁く声が聞こえてくる)

それは
自分が死んだら この地上に存在しなくなる。
死んだら 本当にお終いなのだ。

自分という存在が嫌になることがある
それは他者と比べ 嫉妬や羨望を抱くが
それは諦めに終わり挫折感だけがくすぶる

自分は他者に入れ替わる
つまり自分の心を他者の躰に置く
(永久的にではなく一時的、仮の宿かな)

寝たきり老人や認知症老人の躰に棲みつき
毎日ベッドで臥床していることの苦痛
記憶が薄れ忘れていくことの不安
寝たきりや認知症は
自分が自分でなくなっていく

誰かの手をかりなければ生きていけない我が躰
他者に入れ替わることで
見えなかったことが見えてくる

しかし
自分が他者になり替わったところで
他者にはなり切れず
自分は自分でしかなく
他者に置き換えることはできない

自分と言う存在は
自分でしかなく
それは無二の存在であり
自分は個性をもちわせた存在だからこそ

自分の存在も 他者の存在も
大切にされなければならない

寝たきり老人になっても
認知症になっても
自分という存在は変わるものではない
どのような状態にあっても にんげんであること


これは他者に替わる話は 妄想の出来事に映る


文学ではカフカは
『変身』を連想する
目が覚めたら巨大な虫になっていた

もし自分も
明日の朝 目が覚めたとき
ハエやゴキブリだったら嫌だ
妻は〝ハエタタキ〟を持ち
叩き潰されてしまう


引用が長くなるけれど
最後まで読んで頂ければ嬉しいの一言です

河島英五 作詞、作曲の
〝てんびんばかり〟を綴っていく

河島英吾が唄った てんびんばかり を聴いたとき
身震いと同時に唸るほど考えさせられた


真実は一つなのか
何処にでも転がっているのかい
一体そんなものがあるんだろうか
何も解からないで僕はいる

そしてそれがあるとすれば 何処まで行けば
見えてくるんだろう
そしてそれがないものねだりなら 何を頼りに
生きて行けばいいんだろう

何も解らない 何も解らない 何も解らない
何も解らない 何も解らない
何も解らないで僕はいる

家を出て行く息子がいる 引き止めようとする
母親がいる
どちらも愛してる どちらも恨んでる
どちらも泣いている

何人もの人を殺した男がいる
掛替えのない命を奪ってしまった
次はこの男が殺される番だ
掛替えのない命を奪ってしまう

男が殺される 男が殺される 誰も何も言わない
男が殺される 男が殺される みんながそれに
賛成したのです

友達が殴られて仕返しをしに行った男がいる
その殴った相手も友達だったので
困ってしまった男がいる

偉い人は僕を叱るけど
その自信は何処からくるんだろう
でももしも僕が偉くなったら
やっぱり僕も誰かを叱るだろう

男はいつでも威張っているけど どんな目で
女を見つめているんだろう
女はいつでも威張らせておくけど
どんな目で男を見つめているんだろう

お金の余ってる人は お金のない人を
どんな風に思っているんだろう
お金のない人は お金の余ってる人を
どんな風に思っているんだろう

髪の長い男は 髪の短い男を
どんな風に思っているんだろう
髪の短い男は 髪の長い男を
どんな風に思っているんだろう

誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないか
どちらも もう一方より重たいくせに
どちらへも傾かないなんておかしいよ

どれほど自分が誰かを傷つけているかは
知らん振り
人には悪人と決め付けて
正義の味方をさがしてる

僕が何気なく呟いた言葉が
君をとっても悲しませてしまった
慰めようと
言葉を掛けたら君は泣き出してしまった

長い間君はとっても辛い思いをしてきたのでしょう
やっと君を幸せにできると思ったのに
君はもういない

毎朝決まった時間に起きる人の喜びは
何処にあるんだろう
電信柱に小便ひっかけた野良犬の悲しみは
何処にあるんだろう

うちの仔犬はとても臆病で一人では街を歩けない
首輪をつけると とても自由だ
僕を神様だと思っているんだろう

拳を挙げる人々と手を合わす人々が
言い争いを続ける間に
ホラ ごらんなさい野良犬の母さんが
かわいい仔犬を生みました

母親が赤ん坊を殺しても
仕方のなかった時代なんて悲しいね
母親が赤ん坊を殺したら
気違いと呼ばれる今は 平和な時

誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないかい
どちらも もう一方より重たいくせに
どちらへも傾かないなんておかしいよ

誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないかい
どちらも もう一方より重たいくせに
どちらへも傾かないなんておかしいよ








1042;自分は何者か 1 “我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”(ゴーギャン)

2019-04-06 05:05:48 | 自分は何者か
私は〝貧乏草〟と呼ばれているハルジョン、ヒメジョンが好き

 自分は何者か 1

“我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”(ゴーギャン)。

我々はどこから来たのか
 宇宙から来たのだろうか、と思うときがあるけど
 それは不確か

我々は何者か
 人間?
 自分は何者か
 この世で一番わからないものは「自分」なのかもしれない

我々はどこへ行くのか
 自分の「逝く」先は死であり 天国か地獄
 自分の場合は地獄行きの切符かな
 
 輝ける星になれたら、と願う
 
 それとも また宇宙に帰り
 また産(生)まれ変わる


老いに入り
自分という人間、と向き合うとき
何を思ったか
嗚呼、自分の人生は幸福であったか不幸であったかは
最期の瞬間までわからない

ただ現在(いま)思っていることは
無駄に過ごした時間
まだ何も遺すものがない自分
そのことに後悔しきり

後悔しても 陸地では「航海」できない、と駄洒落を書いている自分が滑稽(大苦笑)

自分のために
“自分は何者か”であるかを
書き続けてみたい、と思う

阿呆鳥ト自称スル「或る老人のヒトリゴトなのか」、ト
読ミ流シテイタダケレバ嬉シイカギリデス








1041;嫌われる老人

2019-04-05 05:05:33 | 老いの光影 第4章
南みちのく 桜の開花はまだまだ・・・


 嫌われる老人

嫌われる人間は 何処にでもいる
自分がそう思われぬよう 気をつけなければ・・・・

しかし、嫌われている人間の方が
ときには正しかったりする場合もある

認知症が進んでくると
その人の 性格(人柄)は丸裸に晒される

認知症老人は「何もわからなくない人」だと誤解、偏見がある
何もかもがわからなくなることはない
理解力や判断力などは落ちてゆくけれど
感情は失われずにある

自宅やデイサービスは介護施設などで過ごされていて
誰が 私の見方(理解者)であり
敵(命令や指示をする人、ときには叩く人)であるか の区別はできる

感情は失われずにあるけれど
感情が裸のまま晒され

思っていることをそのまま言葉や態度に出てしまうことがあるだけに
やっかいである

老人の性格は
認知症になる前
その老人が培ってきた人柄や性格、価値観など
周囲の人を気にせずストレートに相手を傷つける言葉を吐いてしまう
注意してもわからず 同じ言葉を繰り返す

頭痛の種となる

85歳の関辺婆さんは大きな声で話す
(話すというよりは暴言を放すである)
同年齢の小田倉爺さんだけでなく周りの老人たちにも聞えよがしに
「あんな躰(脳梗塞後遺症、左半身麻痺、軽い言語障害)になってデイサービスに来たいんだべか。俺だったら来ない。食べ方が汚い・・・・」等と大きな声で放す

その老人の持っている性格を変えることは難しく
注意してもわからず
認知症もあり また心ない言葉を吐いてしまう

その婆さんは
同居している嫁様の罵詈雑言(ばりぞうごん)
「東京に嫁いだ長女が一番可愛い」と放たれ
「娘(長女)と鰻を食べてきた、美味しかった」の一言だけで、長男夫婦に手土産の鰻はない

関辺婆さんは いま
悪性リンパ腫でこの先どのくらい生きられるかわからない
本人に告知されたが
病名も告知も忘れている

老いてからも嫌われぬよう気をつけねばならぬ

人を傷つける言葉を吐く
当の本人は気がついていない

言葉は刃物にもなる

言葉は人を癒してもくれる

1040;死ぬために生きる

2019-04-04 09:58:17 | 生老病死
かかりつの病院 自治医科大学附属病院 今日は外来受診

死ぬために生きる

にんげん
オギャーと生まれた瞬間から
死に向かって生きる
それは死のために生きることを意味する

慢性腎不全という不治の病をもらい受けた私
薬漬けもいいところ
朝は9種類12錠 夜は5種類8錠
死ぬまで服用しないと
人工透析に逆戻り

死ぬために生きる
そう思いながらも
生きてよかった、と
呟けるよう逝きたい ものだ