おとといの夜、TVで、「てっぺん-TEPPEN -」が放映されました。
「TEPPEN」は、芸能人が、ピアノや剣道などでガチンコ勝負をして王者を決めるという、1年に1回の特別番組です。
わたしは一昨年初めて見て、そのときは なかなかいいな、と思い ブログに感想も書きました。
去年、2度目に見て、そのときは感想を書きませんでした。
そして今年は、放映されることは知っていましたが 見るのを忘れてしまいました。
・・・年ごとに、だんだん気持ちが冷めてることの現れかもしれませんが。
ところが、この二日間、「てっぺん」「さゆり」で検索してブログを訪れる方が急増するという現象が起こり、そうか、今年はさゆりさんが優勝したらしい。そして、すごくインパクトある展開だったのかな、と推察でき、そんなら観てみるか、とおくればせながらYOUTUBEを開いて 「決勝戦」を見てみた次第です。
以下、ヒバリの感想です。
決勝に残った三人の人 : さゆりさん、AKB48松井咲子さん、青木さやかさん。
皆さん上手だと思います。
基礎訓練をちゃんとされているので、きちんと打鍵でき、指もよく回り、手もよく拡がってる。
「ピアノの弾き方を一通り学習できた」レベルだと思います。
おめでとう。よくがんばりましたね。今までに身につけた技術を生かして、これからはピアノを楽しんでくださいね・・・って感じかなあ。
それだけだなあ。
それ以下でもないけど、それ以上でもないっす・・・
毒舌方向からの意見を述べれば(そもそもヒバリ『ピーコ』のHNは『毒舌得意』が由来なんだから)
枚挙にいとまがなくなるが・・・
ピアノの先生ヒバリが、毎日どんなことを考えて、何のためにレッスンしてるかっていえば、みんなに音楽を楽しんでほしいからです。
音楽のよろこび(喜び・歓び ・悦び・慶び すべての感覚)を身をもって体験し、周りの人たちともそのハッピーを共有してほしい。
ヒバリの中で、ピアノはそのためのひとつの手段であるので、技術があるに越したことはないが それを力比べしたり見せびらかしたりするもんじゃないんだよね・・・ヒバリの中ではね。
今回の出演者の人に、わたしは聞きたいです。
今日の演奏は 誰のためのものだったのか。
自分を含め その場にいる人やTVを観てる人が幸せを感じるためだったでしょうか。
それとも?
「津軽海峡冬景色」や その他のJ-POPに、あの場であのカデンツァやアルペジオは本当に必要なアレンジだったでしょうか。
曲の良さを、曲の魂を引き出すために必要だったでしょうか。
曲のためというより、演奏者の「どや」のための華麗なパッセージ投入ではなかったでしょうか。
わたしには ただただ演奏者の「どや」の成功・不成功を見せられただけで、曲のしみじみした表現や魂は 残念ながら感じることができませんでした。
演奏者の技量を見せたいのであれば、何百年の淘汰に耐え、真の輝きを持って色褪せない「クラシックピアノ曲」があります。
それらの曲は、華麗なパッセージや超絶技巧もたくさん含みますが、それは曲の魂を表現するためにぜひとも必要であるもので、後から取ってつけた技巧のみではありません。
勝負したいならば、それらを全部含めて、曲を表現してほしいと思いました。
「てっぺん」の他の種目は、今回わたしは見ませんでしたが、剣道、100メートル走、けん玉であったそうですね。
剣道やけん玉は、技を決めた人が勝ち。100メートル走は、一瞬でも先にゴールインした人が勝ち。
どれもはっきりと結果が出るし、誰もが認め感動できるものです。
しかしピアノは違う。
芸術の質の高さは、競技では測れないものです。
その意味で、「てっぺん」においてはピアノだけが、ほかの種目とは異質のものだったね。
「優勝できなくて悔し涙を流す」
「間違えないように、そして人よりも難しい技を成功させる」
「負けたからリベンジする」
これらの言葉は、ピアノには、音楽には、そぐわない。
なんか年々、ピアノ種目は、違う方向に行っちゃってる気がする。
初めて見た一昨年のように、純粋に「好きな曲」を自分らしく演奏するべくベストを尽くし、達成の感動に涙する姿を見たいと思った。
人に負けて悔し涙を流す姿は見たくなかった。
ま、これはヒバリ個人の「感想」なので、評論じゃないです。念のため。
こんなヒバリなので、昔は大好きだったフィギュアスケートも、ここ数年は見たくなくなっちゃったんだよね・・・
エキジビションは楽しいんだけどね。
「TEPPEN」は、芸能人が、ピアノや剣道などでガチンコ勝負をして王者を決めるという、1年に1回の特別番組です。
わたしは一昨年初めて見て、そのときは なかなかいいな、と思い ブログに感想も書きました。
去年、2度目に見て、そのときは感想を書きませんでした。
そして今年は、放映されることは知っていましたが 見るのを忘れてしまいました。
・・・年ごとに、だんだん気持ちが冷めてることの現れかもしれませんが。
ところが、この二日間、「てっぺん」「さゆり」で検索してブログを訪れる方が急増するという現象が起こり、そうか、今年はさゆりさんが優勝したらしい。そして、すごくインパクトある展開だったのかな、と推察でき、そんなら観てみるか、とおくればせながらYOUTUBEを開いて 「決勝戦」を見てみた次第です。
以下、ヒバリの感想です。
決勝に残った三人の人 : さゆりさん、AKB48松井咲子さん、青木さやかさん。
皆さん上手だと思います。
基礎訓練をちゃんとされているので、きちんと打鍵でき、指もよく回り、手もよく拡がってる。
「ピアノの弾き方を一通り学習できた」レベルだと思います。
おめでとう。よくがんばりましたね。今までに身につけた技術を生かして、これからはピアノを楽しんでくださいね・・・って感じかなあ。
それだけだなあ。
それ以下でもないけど、それ以上でもないっす・・・
毒舌方向からの意見を述べれば(そもそもヒバリ『ピーコ』のHNは『毒舌得意』が由来なんだから)
枚挙にいとまがなくなるが・・・
ピアノの先生ヒバリが、毎日どんなことを考えて、何のためにレッスンしてるかっていえば、みんなに音楽を楽しんでほしいからです。
音楽のよろこび(喜び・歓び ・悦び・慶び すべての感覚)を身をもって体験し、周りの人たちともそのハッピーを共有してほしい。
ヒバリの中で、ピアノはそのためのひとつの手段であるので、技術があるに越したことはないが それを力比べしたり見せびらかしたりするもんじゃないんだよね・・・ヒバリの中ではね。
今回の出演者の人に、わたしは聞きたいです。
今日の演奏は 誰のためのものだったのか。
自分を含め その場にいる人やTVを観てる人が幸せを感じるためだったでしょうか。
それとも?
「津軽海峡冬景色」や その他のJ-POPに、あの場であのカデンツァやアルペジオは本当に必要なアレンジだったでしょうか。
曲の良さを、曲の魂を引き出すために必要だったでしょうか。
曲のためというより、演奏者の「どや」のための華麗なパッセージ投入ではなかったでしょうか。
わたしには ただただ演奏者の「どや」の成功・不成功を見せられただけで、曲のしみじみした表現や魂は 残念ながら感じることができませんでした。
演奏者の技量を見せたいのであれば、何百年の淘汰に耐え、真の輝きを持って色褪せない「クラシックピアノ曲」があります。
それらの曲は、華麗なパッセージや超絶技巧もたくさん含みますが、それは曲の魂を表現するためにぜひとも必要であるもので、後から取ってつけた技巧のみではありません。
勝負したいならば、それらを全部含めて、曲を表現してほしいと思いました。
「てっぺん」の他の種目は、今回わたしは見ませんでしたが、剣道、100メートル走、けん玉であったそうですね。
剣道やけん玉は、技を決めた人が勝ち。100メートル走は、一瞬でも先にゴールインした人が勝ち。
どれもはっきりと結果が出るし、誰もが認め感動できるものです。
しかしピアノは違う。
芸術の質の高さは、競技では測れないものです。
その意味で、「てっぺん」においてはピアノだけが、ほかの種目とは異質のものだったね。
「優勝できなくて悔し涙を流す」
「間違えないように、そして人よりも難しい技を成功させる」
「負けたからリベンジする」
これらの言葉は、ピアノには、音楽には、そぐわない。
なんか年々、ピアノ種目は、違う方向に行っちゃってる気がする。
初めて見た一昨年のように、純粋に「好きな曲」を自分らしく演奏するべくベストを尽くし、達成の感動に涙する姿を見たいと思った。
人に負けて悔し涙を流す姿は見たくなかった。
ま、これはヒバリ個人の「感想」なので、評論じゃないです。念のため。
こんなヒバリなので、昔は大好きだったフィギュアスケートも、ここ数年は見たくなくなっちゃったんだよね・・・
エキジビションは楽しいんだけどね。