楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

南部アフリカ紀行ージャカランダ 旅のアルバムの処分(最終章)

2021年10月09日 04時07分13秒 | 南部アフリカ紀行

 

(ジャカランダ)

旅行社のパンフレットを見ると、
紫色の花が満開になった写真が私たちの目を引く。
南部アフリカ旅行のハイライトとしてジャカランダが一役買っている。
ジャカランダといえばプレトリアが有名で、
此処では街の街路樹にジャカランダを植えてある。
日本の桜のように春先にいっせいに花が咲き、
これまた日本と同じように花見が行われると言う。
南半球は北半球と気候がまったく逆になるため、
春先は10~11月になる。
また、赤道が北にあり、北へ行くほど温暖になる。
北半球とは逆である。
太陽の陽射しは北から差し込み、
日当たりのよい家とは北向きの家ということになる。
 
プレトリアは南アフリカの北のほうにあり、
桜前線ならぬジャカランダ前線は、
北から南へと移っていく。
プレトリアではジャカランダの花を楽しむ時期は、
10月頃であるが、
プレトリアより南に位置する
ヨハネスブルグでは11月になって満開になる。
 
この木は水を良く吸う木で、これが街路樹として沢山あることは、
乾季に水不足となるアフリカでは問題になっている。
しかしその美しさは、桜と同じように人々を魅了している。
桜は花びらが一枚ずつはらはらと落ちていくが、
ジャカランダの花の形は筒状になっており、
(ちょうどギボシやハナトラノオ、桐の花、
サルビアのような形の花を
想像していただければよい)
一つずつポトンという感じで落ちてくる。
緑の芝生に落ちたこの紫色の花は、とても美しい。
 

ジャカランダの実は、
カスタネットのよう形で硬い殻の間に種が沢山入っている。
木の上で乾燥によりカスネットが開き、
中なら種が空中にばら撒かれる。
種は、直径1センチほどの薄い柔らかいグレーの和紙のようなもので、
その数は計り知れないほど入っている。
種を撒き散らすと、カスタネット状の実は枝から落ちるが、
時には中の種を撒き散ら無いまま落ちてくるものがある。
 
面白いかっこうの実を、
孫たちのお土産にと幾つか拾ってきた中に、
まだ種が入っているものがあった。
種は先ほど述べたが、大きさ1センチほどの軽い柔らかなグレーの和紙のようで、
長年着た洋服のポケットの隅に溜まった綿埃を思い起こしてもらえればよい。
それを1センチほどの大きさに平らにしたものが種だ。
 
早速、種を鉢に播いてみると、10日ほどで芽が出てきた。
10本くらいを株分けして、一鉢に2本宛て植えたらぐんぐん伸びて、
さらに株分けの必要が生じた。
成長の早い木で、昨年一年で、120センチほどに背が伸びた。
一株を一鉢に植え替えたが、残り5株の始末に困った。
一株を娘にプレゼント一株は近所のハナ好きの方に、
残り3本は育つかどうか分からないが庭に植えた。
 
それでもまだ五株残っており、3株はカミサンが育て、
2株はボクが花を咲かせるための実験用に育てている。
聞くところによると開花まで7~8年かかると言う。
早く咲かせるために、肥料の与え方、
水のやり方など少し試行錯誤して
育ててみようと言う算段である。

 
(東京で種を巻いたら出て来たジャカランダ)

先日、住所の自治体が運営する植物園へ行ったら、
ジャカランダの木がないので、
事務所によって差し上げたい旨話をすると、
お役人らしい回答が返ってきた。
「木はしかるべきところからキチンとした苗を
購入しますので頂戴は出来ません」という。

なんだかボクのジャカランダがまがい物で、
病気でも持っているようなことをいうので、
アフリカ旅行をして種を蒔き育てた事情を話すと、
「東京は寒いので育たないのではないか」とか、
「大きくなる木は無理です」とか言う。
つまり購入の権限が無いのだ。
 
(アフリカで撮ったジャカランダ)

一般にアフリカと言うと、
日本人は、熱いところというイメージしか持っていないのが普通である。
「アフリカと言っても、北半球と南半球の違いはあるが、
春夏秋冬があり日本と変わりないですよ。
東京では寒いと言いますが、
西馬込には街路樹として生えていますよ。
木が大きくなると言っても、この植物園には杉やヒノキ、
しいの木やケヤキ、榎だってありますよ。
大きくなる木がダメなら、
秋に枝を切り落とすぐらいのこと考えたらどうです?」
 
回答があまりにもいい加減であったので、
つい言い過ぎたが
「つまりいらないと言うことですね」と言って帰ってきた。
 
それにしても、早く花が咲かないものだろうか、
7~8年かかるでは、

残念だが命と競争になってしまう・・・


(ブーゲンビリア)

 
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南部アフリカ紀行ーテーブルマウンテン 旅のアルバムの処分(8)

2021年10月02日 04時06分05秒 | 南部アフリカ紀行
(ケープタウンとテーブルマウンテン)

 
 (ケープタウンと背景のテーブルマウンテン)

南アフリカのケープタウンは近代化された町である。
東京にもニューヨークにもロンドンにも、
比較できない洗練された街に見える。
施設が完備しており、トイレもショッピングも、
ホテルもレストランも近代的に整備されている。
そして街の背後にあるテーブルマウンテンがとても美しい。
 
そして逆にテーブルマウンテンから見たケープタウンも美しい。
海岸からテーブルマウンテンに広がる街は、
清潔で明るい太陽の下に輝いて見える。

 
(テーブルマウンテンから見たケープタウン)

そのテーブルマウンテンにはケーブルカーで登ることが出来る。
何人乗りか知らないが、相当の人数が乗れることは間違いない。
そのケーブルカーのゴンドラがテーブルマウンテンの降車駅に着くまでに、
360度1回転して、ケープタウンを、
ライオンが座り込んだ形を作っている山を、
地面に生える赤い花の群生を、
一望できる仕組みになっている。

(ライオンが座り込んでいるように思える山)

 
(ゴンドラは降車駅までに360℃回転する)

ケーブルカーを下りた山は、
その名の通りテーブルのように平らで、
海から吹き上げる風が強く、吹き飛ばされそうになる。
高所恐怖症のボクには、
テーブルの端にあたる場所には恐ろしくて近づけない。

 
(山から街を見下す)

テーブルの上、つまり山の頂には、
いろいろな花が咲き乱れていたそうであるが、
高い崖から下界を見るのは、
足元が振るえる高所恐怖症のボクには、
見下ろすことにだけ集中していて、
周りの花には何も気づかなかった。
 
テーブルの上を渡る冷たい風が、
海から吹き上げる湿って暖かい空気を冷やして雲を作るが、
その雲が山の上から流れ落ちていく様を、
テーブルクロスと名づけているのも頷ける。

(テーブルマウンテンから吹き降ろす雲はテーブルクロスに見える)

その純白なテーブルクロスと言われる雲の眺めを間近で見るのもまた美しい。
そのテーブルクロスの雲の様子をビデオに撮っていたら、
ボク一人ゴンドラに乗り遅れて

ツアー客の皆さんに迷惑をかけてしまった。


(アフリカ旅行はつづく)
 
 
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南部アフリカ紀行ーアパルトヘイトとマンデラ大統領 旅のアルバムの処分(7)

2021年09月25日 04時03分02秒 | 南部アフリカ紀行
 (アパルトヘイトとマンデラ大統領)

ノーベル平和賞を授与された南アフリカのマンデラ大統領は、
アパルトヘイト(人種隔離政策)から
黒人を救った偉大なる指導者である。

だから、南アフリカの観光地として、
マンデラ氏が生活した住居が、
観光名所として残されており、
教育の一環としてアフリカの子供たちが毎日のように見学に来ている。

 
(南アフリカの大統領マンデラ氏の家を見学) 

ガイドさんから、その住居を訪問する際の注意があった。
「バスを降りて、物売りの子供にお金をせびられても、
絶対買わないで欲しい。
子供たちは楽にお金を稼ぐ方へ流れて、
働いてお金を稼ぐことをしなくなるからです。」と。
 
しかし幸いなことに、マンデラ氏の住居に行く途中で
そうした子供たちに出くわすことは無かった。
よほど注意が徹底されているのであろう。
 
ネルソン・マンデラ氏は、
1918年アフリカに生まれる。
その自伝によれば、
「アフリカ人は、アフリカ人専用病院で生まれ、
アフリカ人専用バスで自宅に連れ帰らされ、
アフリカ人専用地域で育ち、アフリカ人専用学校に通う。
就職も、居住区も、汽車やバスも「専用」の差別
――アフリカ人の人生は、成長をむしばみ、
可能性を狭め、生活を妨げる差別的な法律や規則で
がんじがらめになっている。」
と述べている。
 
白人優先黒人差別のアパルトヘイト(人種隔離政策)
と戦い続けたアフリカ人の指導者、
ネルソン・マンデラは、
今では世界遺産に指定されているロペン島で、
27年に及ぶ投獄生活を経て、
アフリカ民族の人種・階級の差別を撤廃し、
アフリカ人に希望と勇気を与えた大功労者である。
 
マンデラ氏の住んでいた家は、
大変質素なもので、居間、食堂、寝室ともに狭く、
日本人のウサギ小屋と大差なかった。
それでも偉大な指導者の住いには、
子供たちが引率されて大挙して
見学に来ていたのを目の当たりにして、
マンデラ氏の偉業を肌で感じることが出来た。

 
(マンデラ大統領の家の食堂)

(居間)

(寝室)

(マンデラ大統領の家の見学に来る生徒たち)

しかし一方で黒人指導者の現在の施政について、
ガイドさんの話によれば、
「雇用主は必ず何%かの黒人を雇わなければならないとされ、
黒人であれば、誰もが無償で家を支給される」のは、
黒人優位のゆがんだものという。
 
(話遅れたが、この時のガイドさんは韓国人で、
自分には家が貰えていない不満があるように感じた。)

それにしても、バスが走る沿道には、
木の柱に石を載せたトタン屋根の、
腰をかがめなければ住まいに入ることが出来ない家が、
びっしり並んだスラム街が延々と続いているのは
どういうことなのだろう。
一度この生活に慣れると、その自由さに、
あるいは近隣の人情の機微に出会って、
離れることが出来なくなるのであろうか。
 
ガイドさんの話は続く、
「マンデラ氏は三回離婚して四度目の結婚をしているが、
その四度目の結婚相手は、
アフリカの大統領と同じ四度目の結婚を果たした女性」
であると言う。
 
話が変わるが、
ここで思いだすのは、
アメリカ人は白人であれ、黒人であれ、
とても動物的であるように思う。
 
例えば映画。
アメリカ映画の中には、
必ずと言っていいほどセックスシーンが出てくる。
日本で有名になった映画「マジソン群の橋」の初老の男女。
 
「プライベートライアン」における女性新聞記者と将校。
将校の部屋で、将校の両足をまたいで下半身裸でまたがり、
上下動をするセックスシーンは、少し生々しすぎと思えるし、
戦争映画の中にもセックスが出てくる必要はなさそうなのに・・・
 
「プリティウーマン」社会的地位の高いインテリ弁護士と
街の女の関係など、
 
映画の中で、街の女が訊く、
「Are you court?」と聞くシーンがあり、
太もものストッキングの間から、コンドームを取りだすシーン、
その他数えだしたらきりが無い。
 
映画の中に必ずこのような性にかかわる
シーンが出てくると言うことは、
このシーンが出てこないと
映画を見に来る人がいなくなることを恐れての製作
と思えてならないのである。
もちろん人の営みとして、必要なことであり、
開けっぴろげに出来ないことであるから、
余計興味をそそるのであろうが・・・

「それにしても恥知らずな」と思うのは、
儒家思想の日本人だからであろうか?
人間とは、「知恵、意志、感情を持った動物」と定義されるが、
その中の動物の部分が拡大された人種のように思えてならない。
それがアメリカ人だ。
 
(街にたむろする人達)

話を戻す。
ノーベル平和賞を貰ったネルソン・マンデラ氏は、
アフリカ人を守った偉大な指導者であることは認める。
しかし人として四度の結婚はどう見るべきなのだろうか。

相手の見極めが出来なかっただけでは片付けられない。
結婚するとき男女は、まったく別々の環境、
別々の両親、別々の考えで育っている。
従って二人の間には、一部は共感できるところはあっても、
共感できないところのほうが多いはずだ。
その共感できないところを、お互い補完しあいながら、
あるところでは一方が我慢・妥協し、
あるところでは他方が我慢・妥協して
生活が成り立っていき、新しい家庭が築かれていく。
どの家庭をとっても、一つとして同じものは無い。
一つ一つまったく違う家庭で育つ男女の結婚であるから、
どこかに違和感があるのはごく当たり前である。
 
それを我慢できずに四回結婚をするとなると、
ボクに言わせれば
「これはもう人としては0点である。動物でしかない。」
27年間の投獄生活での抑圧された生活からの
開放感が影響しているのか?
あるいは投獄生活で抑えに抑えられた闘争心が
姿を変えて現れてきた来たものだろうか?
 
マンデラ氏について、ガイドさんの説明を聞き、
住居を見学しながら
そう思った。

皆さん!!

ご意見が沢山ありそうに思えます。
 

(アフリカ旅行はつづく)
 
 
 
 
 


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南部アフリカ紀行ーサファリ 旅のアルバムの処分(6)

2021年09月20日 04時02分31秒 | 南部アフリカ紀行
(ボツアナのチョべ国立公園)
 
(サファリドライブとボートサファリ)
サファリと言う言葉をよく聞く。
○○サファリパーク、サファリ・ルックなどと使うが
サファリの本当の意味をボクは知らない。
そこで辞書を引いてみた。
safari=アフリカでの狩猟旅行、とある。
 
ボクがサファリで思い起こすのは、
へミングウエイの「キリマンジェロの雪」だ。
これはまさにアフリカの狩猟旅行である。
へミングウエイは狩猟や釣りをこよなく愛した。
そしてヘミングウエイの最後は、
事故か自殺か分からない彼の趣味の途中で死んでいった。
いくつかの小説を読むと分かるが、
人生どんなに努力しても何も残らないと、
虚無思想がどの本にも貫かれているから、
きっとどんなに良い小説を書いても何もならない、
と自ら死を求めたようにボクには思える。

本当はそんなこと判りきった上で、
生きる道を見出すのが、
人間本来の姿であるとボクは思う。
 
話がそれてしまったが、
ボクにとって最初のサファリは、
サンセットザンビア川クルーズであった。
あいにく曇り空でサンセットは望むべくも無かったが、
川には、野生のカバや鰐を見ることが出来た。
 
なによりも、日本では黒人を見ると、アメリカ人であったが、
ここでは正真正銘のアフリカ人を見ることが出来、
僕の好奇心を揺さぶった。
夕日が見えなくても、はじめてみるアフリカ人にすごく興味を持ち、
退屈する事は無かった。
この土着の人たちが、サンセットクルーズの船長を勤め、
英語を堪能に話し、観光客相手に説明するのは、
ボクには目を見張る光景であった。
 
第二次世界大戦直後、アメリカ兵が上陸し、
街中をジープで颯爽と走る姿を見て、
片言英語で話しかけた記憶がよみがえった。

しかし考えてみれば、
アフリカ人はイギリス植民地内に居住していたので、
英語を話すなんてことは、わけなく出来るのだ。
どちらかというと、
現地語はとっくの昔に忘れているのかもしれない。
供応される夕食もひょっとすると鰐の刺身や
サルのステーキが出てくるかと思ったが、
ボクの好奇心はいとも簡単に破られて、
ごくありふれた温野菜と焼いて
塩コショウで味付けした牛肉や豚肉が出てきた。
飲み物だけは、ボクの期待通り美味しいワインが出てきた。
 
翌日、本格的なサファリに出かける。
サファリといっても狩猟抜きのサファリである。
動物は乱獲で激減しており、今や保護されている状況である。
だから逆に野生動物見学が商売になるということだ。
 
発展途上国はどこへ行ってもそうであるが、
日本製の車が多い。
ここでも日本製の4WD(四輪駆動車)が使われている。
車の後部座席を改造し、運転席から後部座席まで、
階段状に競技場の観覧席様にしてある。
どの席に座っても、前後左右見渡せる状況である。
屋根にはシャワー除け、日よけを兼用してホロが張ってある。
高い天井だから雨が振り込んだらずぶ濡れになりそうだが、
普段乾燥しているから、現地の人は気にも留めないのだろう。


(ジープに5~6人づつ分乗してのサファリ)


(後ろに向かって座席は階段状に、
          前方が誰でも見えるように)

最初に見たのは鹿の仲間のインパラである。
それも遠くに居るが、
初めて野生のインパラを見るヤポネ(日本人)は、
キャアキャア喜んでいる。
毎日案内しているドライバーには、
馬鹿みたいに思えるに違いない。
水場に近づくと、遠くに鰐がトカゲが、水鳥がいる。
彼らには何も珍しくない、
ごく当たり前の風景である。

 
(インパラの赤ちゃん)

(お食事中のインパラ)

(ワニが餌を咥えている)

(トカゲ)

(水鳥)

しかし、野生のワニやトカゲは日本では見ることが出来ない。
ボクも含め日本人は大喜びである。
ロボットが音楽を奏でたり、
介護のために人を入浴させる姿を見て
アフリカ人が驚き喜ぶのと、
きっと同じに違いない。
 
米粒ほどにしか見えない象やキリンの姿をみて、
躍起になってカメラの望遠レンズに納める。
やがて道路の、手を伸ばせば届きそうなすぐ脇に、
インパラが木の芽を食べている。
25mほど先のすぐそばに、象が子供をつれて群れ、
僅かな木陰を求めてたむろしている。
ホロホロチョウや鷹、見たことも無い極彩色の小鳥や水鳥を楽しむ。

 (遠くに見えるキリン)

(ホロホロ鳥)

(子連れの象)

(恋人同士の象?)

午後はボートサファリである。
船に乗って川面から、
水を求めてやってくる動物達を観る企画だ。
もちろん水中に住むカバ、鰐の観察も、
水辺に集まる水鳥たちも観ることが出来る。
陸上で見るジープサファリより、
動物達を間近か観ることが出来る。


 (ボートサファリ)


(水に浮かぶ睡蓮の花)
(カバ)

(陸上で食事中のカバ)

(水辺を渡るゾウ達)

ただ、それだけのことで、
動物たちから見れば、
乗り物に乗った人間と言う動物たちが、
なんだか大声を上げながら、
今日も通って行くが、いつもと違って髪の毛は黒いし、
肌の色は小麦色をしている。
いつもの動物とは少し違う。

(鷲? 鷹?)

最近良く見かけるようになったが、
餌をくれるではなく、
なにやらガラスの目玉(カメラ)のようなものを向けているが、
まさかこれで殺されることは無いのだろうな・・・
 
そう思いながらこちらを見ているように思えてならない。

(アフリカ旅行はつづく)




 
 
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南部アフリカ紀行ー喜望峰 旅のアルバムの処分(5)

2021年09月18日 04時01分34秒 | 南部アフリカ紀行
(パソコンのリカバリにより写真喪失。
自分のビデオから取り込んだ写真を貼り付けてあります。)
 
(喜望峰)

喜望峰に着くと看板が立っており、
 Cape of Good Hopeと書いてあった。
日本語では「希望岬」と言うのだろうか。
喜望峰を直訳したような英語であるのにハポネのボクは嬉しくなった。
 
インド洋と大西洋がぶつかり合う荒々しい海に、
その岬は突き出ている。
大洋と大洋とがぶつかり合い激しい風がうずをまいている。
時には、立っていると吹き飛ばされそうになる。
風速25m以上はありそうだ。
 
つい最近、青森県の竜飛岬を訪ねた。
太平洋と日本海がぶつかり、
暖かい空気と冷たい空気がぶつかり合い、
激しい風に見舞われた。
ほんの10m程度の道路さえ、
風で吹き飛ばされそうになり、
体重の軽いカミさんは動けなくなった記憶がある。
道路を渡り終えたボクがまた元のところへ戻って、
カミさんの腕を取って道路を渡ったほどである。
 
喜望峰の西側はインド洋、手前側は大西洋で、
竜飛岬と同じように風が激しく吹いて、
立っているのがやっとである。

 
(喜望峰)

未開地のアフリカのさらに先の喜望峰には、
風の強いのも物ともしない動物達が歩いている。
やわらかい毛並みを風になびかせながら、
餌を求めてオランウータンの親子、
野生のダチョウや鹿が子ずれで歩いている。
 
(オランウータン)

(ダチョウの親子)

(鹿の子ずれ)

喜望峰は、15世紀の終わりに、
ヴァスコ・ダ・ガマがこの岬に到達して以来有名になった。
 
ヴァスコ・ダ・ガマが、
最初に目をつけたのが、気候が温暖なこと。
この地に野菜を栽培し、
船旅の敵である(壊血病)の解決のため
食糧補給基地にすることであった。
 
ボクの知識の中では、
喜望峰はヴァスコ・ダ・ガマによって最初に発見されたと思っていたが、
なんとヴァスコ・ダ・ガマより先に
喜望峰に到着した人が居た。
到達した人の名前はバーソロミュー・ディアスという。
南アフリカの人里はなれた丘陵に
その人の記念碑は立っている。
 
道路を挟んだ反対側に、同じような記念碑が建っており、
これがヴァスコ・ダ・ガマの記念碑である。
 
ヴァスコ・ダ・ガマは
バーソロミュー・ディアスより十年遅れて喜望峰に到着、
さらに船を進めてインドに到達した最初の人である。

大冒険家がこの岬を抜けて、
この先に何があるか分からない、
いや、何もないかも分からない海の上を、
風に任せて船を進めるには
よほどの好奇心と勇気が必要だったに違いない。
好奇心が勇気を鼓舞し、
勇気が行動を駆り立てる。
明日の命が無くなるかもしれない恐怖を乗り越え、
船を進める。
 
進む船の先に好奇の目は釘付けになっているに違いない。
仮に蜃気楼であろうとも、
そこに島影が見つかれば、
その島に好奇の目は注がれ、
島の上にある植物はもちろん、
動くものは何にでも目は注がれる。
それが波であれ、雲であれ、風に動く木の葉であれ、
そこに目新しい何かが無いか注目される。
冒険者のもつ好奇心だ。
何物にも代えがたい。
船員は壊血病で一人また一人と倒れていく。
その中でさらに先に船を進めようとする勇気と好奇心に
敬意を表したい。
 
ボクは長いこと、この「喜望峰」に来て、
「バスコ・ダ・ガマはいったいどんな気持ちで
この喜望峰を通り抜けて行ったのか」
 
現地で大冒険家に成りすまして体感してみたいと思っていた。
判ったことは、インド洋と大西洋の風がぶつかり、
荒れ狂う海を越えていくには、余計な感傷に浸っている余裕は無い。
船の舵をどちらに向け、帆をどのようにするか、
乗組員に迅速に指示しなければならないだろう。
 
水先案内人はいない。海の状況はどうなのか、
浅瀬なのか深いのか、岩が出ていないか、
時々刻々と動く気象の変化、海の変化に対応して、
速やかに判断し指示を下していかなければならないのだ。
 
未知の世界に挑む人が、ほっと反省するときが来るのは、
船を故郷に向けて引き返すときにしかないだろう。
 
喜望峰に来て、大冒険家の心を、
今回ほど偉大なものに感じたことがない。
 
(喜望峰のレストランで)

(アフリカ旅行はつづく)



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