(芭蕉の句碑)
旧中山道を歩いていると、芭蕉の句碑が目につく。
最初が、上州の新町にある八坂神社であった。
(新町の句碑)
・傘(からかさ)に 押しわけ見たる 柳かな 芭蕉
であった。
八坂神社には大きな柳の木があって、垂れ下がる柳の枝を傘で
押し分けて見たと言うのである。
(軽井沢の句碑)
軽井沢の芭蕉句碑には、
・馬さへ ながむる 雪のあした哉 (芭蕉)
(芭蕉「野ざらし紀行」中の一句。
雪ふりしきる朝方 往来を眺めていると、多くの旅人がさまざま風態をして通っていく。
人ばかりでない駄馬などまで普段と違って面白い格好で通っていくよ。
碑は天保14年(1843)当地の俳人によって建てられた。)(軽井沢町)とある。
追分宿の芭蕉句碑には
・吹き飛ばす 石も浅間の 野分けかな 芭蕉翁
とある。
(旧中山道追分宿の句碑)
説明によれば、
大自然石に雄渾な文字で、更科紀行中の句が刻まれ、
芭蕉百年忌に当たる寛政5年(1793)佐久の春秋庵の俳人たちが
建立したとものといわれている。(軽井沢町教育委員会)
また、八幡宿には、
・涼しさや すくに野松の 枝のなり 芭蕉翁
があった。
(八幡宿の句碑)
普通庭にある松は枝振りなどが、美しく曲げられているが、
(この松は真っ直ぐに伸びた枝が自然でとても良い、
それが涼しげである)という意味であろう。
次に旧中山道 洗馬宿のはずれににあった石碑で
・入梅(つゆ)はれの わたくし雨や 雲ちぎれ 芭蕉
とあった。
(洗馬宿の句碑)
この意味がわかりにくい。
(中山道 平沢宿の句碑)
さらに中山道の平沢なるところにある芭蕉句碑には、
・送られつ をくりつ果ては 木曽の秋 芭蕉
と読める。
しかし、芭蕉句集には、
・送られつ 別れつ果ては 木曽の秋
がある。
どちらかと言うと、(別れつ)の方が意味が解りやすいし、
一つの文章に同じ言葉を二つ入れない方が
ベターという事から考えても、
(別れつ)の句の方が良さそうである。
このように、芭蕉は旧中山道上に沢山の句碑を残している。
以前、歩いていた木曽路には、多く芭蕉句碑に出会った。
(調べた範囲では、長野県だけで256個の句碑が存在する。)
芭蕉の句は、ボクが知っている範囲(高校生時代に知った)では、
紀行文の中にある自然を詠んだ句が多く、
とても理解しやすい俳句が多いと思っていた。
たとえば、
・あらとうと 青葉若葉の 日の光
・荒海や 佐渡によこたふ 天の河
・いざ行かむ 雪見にころぶ 所まで
などである。
また同時に、自然が織り成す余韻が心にしみ込むような俳句で、
これまたとても解りやすい。
たとえば、
・古池や 蛙とびこむ 水の音
・しずかさや 岩にしみいる 蝉の声
などである。
(古池や~の句碑/清澄庭園)
緑色の藻が浮かぶような古い池の傍を通りかかると、
岸にいた蛙が逃げるようにして、「トポン」と池にとびこんだ。
とても解りやすい。
また「蝉の声」は山形の立石寺で詠んだといわれるが、
高いところにある山寺の閑(しず)けさが伝わってくる。
記憶に残っており、すぐ出てくるだけでもこれだけある。
例を引けばもっとあるに違いない。
しかし前述、洗馬宿の
・入梅(つゆ)はれの わたくし雨や 雲ちぎれ
の句は、「わたくし雨や」がどうも意味がわからない。
2008年10月に、この石碑を見てから、考え続けてきた。
仕方なく、芭蕉の句の解説書に手を出して読んでみたが、
残念ながらこの句の解説を、見つけることが出来ず今日に至っている。
とうとう、芭蕉の恋句(岩波新書)、芭蕉俳句集(岩波文庫)を手にして、
勉強に励んでいる。
「おくのほそ道」を歩けば、芭蕉の気持ちが解るかもしれない、
そう思って、歩いているが、
芭蕉の心が分かるだろうか・・・
はなはだ疑問である。
(後ろに芭蕉の木が見える)