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(岩村田宿2)
妙楽寺の参道入り口の木柱に「佐久の蘇民寺」と書いてある。
しかも(毎年1月8日には蘇民将来を祈願する法要を
千年以上執り行っているの記述には驚かされる。
百年ならまだしも千年の歴史ある祈願法要とはどんなものであろうか?
千年以上現代まで続いている蘇民将来の祈願法要については、
蘇民将来の物語が起源となっている。
その物語を、牛頭天王(ごずてんのう)の祭文
(祭文とは神仏に対する讃歌)より要約して以下に述べますが、
つたない現代語訳ですので、なにとぞご了承ください。
{蘇民将来の物語}
昔、蘇民将来(そみんしょうらい)、巨丹将来(こたんしょうらい)という兄弟がいました。
兄の蘇民は貧乏でしたが、他人と接するとき自分の家族のように扱いました。
一方、弟の巨丹は大金持ちで、大金持ちによくある、けちん坊を絵に描いたような男でした。
お釈迦様のいらっしゃる祇園精舎をお守りする神様に、
牛頭天王(ごずてんのう)という独身男性の神様がいました。
まだお嫁さんが決まっていないときに、
天竺の南から山鳩がやって来て、天王の庭の梅ノ木に止まり大声で、
さえずり言うには、
「南の国の竜宮には竜王の王女がいて、それはそれはたいへん美しくて、
三十二相(そう)、八十種好という特長を備えています。
(女性の容姿が美しく気立てがよく、女性として何事も器用にこなす女性。
つまり才色兼備の美人と言うこと。)
その王女こそきっと牛頭天王のお后(きさき)にふさわしいでしょう」というのです。
牛頭天王はこれを聞きつけて、不思議な思いに駆られ、
ついに長本元年(999年)一月十三日恋の道にあこがれ、
南に向かって王女のもとに出発されました。
旅の途中、疲れもたまり、日も暮れかかったので宿を探すと、
運良くそこにお金持ちと思われる家がありました。
主人の名は巨丹将来(こたんしょうらい)といい、
蘇民将来(そみんしょうらい)の弟の家でした。
一夜の宿をお願いすると、けちな巨丹は「貸す宿はない」と断ります。
天王は再三お願いしますが、「くどい」とばかり巨丹は怒って、
仲間や一族と共に天王を追い出しました。
天王の望みはかなわず、松の根方に隠れていますと、女が出てきました。
天王が「私に宿を貸してくれぬか」と頼むと、女が言うには
「私は、巨丹長者の家のものですが、巨丹は自分がお金持ちのため
人の悲しみがわからず、道行く人を気の毒に思う事がありません。
こうした事情でお宿はお貸しできませんが、
ここから東方に一里ほど行ってお宿をお借りなさると
よろしゅうございます。」と親切に申しました。
言われたように行ってみると、松ノ木の林がある所に、
一箇所木陰がありました。宿とするにはもってこいの場所です。
そこに立ち寄って宿を借りることにしました。
その時女が出てきて言うには「私が人間に見えますでしょうか?
雨風を着物として、松ノ木に寄り添うて過ごして来たものです。
これより東に一万里ほど行きますと、親切な人がいます。
そこでお宿をお借りになるとようございます。」
言葉にしたがって、天王はそこでお宿をお借りになりました。
すると蘇民将来というものが出てきて言うには、
「私は大変貧乏で、一夜の宿の食事とするようなものも、
あなたのような身分の高い方をお泊めするような所もございません。」と。
牛頭天王が重ねて
「ただ宿をお貸しいただければ、それで結構です。何も気にしません。
あなたが食べる食事をいただければ結構です。」といわれました。
蘇民将来は住んでいるところを片付けて粟がらを敷き、干した筵を
敷いて牛頭天王の休みどころとし、また粟の夕飯でもてなしました。
牛頭天王は、心安らかにお休みになり、翌朝出発というときに、
蘇民将来が「これからどちらにお出でになりますか」と尋ねると、
「私は龍宮の王女を恋してしまいました。王女にお逢いするために、
南海を目指して旅をしています。ところが昨夜巨丹長者が
宿を貸してくれないので、悔しい思いをしました。
いつか巨丹長者を罰して滅ぼしてしまおう。」といわれました。
すると蘇民は「巨丹長者の嫁は、自分の娘です。
巨丹長者を罰しなさっても、どうぞ私の娘はお除きください」と
頼みました。
「それは簡単なことである」と天王は仰って「柳の木でお札を作り
(蘇民将来の子孫なり)と書いて、男は左側、女は右側の腰紐に
掛けておきなさい。それを目印として許してやろう」といわれ、
南海を目指して出発なさいました。
その後、牛頭天王は龍宮の姫君に出会い結婚されて、
十二年のうちに八人の王子をもうけて帰国されました。
その従者は九万八千人もありました。
巨丹長者はこのことを聞くと、魔王が通るといって、
四方に鉄の塀を築いて、上空には鉄の網を張り、
屋敷を守り固めていました。
また、蘇民将来は天王が帰国されることを聞いて、
金の宮殿を造って待っておりました。
牛頭天王はこれを見て「これはどうしたことか?」と問われました。
蘇民が答えていうには、「以前、あなた様がお通りなされた後、
天より宝物が、地より泉が湧き出て、貧乏であった我が家は
あらゆる宝物で一杯になりました。
それであなた様を三日の間お泊め申したいのです。」と。
そんな訳で、天王は三日間お泊りになり巨丹長者のところへ使者を送り、
様子を窺わせたところ、天地を封鎖してアリの入る隙間もないという。
その時、目鼻の利く間者を入れて見張る中に、善智識の水が流れているところ
(=わずかな油断の隙間)がありました。
そこから侵入して、九万八千人の従者たちによって七日七夜のうちに
巨丹長者の一族を滅ばしてしまいました。
その後は「巨丹長者の子孫というものは、一人も生きることはできない。」と大王は言いました。
またその時より蘇民将来の子孫は許され、繁栄したということです。
ここまでが蘇民将来についての物語で、この物語からわかるように、
蘇民将来の大祭は、
(病気が治り、身も心も安穏で、長命になり、幸福がましますように!
七種の災難が無くなり、七種の幸いが生じ、家内は富んで、
子孫は繁盛しますように!
ことに邪気、怨霊、呪詛が遠くに追い払われますように!)
を祈願したものであることがわかる。