楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

若き年寄りの悩みーSeasoned citizenの悩み

2003年10月14日 10時07分00秒 | つれづれなるままに考えること
(副題 「Seasoned citizen」の悩み)

六十歳で定年になって、
いよいよ お年寄りの仲間入りと覚悟を決めた。

「定年後は、夫婦で海外旅行を楽しもう」と思って、
いざ始めてみると、
どっこい、
「お前は まだ年寄りの仲間に入れてやらない」
と言う雰囲気。

ツアーに参加している人達の中では、
一番の若年である。

「お前のような若い年寄りは悠悠自適なんぞもっての外、
もう少し仕事を続けて、その後で遊びの仲間に入れてやる」

と言わんばかりに感じ取れた。

ついで若い人が六十五歳。
その方が、あごで使われている感じ。

年長は八十歳には驚き。
「エー?いくつからが年寄りなんですか?」
そう思って「老人」について 
いろいろ知識を増やすよう努力した。

 まず「交通安全週間」のスローガンは
「老人と幼児の安全を守ろう」

交通整理をしている、お巡りさんに
「老人って何歳のこと?」 訊いた。
「六十五歳です」何のためらいもない。

そう言えば、自治体の国民健康保険課の老人保険制度は、
六十五歳からだったが七十歳からに徐々に変えていくという。

所得の税金の控除額が増えるのも、
年金が老齢基礎年金に名前を変るのも、
介護保険証が送られてくるのも、
ゴルフ場でシニヤ割引が効くのも、
その他にもっとあるのだろうが、
ぜーんぶ六十五歳からになっている。

それでは一体六十歳は、「年寄り」でなく、
なんと言うのだろう?
「若年寄り?」
「シニヤ?」
「実年?」
「壮年?」
どうも、適切な呼び名がない。
中途半端な世代である事がわかった。

しかし、映画館は六十歳から半額、
理髪店もゴルフ場も、
中には割引をシニヤ割引とし、年寄り扱いをしている。
どうも、六十歳からの五年間は
社会の都合で老人になったり、
そうでなかったりするもののようだ。

それなら、社会なんて関係なくこちらの都合で、
勝手に老人になったり、そうでなかったりしよう。

ある時は年寄り、ある時は中年、ある時は壮年、好きなように大変身! 

これでは、歌の題名「Wanted!」だが、
都合よく変身すれば良い。

そう思ったら、気楽になった。
すてきな女性の前では、気持ちは壮年で、
年配者の前では若年で、
図々しさは老人になって接すれば良いし、
電車の中では老人になって、
優先席に堂々と座れば良い。

混み合った買い物のレジでは
人を掻き分け老人として優先してもらう。(笑)

「考え様によっては実に都合の良い年代だなあ」と思った。 
いつか、何かの本で読んだことがあるが、
確かゴルフのレッスン書と思ったが、

「この時代の人たちを、「シニア」と呼ぶのは嫌いだ。」
そのゴルフのトレーナーいわく、
「シーズンド・シチズンという呼び名が好きだ」と言う。

早速辞書を手に取る。
[Seasoned citizen]「経験豊かな、酸いも甘いもかみ分けた人」とある。

ゴルフのレッスン書であるから、
さしずめ「経験豊富なプレーヤー」といった意味なのだろうか。

このゴルフ・トレーナーは
全米オープンやマスターズの優勝者を数々と育てた
名トレーナーで著作は、
「グリーン・ブック」や
「レッド・ブック」として、
ゴルフ・プレーヤー仲間では、
バイブル視されているレッスン書である。

それにしても「Seasoned citizen」
まさにぴったりの言葉ではないか。

これからは、「Seasoned citizen」でいこう。

なんだか、人生ばら色に見えてきた。
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転がってきた空き缶(10月10日の一善)

2003年10月13日 08時51分00秒 | つれづれなるままに考えること
言うは易し、行なうは難し。

・ 10月10日
(1)二車線の道路に一台駐車していて、小学生が下校途中であった。
大きなトラックが駐車車両の横をすり抜けようとするのだが、小学生がいて通行が危険。小学生二人の手を引いて、危なくないところまで誘導した。

(2)地下鉄で出かけた。平日とあって電車はガラガラにすいていた。
シートに座った。長いシートにボク一人だけ。向かいのシートにも一人、中年の女性が座っていた。次の駅が近づき電車がブレーキをかけ、スピードを落とした。するとボクの右側からジュースの空き缶が転がってきたので、それ以上転がらないように足で押さえ、かかとの方へ押しやり、それ以上動かないように押さえた。降りる時に持って降りて、所定の場所に投棄しようと考えていた。

缶が転がってきた方向を見ると、若い男女が椅子に座っており、なにやらひそひそ話し合っている。チラッと見たが、まさか彼らが缶を捨て損なった訳ではないだろうと思った。
もしそうなら、「失礼しました」と立ち上がって缶を取りに来るだろう。

そのまま缶を足で押さえているうちに、駅で電車は止まった。
向かい側の女性が降りるために立ち上がり、乗降口近くに座っている僕の前へ来るなり、かがみこんで、ボクが足で抑えていた空き缶を拾い上げて、降りていってしまった。アッと言う間の出来事で、ボクがお礼を言う間もなかった。

しかし、ボクと同じように一日一善を心がけている人もいるのだと
今日一日ほのぼのとした気持ちで過ごすことが出来た。


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⑳教授回診(檻の中14)

2003年10月12日 09時27分00秒 | つれづれなるままに考えること
(教授回診)

大学病院に一週間入院していると、ある曜日に教授回診がある。
当日は、朝から受け入れの準備に忙しい。部屋の掃除から、ベッドの清掃、患者はいつでも診察が受けられる体制でベッドに横たわる。
教授回診が行はれる30分前に、病棟を一回りすると、患者は一様に浴衣かパジャマ姿で、ベッドで静かに横になっている。一人として、立ち上がっていたり、お茶を飲んでいたりするものは居ない。
ちょうど、朝の魚河岸で、せりが始まる寸前のマグロのようにゴロンゴロンと転がっているようだ。マグロは、張りがあって艶があって見栄えがするが、年老いた人間がゴロゴロしている様なんぞ、シシャモの、しかも、子持ちでない、干からびたとても売り物にはなりそうも無い干物みたいなものである。

なんだか、どこかの大統領か、皇族が見舞いに来る、そんな受け入れ態勢である。
 
さて、教授がやってくると、担当医師が患者の前で待っており、その病状を教授に告げる。教授は「うむうむ」と聞いてから、やおら聴診器を患者の胸にあて様子を伺う。
「どうですか?」
「今日は、すこぶる快調です」と患者。
「お大事にしてください」で終わる。
 担当医師に聞くところによれば、前日全担当医が、回診する全患者について、病名と現在の治療状況を教授に報告して今後どのような治療方針でのぞむかを述べ、それに対して更に良い治療方法が無いか検討するという。したがって、回診教授は、患者の前では、この患者は、どんな状態にあり、どんな治療をしているか、予め承知の上診察しているという。
 
そこで、意地悪ではあるが、担当の先生方に質問した。

「教授回診には、どんな意味があるのですか?」

医師 1 「セレモニーでしかありませんよ!」

医師 2 「専門の医療について現在の治療方法は最適か、もっとベターな方法はないか、薬の量の限度はどれだけか?自分の専門外のところで意見を聞く」

医師 3 「若い医師に診察のあり方を教授する」

医師 4 「患者への接し方と内診のやり方を教授する」等など....

ある教授回診の日、隣のベッドのMさんの番が来たとき、患者病状の説明が悪かったのか、あるいは、何ヶ月も同じ病状で何も進展していないのに腹が立ったのか、教授が、声を荒げて

「レントゲン写真を見せてください。」
「これで何が分かりますか」矢継ぎ早に若い医師に質問を浴びせた。質問された医師は、返事に詰まって、
「....」
「このレントゲン写真では、何も分からない。以前の写真となんら変わりが無い。今大学には、高価な何億円もする最新のレントゲン機械が購入されているのに、それを利用して新たな治療に役立てようという気にはならないのですか?」と患者の前で叱咤した。
若い医師は、黙ったままであったが、これは、何の進展も無い患者へのデモンストレーションであったのか、あるいは、持っている機械はフルに活用して治療方法を見つけ出しなさいという意味か、はたまた、教授の権威を見せびらかしたのか、定かではない。

ボクの目には、「遅まきながら今から、良い治療法を見つけますからしばらくお待ちください」と言外で、患者にお詫びしているようにとれた。

 教授回診は、
1)この患者に、現在施されている治療方法は最適であろうか? 
2)さらにもっと良い治療方法は無いかを原点に返って模索する
3)若い医師に診察のあり方、患者への接し方を覚えてもらう。
 にあるようだ。医療の原点をいつまでも忘れず、週に一回ではあるが、若い医師たちに何時までもこの気持ちは忘れるではないぞと厳しく諭し、自らをも律しているように見えてならない。

 医者は、絶えず患者に最良の医療を施すのが使命である、と思うのはボクだけであろうか?

今ボクは月一回、通院して教授の診察を受けています。そこで教授回診の意義を尋ねたら
「患者に対して最終責任を持っているため、現場の主治医の報告だけではなく、実際に指示した治療が着実に行われているかの確認」もあるとのことです。

入院中の患者の皆さん!教授回診を面倒くさがらず、受診しましょう!
そして、日ごろ治療に関して疑問を持っていることをどしどし質問してみましょう!

それが若い先生を育て、自分に施されている医療がうまく行っているかの確認にもなります。

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人生は楽しい!-善いことをすれば、良いことがある

2003年10月08日 12時09分00秒 | つれづれなるままに考えること
(ディスカウント・ストア)

あるディスカウント・ストアの前の歩道に、
ゴルフ用の「麦わら帽子」を山済みにして売り出していた。

散歩途中に時々通る場所でもある。
商品は夏物で夏は終わりだから、
今買っても今年は使えない。
だから普通3000円はする商品が、

値段は 金980円也。

ボクは体のサイズは、スモールであるが、
頭だけは、ラージサイズ。
サイズを確かめて試着して、
気に入ったので買うことにした。

帽子を持って、
お店に入り、レジに品物をだしてお金を払おうとしたら、

係りの人が、「525円です。」と言う。

年配のオジサンである。
オジサン!間違いだよ!と思って、

「値段には、980円になっていますよ」と問いただした。

すると「はい、525円で結構です」と言う。

「どうして?安くなるから良いけれど...」すると、

オジサン曰く、
「以前、同じように歩道でショート・パンツを
ハンガーにかけて売り出したことがあります。
そのとき、誰かが試着したのか、
それをうまくハンガーに戻さなかったのか、
一着歩道に落ちていました。
通りがかったお客さん(ボクのこと)が、
それを拾い上げてハンガーに戻してくださったでしょう?
そのお礼です」という。

そう言われれば、ずいぶん前に陽射しの強い日だったが、
そんなことがあったことを、思い出した。
そんなことを見られていたんだ!そう思ったら、
とたんに照れくさくなってきた。

よく言う「天知る、地知る、わが身知る」あるいは、
「壁に耳あり、障子に目あり」と。

誰がどこで、見たり聞いたりしているかわからない。
また言う「因果応報」こんな時に使う言葉だと思った。

うれしくって、時期はずれの麦わら帽子をかぶって、
スキップで家に帰った。

人生は楽しい!

だから やめられない!!

(後になって聞いたところによれば、
そのオジサンはディスカウント・ストアの経営者であった。)

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昨日の一善 (一日一善)

2003年10月07日 09時11分00秒 | つれづれなるままに考えること
(席を譲る)

電車に乗って出かけた。
優先席が空いていたので、座った。

座って見回すと、向かい側の優先席に、
若い男女が座っている。

次の駅で、年配で白髪、杖をついた御婦人と夫らしき
二人が乗り込んできて、向かいの優先席の
前に立った。若い方が席を譲るだろうと、
期待していたが、譲る様子が無い。

「どうぞ!」とボクが席を譲った。
「いいえ結構です」御主人。
ボクは御主人に言ったつもりはないと言う顔で、「さあ!どうぞ」と御婦人に声をかけた。

「有難うございます」と御婦人は素直に椅子に腰を下ろした。亭主が「すみません」といった。

ボクは、今まで席を譲られた経験が無かったので、もし席を譲られたら、折角の好意に、なんとお断りしたらよいか、私の中で答えを出していなかった。

この3月、SARSが、まだ発生していない時
中国へ出かけた。成田空港のシャトル電車(?)に乗った時、椅子に腰を下ろしている外国人の若い女性と目が合った。女性は目が合ったトタン席を立って、手まねで 「どうぞ!」
このときは手まねで「ノー」と手を振ったが、言葉が通じる相手に、折角の好意をどう断るのが紳士的なんだろうか?今でも考え悩んでいる。

そんな年頃になった。


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