(霊鷲山、竹林精舎)
孫悟空でおなじみのお坊さん、玄奘三蔵法師が、
孫悟空でおなじみのお坊さん、玄奘三蔵法師が、
皇帝に当てた手紙の中で、
霊鷲山、竹林精舎を訪ねたと書いているが、
霊鷲山の山頂は、釈迦が弟子達に自分が悟った真理を説いた聖地であり、
「竹林精舎」は、釈迦が長い期間滞在した場所である。
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(竹林精舎)
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(竹林精舎横の池)
これらの場所は、沢山の観光客、仏教徒が訪れるためか、
土産物屋が並び、いつものことであるが、
観光客一人に物売りが一人ついてうるさく感じる。
この物売りが、入れ替わり立ち代りしつこくアプローチしてきて閉口する。
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(霊鷲山の山頂までの道のり)
霊鷲山の山頂までの道のりは比較的なだらかで、
じわりと汗ばむが、
修行僧とすれ違ったり、
野生のサルに出くわしたり、
途中で土産物屋さんに呼び止められたり、ただ昇るだけでなく、
変化があって、健康であれば昇ることはたやすい。
上り下りの間中しつこく物売りがついて歩くのが煩わしいだけである。
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(野生の猿)
山頂の一角が仕切られており、
今にも崩れそうな聖地を思わせる土台だけが残っているが、
その場所からの見晴らしは、さすがに神々しく感じられた。
ちょうど夕日が山上にきており、その美しさは、
ちょうど夕日が山上にきており、その美しさは、
釈迦の時代も今も同じだったろうと感激した。
(残念ながら写真が無い)
その山のふもとに竹林精舎はあるが、
時の王が、釈迦の教団に寄進したもので、
今では塀で囲まれた美しい公園になっている。
竹林精舎の近くに日本山妙法寺があり、
今から80年前の1936年に、釈迦の一生を描いた壁画が、
日本人により描かれている。
仏教を修行する人たちの宿泊所も備えており、
仏教を修行する人たちの宿泊所も備えており、
ボクたち日本人観光客が訪れると、
お茶の接待にあずかった。
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(日本山妙法寺の鐘)
住職が在宅であれば説法が行われるというが、
残念といおうか、助かったといおうか、
あいにくお留守で、不謹慎であるが、
ホッと胸をなでおろし安堵したのはボクだけでなく、
ツアー客全員同じ思いであったに違いない。
日本人の仏教への関心は、およそこんな程度である。
以前カンボジアのアンコールワットを訪ねたとき、
20歳前後の女性ガイドさんから、
「日本は、大乗仏教ですか、小乗仏教ですか?」
と問われたとき、ハタと困った。
返事が出来ないのである。
ボクは、15歳のとき弟を失い、
母を22歳で、父を翌年の23歳で亡くし、
当然仏式で葬式を行ったが、
ただ仏式で行ったというだけのこと。
仏教については、悪がきだった小学生のころ、
精神修養をかねて隣の家の日蓮宗のお寺の日曜学校に行かされた。
我が家の宗旨は、浄土真宗であったが、
そのお寺で、毎日曜日、
日蓮宗の法華経を朗読させられたことぐらいしか、
仏教についての知識がない。
二問中一問を選択する問題であるから、
間違っても旅の恥はかき捨てと、「小乗仏教」と答えたら、
「ブ~~、大乗仏教です」と馬鹿にされた。
ボクを含めて、
およそ日本人くらい宗教にうとい人種は世界に少ないとされる。
姪がアメリカに留学して、教授から、
「日本人は何故宗教に弱いのか」の題で、
レポートを出し発表する様に、宿題が出たくらいだ。
姪は、解らないので母親に訊ねたら、
母親(ボクの姉)はボクに聞く様にと答えた。
ボクはこの時、恥を掻いた後だったので、
しっかり勉強していた。
解りやすく説明してあげた結果、
姪は、このレポートで95点の合格点だったという。
「不足分の五点は何ですか?」と聞いたら、
彼女の英語力だと言う。
子供に解るように教えたのが、帰って良くなかったらしく、
レポートが幼稚であると言うことだったそうな。
話が脱線してしまったが、アメリカ人には、
いえ、世界の国々の人には、日本人の宗教観は、
こんなもんだと思われているのが現実である。
日本人の宗教は、
正月は神社に初もうでし、
キリスト教のクリスマスを祝い、
8月は仏式のお盆休み、
そのうちラマダンの断食をして日が落ちると、
ご馳走をたらふく食べてドンちゃん騒ぎのイスラム、
そして都合が悪くなると
「それは神の思し召し」とばかり
「インシャ・アッラー」といいかねないのである。
カンボジアから帰国後、仏教について、
それなりの勉強を試みた。
徹底して勉強した後、今までの不謹慎で、
徹底して勉強した後、今までの不謹慎で、
罰が当たったのか、
すぐ上の姉が亡くなり、長姉が夫を失い、
いずれも仏式で葬式は営まれた。
それにしてもいろんな疑問をいだき、よく勉強した。
それにしてもいろんな疑問をいだき、よく勉強した。
みなさん!
次の問題に答えられますか?
真言や天台はなぜ仏教なのに密教というか?
お経には何が書かれているか?
大乗と小乗仏教との違いとか?
そして法然が説いた浄土宗でいう南無阿弥陀仏は
どういう意味を持っているか?
また、親鸞が説いた浄土真宗でいう南無阿弥陀仏とは
どう違うのでしょうか?などなど...
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(祈る仏教の修行僧 1)
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(祈る仏教の修行僧 2)
脱線してしまったが、
インドから中国を経て、朝鮮から日本に伝わった仏教については、
ボクが考えるよりもっと奥深いものがあることを、
噛み締めている現在である。
そしてインドの仏教聖地を訪れる修行僧の祈りの声と、
そしてインドの仏教聖地を訪れる修行僧の祈りの声と、
彼らが持つ澄んだ瞳には、誰をも寄せ付けない、
奥深い仏教への帰依が伺われた。