楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

河津桜

2018年02月28日 05時29分13秒 | 日記
2/19日の基保育園の園庭の

河津桜が咲いた。

(日の基保育園の河津桜)


(河津桜の拡大)
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龍福寺の紅梅

2018年02月24日 04時55分32秒 | 日記
近所の龍福寺の紅梅が盛りだ。

山門を入った先の左手と本堂前にも咲いていた。
間もなく門前の白い梅も咲きそうだ。

(龍福寺の梅)

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持賞す

2018年02月21日 04時57分24秒 | つれづれなるままに考えること

表題の文字が読める人はかなり高い教養のある方と尊敬します。

この所、庚申塔のことを書いてきましたが、
庚申の日に眠らず徹夜をして青面金剛を祝うお祭りを、
「庚申待(こうしんまち)」と言っていました。
この祭りは、全日本各地に広がっていたことが解ります。

(青面金剛像)


芭蕉の奥の細道の旅に同行した曽良の旅日記に、
次のようにある。

もちろん旧暦の事であるが、

「〇五月廿五日 折々小雨ス。大石田ヨリ川水入来、連衆故障有テ俳ナシ。
        夜ニ入、秋調ニテ庚申待ニテ被招。
    廿六日 昼ヨリ於遊川東陽持賞ス
        此日も小雨ス。 」

とある。

例によってボクの勝手な現代語訳であるが、日付は旧暦のまま、

「〇五月廿五日 時々小雨が降る。大石田(山形県大石田町)から
        川水(俳号、大石田の庄屋)がお出でになったが、
        俳句仲間に都合の悪い人があって、俳句の会は取りやめ。
        夜になって、秋調(俳号、歌川仁左衛門)の所で、
        「庚申待」に招かれ一夜を明かした。
    廿六日 昼から庄屋の遊川(俳号、沼沢所左衛門)の家で、
        東陽(俳号、秋調の父で、医者)がもてなした。」

となる。

庚申の日には、三尸(さんし)の虫が、
夜中に本人が眠っている間に体内から抜け出して、
その人の悪行を天帝に告げ口をする。
天帝はその告げ口により、人の寿命を短くすることが信じられていた。
これを避けるために夜寝ないで過ごすのを「庚申待」と言っていた。

ここでお分かりになったと思いますが、
表題の「持賞す」は「もてなす」と読める。

いかがでしたでしょうか・・・・。


     
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ヴァレンタイン・ランチ

2018年02月19日 04時00分11秒 | 日記
2月14日に娘と食事会。
レストランに入ったらヴァレンタイン・ランチがありますと言う。

少々高いが、ヴァレンタイン・ランチにした。

スープ、野菜サラダ、ハンバーグ・チーズ香菜つき、
デザート・ケーキ、コーヒー。

娘はハンバ―グが美味しい美味しいと言って食べた。
しばらくして出てきたケーキ。

とっても可愛らしい!
思わず写真を撮ってしまった。

(可愛いケーキ)



ハートの形をしたクッキー、イチゴ付き、葉っぱの形はチョコであった。
そして、ケーキの真ん中にホワイトチョコが入った手の込んだケーキであった。

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旧中山道ー板橋観光センター

2018年02月17日 04時40分49秒 | ひとり歩き旅
前回、板橋宿 平尾脇本陣跡から出て来たら、
旧中山道の案内広場がある所まで書いた。

(その案内広場)


中山道69次の案内と順次中山道の各宿場の案内が掲示されている。
(板橋宿の案内看板1)

(板橋宿の案内看板2)


更に広場の地面には、
日本橋から板橋宿~京都三条大橋まで、
69次の宿場図が描かれている。

(地面に描かれた各宿場図1 日本橋~)


ここにはスタート地点の日本橋から最初の宿場板橋から15番 上州の安中宿まで、

(地面に描かれた各宿場図 16次松井田宿~)

16番松井田宿から27番 信濃の長久保宿まで、

(地面に描かれた各宿場図 28次和田宿」~)


28番和田宿から中山道最大の難関 碓氷峠を越えて島崎藤村が描いた43番木曽の馬籠宿まで、

(地面に描かれた各宿場図 44番落合宿~)


44番落合宿から美濃の木曽川の水運の船着き場ととして栄えた伏見宿まで、

(地面に描かれた各宿場図 51番太田宿~)


渡しがある51番太田宿から、古い古い昔から霊仙山の地下水が清らかな61番 醒井宿まで、
(地面に描かれた各宿場図 62番番場宿~)

そして最後が「瞼の母」で有名な主人公 番場の忠太郎の番場宿から京都三条大橋までが敷き詰められている。

中山道を歩きたい方は、この広場でその醍醐味を満喫されては如何?
ほんの十分ほどで完歩できますし、掲示板で知識も得られます。

この広場を横に見て旧中山道を進むと、
「板橋観光センター」右への案内看板が見えるので寄ってみよう。

(「板橋観光センター」案内看板)

(板橋観光センター)

(「板橋観光センター」入り口の看板)


この板橋観光センターには、板橋区の観光案内のボランティアガイドがいらっしゃって、
希望に応じ板橋宿を無料で案内して頂ける。

ガイドは毎日(火曜日を除く)
時間はPM13時より

なお、多人数でガイドを受けたい方は、
二週間ほど前に申し込んで置くと良い。

微に入り細に渡りガイドをしていただける。

さて、この観光センターには、昔の板橋の様子や、
初代 縁切り榎の残りや、中山道分間延絵図など見ることが出来る。

庚申塔、近藤勇の今までに書いたことなど、皇女和宮の当時の様子なども、
案内してくださると思われます。

(観光センター内の板橋の写真)

(東光寺にあった庚申塔のレプリカ)


観光センターを出て中山道を進むと信号があって、
その向こうが板橋も仲宿になり、中山道を歩くと各宿場で必ず訊かれるのが
板橋のことと縁切りエノキのこと。
この先にこの両方があります。

それでは今回はこの辺で・・・・。
コメント (3)
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