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URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2005/11/ustrongstrongu_15e9.html
岩波文庫の小林一茶の「七番日記」に、興味深いことが巻末に記されているので紹介したい。
「七番日記」の頃の生活と題して、巻末に解説がある。その中に
菊という女性と結婚した一茶は、
(夫婦仲むつまじく、「婦夫月見」文化十三年八月十五日、
「菊と中山萱刈 萱取 栗拾い」同年九月五日、といった微笑ましい記事も散見する。
一茶の結婚生活はひとまず順調にスタートを切ったらしい。
しかし、時にはいざこざもあったらしく、日記の八月二日の項に、
夕方菊女の姿が突然見えなくなったので、「古間川まで探すところ
不見、然所家尻に洗濯していたりしとかや」という事件があった。
川まで捜しにいったというところに、一茶の狼狽振りが窺がわれる。
翌日の記事には「春さしたるボケ、青々と葉を出したる所菊女一旦の怒にひきぬく」とあり、
余憤いまだ収まらずの感がある。
菊女は赤川の実家に帰り、相談などもしたらしいが、八日には
「夕方一雨(中略)菊女かえる、夜五交合」とめでたく
和合している。それよりしばらく「寒 夜雷雨(中略)三交」とか、
「墓詣 夜三交」「通夜大雷 四交」とか記事が続き、
この前後には、強精用の薬草を採取する記事も見える)
とある。
日記だから人に言えぬようなことを書いているが、
一茶の生活ぶりが如実に窺がえ、微笑ましい。
(岩波文庫:巻末の解説からの抜粋)
しかし、如何に精力絶倫とはいえ、夫婦生活は、実際には一夜に
五交、四交など余ほどの若さでないと実行不可能である。
ボクは結婚したのが28歳で当時は晩婚であった。
当時定年は五十五歳であったので、子供を定年までに
大学を卒業させて置きたいという願いから、
33歳までに産み終えておきたいと思った。
だから、すぐにも子供が欲しかった。
しかし、結婚して三ヶ月たち四ヶ月たっても、兆候が無い。
そこで産婦人科に夫婦で通うことになった。
夫婦共に異常は見つからなかったが、カミさんが毎朝体温を
測ることになった。
一ヶ月二ヶ月経ち、体温表をグラフにして婦人科に通うこと三ヶ月。
その第二週に入った時、医師から
「今日から三日以内に、頑張れば子供が出来る」と言われた。
この時、ずいぶん「頑張って、それでも夜三交」であった。
そして長男が生まれた。 参考までに・・・
URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2005/11/ustrongstrongu_15e9.html
岩波文庫の小林一茶の「七番日記」に、興味深いことが巻末に記されているので紹介したい。
「七番日記」の頃の生活と題して、巻末に解説がある。その中に
菊という女性と結婚した一茶は、
(夫婦仲むつまじく、「婦夫月見」文化十三年八月十五日、
「菊と中山萱刈 萱取 栗拾い」同年九月五日、といった微笑ましい記事も散見する。
一茶の結婚生活はひとまず順調にスタートを切ったらしい。
しかし、時にはいざこざもあったらしく、日記の八月二日の項に、
夕方菊女の姿が突然見えなくなったので、「古間川まで探すところ
不見、然所家尻に洗濯していたりしとかや」という事件があった。
川まで捜しにいったというところに、一茶の狼狽振りが窺がわれる。
翌日の記事には「春さしたるボケ、青々と葉を出したる所菊女一旦の怒にひきぬく」とあり、
余憤いまだ収まらずの感がある。
菊女は赤川の実家に帰り、相談などもしたらしいが、八日には
「夕方一雨(中略)菊女かえる、夜五交合」とめでたく
和合している。それよりしばらく「寒 夜雷雨(中略)三交」とか、
「墓詣 夜三交」「通夜大雷 四交」とか記事が続き、
この前後には、強精用の薬草を採取する記事も見える)
とある。
日記だから人に言えぬようなことを書いているが、
一茶の生活ぶりが如実に窺がえ、微笑ましい。
(岩波文庫:巻末の解説からの抜粋)
しかし、如何に精力絶倫とはいえ、夫婦生活は、実際には一夜に
五交、四交など余ほどの若さでないと実行不可能である。
ボクは結婚したのが28歳で当時は晩婚であった。
当時定年は五十五歳であったので、子供を定年までに
大学を卒業させて置きたいという願いから、
33歳までに産み終えておきたいと思った。
だから、すぐにも子供が欲しかった。
しかし、結婚して三ヶ月たち四ヶ月たっても、兆候が無い。
そこで産婦人科に夫婦で通うことになった。
夫婦共に異常は見つからなかったが、カミさんが毎朝体温を
測ることになった。
一ヶ月二ヶ月経ち、体温表をグラフにして婦人科に通うこと三ヶ月。
その第二週に入った時、医師から
「今日から三日以内に、頑張れば子供が出来る」と言われた。
この時、ずいぶん「頑張って、それでも夜三交」であった。
そして長男が生まれた。 参考までに・・・