楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

30%、50%、70%(その2)

2020年01月29日 04時51分03秒 | つれづれなるままに考えること
50%とはどんな数字?


その昔、ビール業界はキリンが沢山売れていた。

占有率50%になると、居酒屋でも、バーでも、「ビールちょうだい」と言うと

黙って居てもキリンが出てくる。

友達との会話でも、

「昨日飲みに行ってビールをしこたま飲んだので、今日は二日酔い気味だ。」

な~んて時でも、飲んだビールは疑いなくキリンが、お互いの頭の中にある。


話は飛ぶが、今度は70%の話だ。

今、関東地方では、向こう30年以内に70%の確率で地震が発生すると予想されている。



ボクがガンで「3年間生存率 30%」は、三年間生きられるのは、

たった30%しかない、しかも3年以上は生きられるかどうか解らない。

早い話が、ほとんど生き延びるのは難しいのだ。


そこで地震であるが、地震が発生しない確率は「30年の間に30%」しかないのだ。

と言うことは、地震はまず起こるに違いない。

それが30年以内のいつなのかが解らないだけである。

発表になってから、すでに何年か経過している。

いつ起きるか解らないのに、人は暢気なものだ。

「自分は助かる」と思って居る。


ガンの時でもそうだ。

「三年間生存率 30%」と告知されて、

「自分は助かる」とほとんどの人は思って居る。

ボクがこの「三年間生存率 30%」を告知されて、

4人部屋に入院した。

翌日、一人が退院した。

そこでこの退院した人にあやかって、

自分のベッドをその後に移れる様に頼んで聞き入れられた。

退院が出来るようにゲン担ぎをしたのである。

この部屋の入院患者は、ボクが6か月入院して居る間に、

二回人が入れ替わって居る。

つまり、完治して退院したのでは無く、いなくなったのだ。


ガンも地震も確率の考えは同じだ。

30%は限りなく0に近いし、

70%と言えば、限りなく100%に近い。

地震も70%の確率で、

関東大震災並みの地震が起きると予想されているのに、

以外に皆さん 平気でいる。

自分だけには起こらないと思って居るのだろうか。

用心して、し過ぎたと言うことにはならない筈なのに・・・・。








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板橋仲宿ー本陣、脇本陣

2020年01月25日 04時56分13秒 | つれづれなるままに考えること
中山道は日本橋から数えて最初の宿場町の板橋宿に入る。

板橋宿は、宿場が三つに分かれていて、

日本橋寄りが平尾宿、次が仲宿、一番京都寄りが上宿となって居る。

「一寸法師」の歌にあるように、

「指に足りない一寸法師、

 小さな体に大きな望み、

 お椀の船に箸の櫂、

 京へはるばる上りゆく」

とあるように、

今は東京に向かって上り列車になるが、

江戸時代は、京都に向かって上ると言った、

それは天皇が京都御所にお住まいだったからに違いない。

と言う訳で、中山道を通じて、

京都寄りが上宿になって居る。

ただ一カ所、木曽だけは東京寄りが上(かみ)になって居る。

と言うのは、江戸に幕府を置いた徳川家本家があるためである。

木曽は尾張藩の管轄区域で、尾張徳川家が木曽を管理して居たからだと思われる。



話が脱線してしまった。元へ戻そう。


板橋宿の中心になる仲宿に入って行く。

(仲宿のアーケード)


仲宿には本陣跡、脇本陣跡、文殊院と板橋区の名前の由来となった板の橋がある。

賑やかな仲宿の商店街の通りを歩いて行くと、

右側に、スーパーマーケットが見えるが、

(スーパーマーケット)


その手前の不動産屋の店先に、板橋宿本陣跡の碑が立っている。

(板橋宿本陣跡の碑)


江戸時代の終わりには、ここが本陣だった所である。

実はここは当初は脇本陣だったのである。

所が話が少々厄介であるが、

もともとは本陣家だった当主が脇本陣家に本陣家を譲り、

自らは脇本陣家になった。

どんな事情があったか定かではないが、

おもてなしや礼儀作法までは、

本陣家になった脇本陣家に譲ることが無かったと思われる。

(脇本陣の跡碑)


(旧街道からは奥まった所にある脇本陣家跡の碑)



時の天皇家の御妹 和宮が降嫁して江戸に下る折中山道を25泊されたが、

全て本陣家のお泊りになったのに、

板橋宿だけは脇本陣家にお泊りになったことでも解る。

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胡蝶蘭

2020年01月22日 04時30分50秒 | 日記
その昔咲かした胡蝶蘭。 

全部で22個咲いたのですが、

同時には21個咲いていました。

一株から咲いた胡蝶蘭の最高でした。

その後、花とともに葉も茎も枯れてしまいました。


(この時は15個咲いている)
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遅まきながら初もうで

2020年01月18日 14時24分35秒 | つれづれなるままに考えること
初もうでをしました。

いつもなら正月三が日の間に行くのですが、

混んでて本殿から鳥居脇まで初もうでの人が参道に並ぶので、

それが辛くて遅くなりました。

きっと神様もご近所のよしみで事情をお察し下さり、

「無病息災、五穀豊穣、家内安全」を お聞き届けてくださるでしょう。

(神社の鳥居)


「郷社 熊野神社」と書かれた石碑の隣に鳥居はあり、

鳥居の変額には「熊野宮」と書かれています。

熊野本宮大社の分社は全国に3千社あると言われており、

関東における熊野神社の一つと思われます。

(参道と石灯籠)


このなが~い参道が二列では長すぎて、

神社の方が四列でお願いします、と声かけをしている。

参道と本殿の中間にある石灯籠は鉄の柵に囲まれ、

子供たちが誤って触れて倒れないように工夫されている。

なんでも古~い灯籠のようだ。

参道途中に「志村城跡」の碑がある。

(同じく参道途中にある志村城址の石碑)


この熊野神社は、元は志村城があった所に建てられており、

社殿の後ろの森には、空堀の跡が残って居る。

更に左手には小学校があるが、

これが志村城の本丸跡に建てられている。

城は荒川に囲まれた丘陵に建てられており、

難攻不落と言われていた。

最もどのお城も攻め易い場所には建てられていない。

(手水舎)


途中にある手水舎、ここで手を洗いうがいをして身を清める。

(本殿と右手の絵馬殿)


本殿で無病息災と家内安全、五穀豊穣をお祈りする。

本殿右横には絵馬殿がある。

(絵馬殿)


この絵馬殿には、地域住民により奉納されたもので、

古くは寛政七年(1795)の絵馬があり、

板橋区の有形文化財となって居る。

残念ながら撮影が下手で、

何が描かれているのか判然としないのが、残念。

(絵馬の数々1)御神楽のように見えます。




(絵馬の数々2)烏帽子に裃で座って居る人達が集っているようです。




(絵馬の数々3)神社がお城であった頃を描いているような気がします。





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仏教について4(東南アジアのたび 4)

2020年01月09日 20時46分43秒 | 東南アジアの旅
(仏教について)

カンボジアに到着して、夕食を摂っていたところ、
壁にイグアナほどもあるような
(本物のイグアナは、映画でしか見たことがないが)、
大きなトカゲようのヤモリが壁の上のほうにへばりついていた。

一匹じゃない二匹、三匹といるのには、驚いた。
次に驚いたのが、カンボジアでは、75%近くが仏教徒で、
結婚式も仏前で行われ、見合い結婚が多く、
殆どが見合い結婚ということである。

恋愛結婚は相手の素性がわからないので危険だから少ないという。
若いガイドさんに

「あなたは、どちらで結婚する方がよいですか?」
と聞いたら

「見合い結婚です」と、

即座に答えが返ってきた。

仏教徒が多いと言うことと、
見合い結婚が多いということに関連は無いと思われるが、
仏教の話になったらすぐ質問に出会った。

22歳の若いガイドさんから。

「日本の仏教は、小乗仏教ですか、大乗仏教ですか?」

恥ずかしながらボクは以前、
大乗か小乗か読んだ気がしたが、突然の質問であわてていたので、
どちらがどういう意味があると思い出しもせず、
二者択一の問題だから、

軽く考え「小乗仏教」と答えた。

「ブー、大乗仏教です」という。

仏教に熱心な国のお嬢さんに、仏教のことを訊かれ、
そして教えられて痛く恥を掻いた。
第一、日本の仏教は一般に布教されるまで、
まだ800年の歴史しかない。
法然の浄土宗で「南無阿弥陀仏」を唱えれば、
極楽往生を遂げることが出来る。(天国へいけるということ)

そこから始まり、親鸞の浄土真宗にいたっては

「南無阿弥陀仏を唱えようとする気持ちがあれば」
すでに南無阿弥陀仏を唱えたようなものであるから、
極楽浄土へいけると、言うことになっている。

つまり日本の仏教では、
何もしなくとも極楽浄土は確保できているので(天国へいけるので)、
改まって仏教を知る必要も無いのだ。
だから、一部を除けば殆どの日本人は、
仏教のことは「南無阿弥陀仏」以外知らない、
といっても過言ではない。

(叱責を買うかもしれないが言い切ろう)

いや「南無阿弥陀仏」さえ知らない人の方が多いかも知れない。
まして、善人より悪人の方が極楽往生しやすい、
などと「歎異抄」に述べられているから、
もはや誰も仏教を勉強しようとする人は出てこない。

カンボジアで恥を掻いて、一所懸命勉強したから、
少しは、仏教のことがボクも分かるようになった。

最近、葬式や法事にくる坊さんが日本人の仏教知識の無さを嘆いて、
喪主などに、あるいは年配者に向かって仏教について話をするのであるが、
話を聞く人は、半分わかったような顔をして聞いているが、
本当のところは、早く終わってくれないだろうかとしか思っていない。

そんな時、坊さんも、仏教についてもっと興味がもてるように
わかり易く教えられないだろうかと、思ってしまう。
坊さんは、すぐに信仰について話を持っていくので、
受け答える人たちは、宣伝と勘違いして、
胡散(うさん)臭そうにしているのが普通である。

西遊記から始まって、玄奘(三蔵法師のこと)についての話、
孫悟空、猪八戒、沙悟浄の話、
持ち帰ったお経の話、
そのお経は何が書いてあり、
どんな意味を持つのか、
そして「大唐西域記」はどんな本であったかなど、
話をしていけば容易に、
仏教について興味を待たせることができるのに....。

お坊さんにも、もう少し布教の仕方を勉強させるべきである。
お経を読んで、お布施を貰うだけの金儲け主義では、
誰もありがたいと思って、心からお布施なんか出す気にはならない。

(もっとも、まじめなお坊さんも沢山いらっしゃるが...)

ましてや、如何に慈悲深いお釈迦様だって、
人間を極楽へ導くことは、難しいとお思いになるに違いない。
本当は、お経を読むということは、皆さんに代わって、
極楽へどうぞ行かせてくださいと、
お釈迦様にお願い?
と慈悲を仰いでいるのだから、
ありがたいと思うようになるだろうし、
お礼にたくさんお金を包むのも、
当たり前ということになるだろう。
そうすれば(お布施をたくさん包めば)、
お釈迦様もお慈悲で、極楽(天国)へ皆さんをお導きになるに違いない。

ついでに、お話しておこう。

三蔵法師の三蔵とは、
1)お釈迦様の教えを理解し、
2)その教えに従い自らを律することが出来、
3)その教えを広めることが出来る、
の三つをさしているとのこと。

また、「歎異抄」では、

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と。世の人つねに問いていわく、
「悪人なお持て往生をとぐ、いわんや善人をや」と、ある。

ボクの簡単な口語訳では
(「歎異抄」では、
親鸞は「善人でさえ天国にいけるのに、どうして悪人が天国に行けないことがあるものか」と説いた。
世間の人は不思議がって
「悪人でさえ天国にいけるのに、善人が天国に行けないことがあるものか」
の間違いではないかと質問した。

親鸞答えていわく、悪人は、悪いことをしているから天国へいけないことを知っている。
だから、善人よりも強く極楽へ生かせて欲しいと阿弥陀様のお慈悲にすがるはずである。
だから、お釈迦様は善人より悪人の方を極楽へお導きになる。と言っている。)

いつか、旅の終わりに17歳にして三蔵と呼ばれた玄奘が、
苦難を乗り越え、天竺へ行き、
そして帰った道のりを「西遊記」さながら旅してみたいものだ。
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