(常念寺)

(那須・黒羽3)
那須神社より国道461号線を東へ約4km、
国道294号線との交差点を左折。
左側に常念寺がある。
この参道左手に芭蕉句碑があり、
・野を横に馬牽きむけよほととぎす はせを
が刻まれている。
この句は芭蕉が黒羽から殺生石に向かうとき、
馬子から「短冊得させよ」と乞われて、作った句である。
まさか馬子から、俳句の短冊が欲しいなど乞われるはずも無いと、
思いがけない頼みに感じ入って作った句である。
馬子の教養がしのばれる。
(参道左の芭蕉句碑)

(「野を横に」の句碑)

常念寺を出て道を左へとると、ややあって右側に明王寺があり、
手前左手に明王寺の駐車場がある。
この境内の右手手水鉢の奥に、芭蕉句碑がある。
句碑横の説明によれば、
芭蕉が黒羽に滞在中歌仙の興行があった。
その36句の中から明王寺に相応しい句として、
・今日もまた朝日を拝む石の上 歌仙・芭蕉
をとり、句碑とした、とある。
(門前の小僧、習はぬ経は読まぬ)

(明王寺山門)

(本堂)

(手水鉢横に句碑が見える)

(「今日もまた・・・」の句碑)

明王寺を出て、国道294号線に沿って、
くらしの館・ふるさと物産センターが左にある交差点を左折。
いくつか信号を越え、左右に道が別れ、
判りにくいが大田原市役所方面へ向うと、
道路左手に「玉藻稲荷神社」右の案内があるところを右折すると、
玉藻稲荷神社に到着する。
このあたりが那須の篠原という。
(玉藻稲荷神社の案内)

(稲荷神社の赤い鳥居)

お稲荷さんの赤い鳥居をくぐると、先に石の鳥居が見え、
左手に石碑が見えるが、これは歌碑で鎌倉第三代征夷大将軍の
源実朝の歌、
・もののふの 矢並つくろふ 小手の上に
霰たばしる 那須の篠原
霰たばしる 那須の篠原
が刻んである。
これは歌枕「那須の篠原」を詠んだ歌である。
(実朝の歌碑)

この那須の篠原は、九尾の狐―玉藻の前―が、狐である事が露見して、
逃げ込んだ場所である。
この石の鳥居には左右に「玉藻の狐塚が出来た謂れ」が、
漢文で刻んであり、読み方も意味も不明の文字があって、
調べるのに時間が掛かった。
(読もうとしなければ良かった。時間の無駄でした。)
縁起の概要は、
(この玉藻大明神は、三国(インド⇒中国⇒日本へ)から伝わる狐である。
その昔、人皇76代近衛院(近衛天皇)の時代、
九尾の狐が美女に化けて名を玉藻といった。
大変博識で艶かしく絶世の美女であった玉藻は帝(みかど)に仕え、
帝も玉藻を深く寵愛された。
ある時、天子は病床につかれたが、医薬の効き目なく、
陰陽師の安部泰成を殿中に召して、祈祷させた所、
玉藻の前は九尾の白狐に変身し、那須の篠原に逃げた。
ここに久寿二年(1155)三浦介平義継、上総介平広常の両人は、
勅命によりこれを狩り、この地に埋めた。
後に、建久四年(1193)源頼朝公、狩をして、
この那須野に至り、この話を聞かれた。
そしてここに祠を建て、玉藻稲荷神社と名づけた。
ここに大豆田村住人 磯忠陸が、
大清浄の願をたて(観世音菩薩のように苦しみの一切を引き受ける願い)、
一基の鳥居を造り、永く神前にお供えする。
銘にいわく、玉藻狐、身は天竺にいたるも、霊魂はここにとどまり、
稲荷神社になると。
成就院即成山光明険寺 十一世権律師 法橋源珍 謹んでこれを記す。
華表(鳥居)寄進 大豆田村 磯又右衛門忠陸
石工 田町 伊藤新五郎 藤原鈴雄)
その昔、人皇76代近衛院(近衛天皇)の時代、
九尾の狐が美女に化けて名を玉藻といった。
大変博識で艶かしく絶世の美女であった玉藻は帝(みかど)に仕え、
帝も玉藻を深く寵愛された。
ある時、天子は病床につかれたが、医薬の効き目なく、
陰陽師の安部泰成を殿中に召して、祈祷させた所、
玉藻の前は九尾の白狐に変身し、那須の篠原に逃げた。
ここに久寿二年(1155)三浦介平義継、上総介平広常の両人は、
勅命によりこれを狩り、この地に埋めた。
後に、建久四年(1193)源頼朝公、狩をして、
この那須野に至り、この話を聞かれた。
そしてここに祠を建て、玉藻稲荷神社と名づけた。
ここに大豆田村住人 磯忠陸が、
大清浄の願をたて(観世音菩薩のように苦しみの一切を引き受ける願い)、
一基の鳥居を造り、永く神前にお供えする。
銘にいわく、玉藻狐、身は天竺にいたるも、霊魂はここにとどまり、
稲荷神社になると。
成就院即成山光明険寺 十一世権律師 法橋源珍 謹んでこれを記す。
華表(鳥居)寄進 大豆田村 磯又右衛門忠陸
石工 田町 伊藤新五郎 藤原鈴雄)
とある。
鳥居の右側に芭蕉句碑、
・秣負ふ 人を枝折の 夏野哉 芭蕉
がある。
(芭蕉句碑)

(「秣負ふ・・・」の句碑)

さらに、右のほうを見ると池があり、これが「鏡が池」で、
三浦介義継が玉藻狐を篠原に追い込んで見失ったところ、
この池の面近くに伸びた桜の枝に蝉に化けた狐の正体が、
池に映っているのを見つけ、難なく九尾の狐を狩ったので、
この池を「鏡が池」というようになった。
その桜の切り株(?)が池の端に残っている。
また、池の横に小さな鳥居があるが、その奥が小高くなっており、
「狐塚」と呼んでいる。
なお、写真では木の蔭になって見えないが祠もある。
(鏡が池とその右にある鳥居の奥が「狐塚」になっている)

(池の向こう側にある切り株が桜の木?)

・狐化け 姿を映す 池に月 hide-san