建長寺は巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と言い、
鎌倉五山の第一位だから、臨済宗建長寺派の大本山、
相当立派な禅寺に違いない。
円覚寺が第二位であれだけ立派だったのだから、
見るべき塔頭(たっちゅう)も多いに違いない。
そう思ったが意外に質素なたたずまいであった。
北鎌倉駅から歩いておよそ十五分。
建長寺の交差点に着いた。目の前に建長寺の門がある。
西外門で「天下門」と言う。
掲げられた扁額に「天下禅林(てんかぜんりん)」とあり、
中国明代の書家によるものと言う。
「人材を広く天下に求め育成する禅寺」の意味で、
鎌倉五山の第一位の建長寺を象徴する言葉である。
天下門とは良く名づけられたものだと感心する。
写真を撮り忘れたので、拝観料の領収書をご覧ください。300円でした。
(建長寺の「天下禅林」の拝観領収書)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/8c/591fab80cb1edb3e1a4d682e99567fc0.jpg)
(建長寺交差点)
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(天下門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/c1/c49f701afee5fa81f1ae57e1dc073de7.jpg)
天下門をくぐると中は広場になっており、
普段は観光バスの駐車場に出もなるのであろうか、
左側に土塀を巡らし、中ほどに門がみえる。
(創建当時の伽藍配置は、中国宋時代の禅宗の寺院を模したらしく、
総門・三門・仏殿・法堂・方丈などの主要な建物が直線に並んでいた。
14・5世紀の火災で多くを焼失したと言う。
江戸時代に入って、高名な沢庵禅師や金地院崇伝の進言、徳川幕府の後援により、
再建復興し、平成十五年の創建750年事業によって
現在の姿を迎えました。)(建長寺)
建長寺の現在の姿は、どう見ても古いものなのに、
12年前に、この姿になった、とは思えない。
中ほどに見える門が、総門で、巨福門とも。
ここには「巨福山(こふくさん)」の扁額が架かっている。
これは、建長寺第十世住職一山一寧の筆によるもので、
「巨」の字の中央に筆勢による一点を加えた「巨+ 、」の漢字とし、
余分な「点」が書き加えられているが、百貫の価を備えた。
世に百貫点と言い、価値ある点と言う。
写真の扁額「巨福山」の点をよ~くご覧ください。
(総門)
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(巨福山の扁額)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/ef/937f76b8149e0be0c6f8956ad92e9420.jpg)
巨福門を過ぎると、三門(国重要文化財)があります。
(三解脱門の略で、空・無相・無作を表し、
この三門をくぐることによって、
あらゆる執着から解き放たれることを意味しています。
安永4年(1775)に、
第201世住職 万拙碩誼(ばんせつせきぎ)が、
関東一円から浄財を集めて再建したもの。
階上に釈迦如来・十六羅漢・五百羅漢を安置し、
「福山はすべて松間を閉じず無限の清風来たりて未だ已まず」とあり、
建長寺はあらゆる人々に門を開放していることを表しています。)(建長寺)
(三解脱門)
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その右隣に鐘楼があり、国宝の梵鐘がぶら下がっております。
(梵鐘には、銘文の中に「建長禅寺」と入っており、
建長七年(1255)に鋳造された名鐘。)(建長寺)
(鐘楼)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/54/476b8e907387421de5d9ff816a0cfe79.jpg)
(梵鐘)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/88/746309fb08855bb87d626a5939953c5f.jpg)
鐘楼前の道を挟んで、仏殿との間に前裁として、
参道の両脇に柏槇の古木があります。
その古木の中に、幹回り7m、創建当時から760年の歳月と、
幾多の火災の生き抜いた貴重な木がある。
(創建当時からある柏槇の古木)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/48/ebb099609d82daa7b2cab04c26d36a71.jpg)
この古木の先に仏殿(重要文化財)がある。
(建長寺の本尊 地蔵菩薩を安置し法要を行うお堂です。
正保4年(1647)徳川二代将軍秀忠の夫人
小督(おごう)の方(崇源院)の霊屋を、
東京・芝増上寺から移築したもの。)(建長寺)
(仏殿)
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(御本尊地蔵菩薩)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b8/c1181c0b263f503e8e7d0fea8db451f0.jpg)
仏殿の後ろ側に法堂(重要文化財)があります。
(法堂とは、住職が仏に代って須弥壇上で説法するためのお堂で、
本来仏像を祀りませんが、
今は、千手観音菩薩を祀っています。)(建長寺)
仏堂裏手の法堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c8/1e0b36d29c91d0b0fa891c9a5a80a336.jpg)
(法堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/e6/b6dfb34be1acd875e2518005c28fd5af.jpg)
(法堂の天井絵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/98/8fe191c48b2deb8578d52ecb08f3a6c0.jpg)
(法堂の千手観音菩薩)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/5a/3cae3e3f283caf3e0d5e0c43abab2d0b.jpg)
法堂の後ろに方丈があります。
(中央にきらびやかな唐門(勅使門、重要文化財)、勅使が出入りする門があります。
ここで言う「唐」は、中国式と言う意味ではなく、
屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門のことで、
元は、増上寺の崇源院霊屋の前にあった門である。)(建長寺)
右手に方丈の出入り口、大玄関があります。
その左手、つまり唐門の後ろに方丈があります。
ここはご存知住職の住まいでした。
(唐門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/9c/a18d63bafea3e93ed06c81a2201952c4.jpg)
(右手の方丈の大玄関)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/50/40b6bc4a6093e67f55c7a6094877b128.jpg)
(方丈入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/8c/d789ad7a62c63d0ad8d01500478488f5.jpg)
唐門左に。お手洗いがあるが、その横に咲いていた花菖蒲が美しかった。
(花菖蒲)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/5b/baa38129938a4adb573139d5fc683ccf.jpg)
「たった一度の人生!
楽しんで終わりたいものです!」
楽しんで終わりたいものです!」
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