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URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2006/02/post_7eae.html
(古希)
60歳になって現役を退いたとき、「これでボクも年寄りの仲間入りができた」と思った。
失業保険は貰えるし、同時に厚生年金も60歳から貰うことが出来た。
やがてバブル景気がはじけて、国も地方自治体も財政赤字に気が付いた。
大盤振る舞いしていた制度を次々と中止し、年金の支給も、老人対象の優遇制度も
段階的に対象年齢を引き上げた。
ボク達の時代は、それでもまだ良いほうだと、今60歳で現役を引退する人たちは言う。
定年になっても年金は65歳にならないと支給されないし、
失業保険を貰っている間は年金がもらえないのは当たり前。
仕事を探しても採用してくれる会社がない時期が続いた。
どうやって生活を維持しようかと思案投げ首の状態だという。
しかし、一方でまったく心配ない人たちがいる。
それは実力があり、再就職に引く手あまたの人たちだ。
どちらの会社の条件が良いのか比較検討している人もいる。
また、再就職しなくとも事態を予測して、十分な手当てをした人も心配ない。
イソップの「アリとキリギリス」のアリであった人たちである。
ボクはそのアリの一人である。また同時に仕事の上でもしっかり取り組んできたから、
再就職する上でも選びに選んで楽な仕事をさせて貰ったことは以前書いた。
振り返ってみると、ずいぶん自分勝手に、好きなことをやってきたとあきれ返っている。
現役引退後、今月で10年が経過し古希になった。
「古希」の出典は、中国の詩人杜甫の「曲江詩」にある
「人生七十古来稀なリ」から採ったものだ。
60歳定年になって、今後やりたいことを書き出してみたら、
19項目あった。細分化すると25項目ある。
体力が必要なものから実行に移すことにしたが、
途中、病で半年入院、体力回復に一年無駄な時間をついやした。
それでも、あきらめずに目標に向かって前進している。
その一、海外旅行(目標105カ国。現在48カ国)
その二、ゴルフ(ハンディキャップ14、現在29)
そのほかやりたいことは沢山あり、半分ほどはプロフィールページに書いてあるが、
一つとして完遂したものはない。
夏はカナダで過ごし、冬はニュージーランドで過ごす夢は、
語学の勉強をしなければならず、鎌倉のシルバーボランティアになるには、
鎌倉の勉強が必要で、鎌倉を知るには、仏教を知らずして語ることが出来ない。
仏教の勉強は奥が深く、時間がいくらあっても足りない。
毎日が、毎週が、毎月が、あっという間に過ぎていく。
やりたいことの一つ一つに、その道のプロがいることを考え合わせると、
自分が死ぬまでにやりとげることが出来るか、はなはだ怪しい。
しかし、せっかく抱いた夢、古希になったからといって、
あきらめることなく実現に向けて、喜寿、米寿へと精進していきたい。
もう一度、ボクの好きな詩「青春賦」を次に掲げます。
(青春)
青春とは人生のある期間を言うのではなく、
心の持ち方を言う。
たくましい意志と、ゆたかな創造力、
炎える情熱、弱気を退ける勇気、
安易を振り捨てる冒険心、
こういう様相を青春という。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いが来る。
―途中省略―
十六歳であろうと六十歳であろうと、
人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる。
人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる。
希望ある限り若く 失望と共に老いる。
頭を上げ希望の波をとらえる限り、
八十歳であろうと青春であり続けることが出来る。
サミュエル・ウルマン
命が尽きるまで青春であり続けたい、そう願っている。
URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2006/02/post_7eae.html
(古希)
60歳になって現役を退いたとき、「これでボクも年寄りの仲間入りができた」と思った。
失業保険は貰えるし、同時に厚生年金も60歳から貰うことが出来た。
やがてバブル景気がはじけて、国も地方自治体も財政赤字に気が付いた。
大盤振る舞いしていた制度を次々と中止し、年金の支給も、老人対象の優遇制度も
段階的に対象年齢を引き上げた。
ボク達の時代は、それでもまだ良いほうだと、今60歳で現役を引退する人たちは言う。
定年になっても年金は65歳にならないと支給されないし、
失業保険を貰っている間は年金がもらえないのは当たり前。
仕事を探しても採用してくれる会社がない時期が続いた。
どうやって生活を維持しようかと思案投げ首の状態だという。
しかし、一方でまったく心配ない人たちがいる。
それは実力があり、再就職に引く手あまたの人たちだ。
どちらの会社の条件が良いのか比較検討している人もいる。
また、再就職しなくとも事態を予測して、十分な手当てをした人も心配ない。
イソップの「アリとキリギリス」のアリであった人たちである。
ボクはそのアリの一人である。また同時に仕事の上でもしっかり取り組んできたから、
再就職する上でも選びに選んで楽な仕事をさせて貰ったことは以前書いた。
振り返ってみると、ずいぶん自分勝手に、好きなことをやってきたとあきれ返っている。
現役引退後、今月で10年が経過し古希になった。
「古希」の出典は、中国の詩人杜甫の「曲江詩」にある
「人生七十古来稀なリ」から採ったものだ。
60歳定年になって、今後やりたいことを書き出してみたら、
19項目あった。細分化すると25項目ある。
体力が必要なものから実行に移すことにしたが、
途中、病で半年入院、体力回復に一年無駄な時間をついやした。
それでも、あきらめずに目標に向かって前進している。
その一、海外旅行(目標105カ国。現在48カ国)
その二、ゴルフ(ハンディキャップ14、現在29)
そのほかやりたいことは沢山あり、半分ほどはプロフィールページに書いてあるが、
一つとして完遂したものはない。
夏はカナダで過ごし、冬はニュージーランドで過ごす夢は、
語学の勉強をしなければならず、鎌倉のシルバーボランティアになるには、
鎌倉の勉強が必要で、鎌倉を知るには、仏教を知らずして語ることが出来ない。
仏教の勉強は奥が深く、時間がいくらあっても足りない。
毎日が、毎週が、毎月が、あっという間に過ぎていく。
やりたいことの一つ一つに、その道のプロがいることを考え合わせると、
自分が死ぬまでにやりとげることが出来るか、はなはだ怪しい。
しかし、せっかく抱いた夢、古希になったからといって、
あきらめることなく実現に向けて、喜寿、米寿へと精進していきたい。
もう一度、ボクの好きな詩「青春賦」を次に掲げます。
(青春)
青春とは人生のある期間を言うのではなく、
心の持ち方を言う。
たくましい意志と、ゆたかな創造力、
炎える情熱、弱気を退ける勇気、
安易を振り捨てる冒険心、
こういう様相を青春という。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いが来る。
―途中省略―
十六歳であろうと六十歳であろうと、
人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる。
人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる。
希望ある限り若く 失望と共に老いる。
頭を上げ希望の波をとらえる限り、
八十歳であろうと青春であり続けることが出来る。
サミュエル・ウルマン
命が尽きるまで青春であり続けたい、そう願っている。