(戸井橋と春日部市を示す案内看板)
(春日部宿)
11月19日快晴、気温16℃の予定。
せんげん台駅を降りて、国道四号線に合流している、
日光街道に進む。
すぐ、新方川に架かる戸井橋に出て、ここを渡ると春日部市で粕壁(*)宿に入る。
(*)江戸時代には粕壁と書いた。
少し歩くと、左手に背の高い松ノ木が二本立っているのが見える。
これが村の鎮守の大枝香取神社で、武里観音で知られる歓喜院に隣接して、
寺鎮守として祀られていた。
明治期の神仏分離政策で、境内が分けられ、
その後近隣の神社を合祀し、付近(旧大枝村)一帯の鎮守となった。
五穀豊穣の神として崇められている。
(二本松のある大枝香取神社)
(隣接する歓喜院の門)
(歓喜院)
大枝香取神社を過ぎると直ぐ、武里駅左の案内看板がある。
左方向に行くと武里駅を越えて岩槻に出るようだ。
「宮内庁埼玉鴨場」へ出る前に、道標付庚申塔があって、
「左じおんじ道」(慈恩寺道)の案内があったが、
岩槻にある慈恩寺に行くには左方向が正しいことが分かる。
(武里駅左、と岩槻左の道路標識)
旧日光街道は、国道四号線に合流して単調な道を何処までも進みます。
やがて左に「一ノ割駅」の案内看板を見て、
なお進むと東武野田線のガードをくぐります。
この野田線は先で春日部駅に通じています。
今日は春日部駅から帰宅予定で出てきましたから、
もうまもなく春日部と思って元気付きましたが、
まだまだ先があるようです。
(一ノ割駅)
(東武野田線のガード)
道路の巾が狭くなり、歩道も狭くなるとすぐ
「日本橋から35km」の案内があり、
先の信号が変則の交差点であることが解かる。
交叉点に近づくと、直進は四号線、左折は旧日光街道、春日部駅方向、
右折は松伏町方向である。
(日本橋から35kmの案内、四号線直進、左春日部駅、右松伏町)
正面に「東陽寺」が見え、右手に「東八幡神社参道」の看板が見える。
東陽寺は松尾芭蕉が奥の細道に旅立ち最初に宿泊した場所と言われる。
看板目当てに東陽寺に入ると、長い階段の先に本堂があり、
階段横に石碑で
「廿七日の夜、カスカベニ泊マル。江戸ヨリ九里余」と書かれており、
左下に曾良と芭蕉の旅姿が描かれている。
これは芭蕉に同行した河合曾良の旅日記の一部である。
(直進左に東陽寺)
(東陽寺)
(直進右手に東八幡神社参道)
(本堂周辺の様子)
(本堂階段横の石碑)
そこで左手を見ると、山門らしきものが見える。
さては反対側から入ったと見える。
山門のほうに行くと、山門から反対側に通り抜けをお断りしますと書いてある。
ボクは逆に反対側から山門へと通り抜けてきた。
出てきた道路が春日部駅に向う道路で、
春日部駅東口行きのバスが通っていった。
(東陽寺山門と六地蔵)
どの当りで左折するかバスの行方を眺めていると、
バスはかなり先の信号で左折している、
疲れた足を引きずって歩き、左折するも駅はさらに奥にあって、
先ずロータリーをぐるりと回って駅入り口に向った。
4:30PMと言うのにあたりは、駅も電気の灯りの方が明るい。
4:38発の急行で家路に着いた。
(春日部駅)
(春日部宿)
11月19日快晴、気温16℃の予定。
せんげん台駅を降りて、国道四号線に合流している、
日光街道に進む。
すぐ、新方川に架かる戸井橋に出て、ここを渡ると春日部市で粕壁(*)宿に入る。
(*)江戸時代には粕壁と書いた。
少し歩くと、左手に背の高い松ノ木が二本立っているのが見える。
これが村の鎮守の大枝香取神社で、武里観音で知られる歓喜院に隣接して、
寺鎮守として祀られていた。
明治期の神仏分離政策で、境内が分けられ、
その後近隣の神社を合祀し、付近(旧大枝村)一帯の鎮守となった。
五穀豊穣の神として崇められている。
(二本松のある大枝香取神社)
(隣接する歓喜院の門)
(歓喜院)
大枝香取神社を過ぎると直ぐ、武里駅左の案内看板がある。
左方向に行くと武里駅を越えて岩槻に出るようだ。
「宮内庁埼玉鴨場」へ出る前に、道標付庚申塔があって、
「左じおんじ道」(慈恩寺道)の案内があったが、
岩槻にある慈恩寺に行くには左方向が正しいことが分かる。
(武里駅左、と岩槻左の道路標識)
旧日光街道は、国道四号線に合流して単調な道を何処までも進みます。
やがて左に「一ノ割駅」の案内看板を見て、
なお進むと東武野田線のガードをくぐります。
この野田線は先で春日部駅に通じています。
今日は春日部駅から帰宅予定で出てきましたから、
もうまもなく春日部と思って元気付きましたが、
まだまだ先があるようです。
(一ノ割駅)
(東武野田線のガード)
道路の巾が狭くなり、歩道も狭くなるとすぐ
「日本橋から35km」の案内があり、
先の信号が変則の交差点であることが解かる。
交叉点に近づくと、直進は四号線、左折は旧日光街道、春日部駅方向、
右折は松伏町方向である。
(日本橋から35kmの案内、四号線直進、左春日部駅、右松伏町)
正面に「東陽寺」が見え、右手に「東八幡神社参道」の看板が見える。
東陽寺は松尾芭蕉が奥の細道に旅立ち最初に宿泊した場所と言われる。
看板目当てに東陽寺に入ると、長い階段の先に本堂があり、
階段横に石碑で
「廿七日の夜、カスカベニ泊マル。江戸ヨリ九里余」と書かれており、
左下に曾良と芭蕉の旅姿が描かれている。
これは芭蕉に同行した河合曾良の旅日記の一部である。
(直進左に東陽寺)
(東陽寺)
(直進右手に東八幡神社参道)
(本堂周辺の様子)
(本堂階段横の石碑)
そこで左手を見ると、山門らしきものが見える。
さては反対側から入ったと見える。
山門のほうに行くと、山門から反対側に通り抜けをお断りしますと書いてある。
ボクは逆に反対側から山門へと通り抜けてきた。
出てきた道路が春日部駅に向う道路で、
春日部駅東口行きのバスが通っていった。
(東陽寺山門と六地蔵)
どの当りで左折するかバスの行方を眺めていると、
バスはかなり先の信号で左折している、
疲れた足を引きずって歩き、左折するも駅はさらに奥にあって、
先ずロータリーをぐるりと回って駅入り口に向った。
4:30PMと言うのにあたりは、駅も電気の灯りの方が明るい。
4:38発の急行で家路に着いた。
(春日部駅)