(化粧)
「化粧」を辞書で見ると
「{身だしなみとして}ファンデーション・口紅などを付けて、
顔を美しく見せるようにすること。」
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co.とある。
なるほど、上品に訳すとこうなる。国語辞典でも、
「身だしなみとして」の一句が入っている。
しかし最近では、身だしなみなど何処吹く風。
電車に乗り込んでくるや、
優先席であろうとお構いなく、
席が空いていれば我先に座って、
バッグから化粧道具を出して、
アイシャドウから始まって、睫毛を反り返らせ、
ファンデーションは塗りたくり、
唇を尖らせて口紅を塗り始める。
「化粧」は少々皮肉れば
「めかしこんで化ける」とも解釈できる。
大体、電車の中で堂々と化粧を始める御婦人に限って、
美人といえる人は少ない。
「美人」とは裏腹にビックリするような御婦人が多い。
黒い金魚の「でめきん」が、
わざわざ黒いアイシャドウをつけるのもどうかと思うが、
動物園では愛嬌のあるカバが、歯をむき出すようにして、
唇を突き出して紅を塗っても無意味と、ボクは思うが、
そんな感じの御婦人が多いのは面白い。
日本人はもともと、謙虚で控えめなところに美しさを感じるのであるが、
ここまで堂々と顔を加工しているのを人前で見せられると、
どんなにほれている男性も、一度に冷めることは必定である。
我が家のカミさんは結婚以来、毎朝ボクより早く起き、
化粧を済まして食事の用意をしている。
それに引き換え、娘は学生時代はもとより、生まれてこの方、
化粧をしたのを見たのは、ただの三回しかない。
一回目は、成人式の日、
二回目は倅の結婚式の日、
三回目は本人が結婚をした日。
これだけである。
今は亭主の夫にプロポーズされて、
彼の両親に顔見せに行ったときも、化粧なしであった。
彼の母親が語ったところによれば、
「あの子、スッピンね。背が高いわね」の二言であったらしい。
ボクの姉に結婚式に出て欲しいと、報告とお願いに行ったときも、
ノー化粧で、言葉を飾らない娘に始めて会った姉の言葉では、
「屈託の無い子ね。色白で化粧がいらなくて経済的ね」であった。
経済的といえば、どこで勉強したのか知らないが、
主婦業をキチンとこなしていて、
我が家のカミさんが主婦業を教授してもらっており、
カミさんをして「主婦業では、私より上を行っているわ」と言わしている。
その娘は、四歳の頃、「大きくなったら何になるの?」と大人たちに聞かれると、
「大きくなったらお母さんになるの」と答えていた。
年を経て、中学に入っても高校生になっても意志が堅く、
主婦業が彼女の将来の目標であった。
だから、男性を選ぶのも、高い将来性で無く、
ごくありふれたマイホーム・パパで、温厚が第一であった。
幸運にも(幸運とは自分で探すものかもしれないが)親の眼から見ても、
彼女の理想の男性にめぐり合えた。
生活はごくごく常識的で上を見ず、
さりとて下の方でもない当たり前な平凡な一生になりそうである。
これが彼女の希望であり、理想としているものであるから、
脇から見れば何の取り柄もない普通の結婚生活に、
これほど満足し、幸せを感じている女性も少ないと思う。
人間の一生など、上を見れば切りがないし、
下を見ればこれまた切りの無い話であるが、同じように、
「美しくありたい」という女心も同じで、
わざわざ電車の中で、恥を晒して化粧することも無い。
素顔の貴女を大好きな男性が沢山いることを、
忘れないで欲しいものである。