(釈迦が悟りを開いたブッダガヤ)
ブッダとは、悟りを開いた人をさす。
ガヤはヒンズー教の聖地を意味する。
つまり釈迦が悟りを開いた場所をさす。
この地には、美しいマハーボーディ寺院があり、
その裏手に釈迦が悟りを開いたという場所がある。
菩提樹の下である。
(菩提樹の木)
(インドの仏教徒の白装束)
現在の菩提樹は4代目といわれる。
この菩提樹は石の玉垣に囲まれ、
木の根元に、釈迦が座って瞑想をした。
(釈迦が座った台座)
(祈る修行僧)
インドは98%がヒンズー教で、
残り約2%が仏教徒と聞いていたが、
訪ねたときはAM8:30ころでも、
さすが仏教徒の聖地、大勢の白装束の信者が菩提樹を取り巻く
石垣の周りでお祈りをしていた。
考えてみたら総人口十億人の2%は2千万人であるから、
大勢の人がいるのもうなずける。
マハーボーディ寺院内には、
ガラス張りの箱の中に金色の釈迦が蓮台に座していた。
黄金で鋳造した(あるいは金箔かもしれない)
東大寺の仏像を小さくしたものを想像していただければよい。
その黄金の仏像の前で数人の僧侶が、
良く響き渡る声でお経を上げていたのが印象的であった。
(マハーボディ寺院1/工事中であった)
(マハーボディ寺院2/工事中であった)
建物の外、境内は広く石と芝生で仕切られた美しい庭園の様になっており、
あちこちで修行僧がお祈りをささげる姿を垣間見ることが出来た。
釈迦はここで悟りを開いたといわれる。
悟りとはどんなことであろうか?
いつ死んでも良い心構えが出来ていることであろうか?
もっと具体的にすると、
生きるうえで悔いの無いベストな生き方をし、
生きている間は自分がどんな状態であれ、
どこまでも他人を思いやることが出来、
死後は必ず極楽(または天国)に行けると信じることなのだろうか?
(寺院内のガラス内の金の釈迦像)
(釈迦像お前で祈る人達)
人は生まれると、
その瞬間から「死」に向かって歩いていく。
しかし、人によりその時期だけが明白でない。
時には生まれてすぐ亡くなる人、
生まれて数ヶ月で心臓を取り替えなければ生きて行けないことが判る人、
難病で死期を宣告された人、
100歳を越える人、人それぞれである。
しかし、人生は全うしなければならない。
釈迦は、8万四千通りの極楽への道筋を記し、
それをお経にした。
そのお経が中国に断片的にもたらされていたので、
不明な点が多く、
仏教を学んだ玄奘には理解できない部分があり、
どうしてもその不明な部分を解明したくなった。
中国の高僧を訪ね歩いても、
玄奘の持つ疑問を解決することが出来なかった。
玄奘は、法を犯して天竺へ渡り、
釈迦が悟りを開いたブッダガヤの菩提樹の下を訪れた。
また、釈迦が教えを説いた
「竹林精舎」「王舎城」
「霊鷲山」にも訪れ、自らの疑問に答えを出し、
657巻の経典を持ち帰った。
どうやらインドのボクの旅は、
西遊記の玄奘三蔵法師の足跡を訪ねる旅でもあった。