(何を言いたいのだろう?)
そんな足跡をたびたび目にするようになった。
自分で読み返してみて、(?)何を言いたかったのだろうと
自分で疑問に思うことが多くなってきた。
この日記を始めてもう十ヶ月になる。
「三年間生存率 30%」を告知されて、
‘01年5月5日に入院して、
悪性リンパ腫と戦い、抗がん剤の副作用、
そして副作用を緩和する薬物の副作用に負けずに、
七ヶ月の入院生活を無事乗り切ることが出来たのは、
毎日のように送られてきたPCによるメールと、
月一回送られてくる友人の写真に励まされたからでした。
その経験を生かし、
ボクの日記(闘病中に考えたこと、今考えていること、
今後について考えること)を読んでもらい、
ほんのわずかな時間でも、今、闘病中の方々の
気分が晴れればと思い、日記を続けてきました。
しかし、冒頭に述べたように、
「何を言いたいのだろう?」と足跡が残るようになったので、
この日記を止めようと思います。
「三年間生存率 30%」の三年には、あと半年ありますが、
半年毎の検査では、特に異常は認められず、
三年間は生き延びられることが、判っています。
しかしその後の半年間はまだ不明です。
今現在の摂生状態を維持できれば、
(何が何でも意志の力で維持しますが)
「三年間生存率 30%」の中に入ることが出来ると
思っています。
人は自ら自然治癒能力を持っていると言います。
「もっと生きたい」気持ちが強ければ、
治癒能力は増進するものと思われます。
「もっと生きたい」気持ちは何処から
出てくるのでしょうか?
それは将来への希望からです。
いつか述べましたが、ボクには今三人の孫たちが居ます。
その孫たちが成長したら、一緒に外国旅行をしたいという
望みがあり、孫たちに伝えてあります。
ただし、孫たちが行き場所を決め、ホテルから
航空機に至るまでの予約を自分たちですることが、
条件です。
そのためには、少なくも後十年は必要でしょう。
十年は少なくも生き延びたいと摂生に努力しているのです。
十年後になると、次は、きっと彼らの結婚式に出たい
希望が湧くに違いありません。
さらに生き延びなければなりません。
そんな希望が命を永らえさせてくれると信じています。
昨晩、九十九歳になり、四つの博士号を持ち、
63歳でハングルを学び始め、68歳で韓国の学生の前で
韓国語で講義をされている人のインタヴューを、
ラジオで聞きました。
95歳から中国語を学び、まもなく中国の学生の前で、
「中国語で講義ができるようになりたい」とおっしゃっていました。
そのラジオ番組を聴いて、改めて勉強をやり直そうと思います。
旧中山道を歩き始めました。奇しくも芭蕉が奥の細道を旅立った
3月27日でした。(ボクは陽暦ですが)
今、まだ浦和宿ですが、涼しい時を選んで、
史跡を訪ねながら歩きたいと思っています。
少なくも二年はかかるでしょう。
その紀行文を皆さんにお見せしたいと思っています。
夏の暑い間はカナダで、冬の寒い間はニュージーランドで
過ごす夢も捨て切れません。
カナダは東京の80%、ニュージーランドは70%の
物価ですから実現の可能性はあります。
学生時代に読み残したエッセイを読み漁りたいし、
現役時代に用意して、引退後に読もうと思っている
日本の歴史書30冊がまだ手付かずで残っています。
ゴルフのハンデキャップは最低でも14にはなりたい。
友人に全米オープンに出たいと言って笑われていますが、
出場できなくても、見物人として一度行ってみたい。
外国旅行は、目標の105カ国は、まだ40カ国で、
目標達成には程遠い。
やることは尽きることなく、沢山残っています。
あと30年は必要になるでしょうか?
すると100歳を超えて行かねばならないが、
体力が必要なものから、一つずつ着実に実行していきたい。
最後に、本日でCafeの日記は終わらせようと思いますが、
日記をはじめた動機から、このCafeの「日記」は閉じないで、
そのままにして置きたいと思います。
やり遂げたい目標を少しでもクリヤーできたら、
「よこがお」の欄を修正してまいります。
「掲示板」も「足跡」も開いたままにしておきますので、
どうぞお気軽にご記入ください。
また、繰り返しCafeにお訪ねいただけるよう、
昨年九月から書き込んだ内容に少しずつ手を入れながら、
ご覧頂くつもりです。
ボクの一文が、少しでも皆さんの人生に役立つことがあれば、
これに勝る幸せはありません。