楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

昨日の一善1(今日が掲載始め)

2003年09月30日 10時12分00秒 | つれづれなるままに考えること
一日一善(言うは易し、行うは難し)

スーパーマーケットで商品が一つ床に落ちていたので、

拾って棚に戻した。
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⑯看護婦さんの仕事3(檻の中 11)

2003年09月29日 10時45分00秒 | つれづれなるままに考えること
(患者 Eさんの場合)
男性患者のEさん。
70歳前後か? 
記憶喪失。
自分の名前も過去もわからない。

日常の動作、エチケット、ルールも当然解らない。
夜も昼もない。
夜中にベッドに立ち上がり、隣のベッドへ倒れてくる。
右も左もない。
人の顔を見ると ぴょこんと頭を下げる。
それだけは今までの習性が残っている。

そんな人。
したがって夜は、ナース・ステーションにベッドごと移動して管理されている。
食事も食べさせて貰っているし、トイレも連れて行ってもらう。
当然、お風呂も看護婦さん付き。 

ある時、副作用の便秘で悩まされるボクがトイレに行ったところ、
トイレに看護婦のTさんの声がする。
見ると、看護婦さん付き添いで 
Eさんが下半身裸で小便器の前に立っていた。

ボクは、大便所にはいり、用を足していると。
Tさんの声がする。

「あら、Eさん!Eさん! なにー! どうしたの! 
大きいほうは、ここじゃないよう!
立ったままのウンチは勘弁してよう! 
ちょっと待っていてね!動いちゃあ駄目よ!」

しばらくして
「大きいほうはこっちですよ!立ったまましては駄目ですよ!」
と隣のドアーを開けている。
Eさん われ関せずで、小便器の前に立ったまま

「うん!うん!」力んでいる。
「駄目よ!大きいほうはこっちでしてください。」

ぽたぽた大便が落ちているらしい音が聞こえる。
看護婦のTさんは、紙を持ってきて汚した所を拭いている様子。
Eさんは とても満足そうな顔をしているに違いない。
看護婦のT嬢は、普段の活動や患者との接し方を見ていると、
とっても気持ちの良い、いつも笑顔を絶やさない優しい人だから、
きっとこんな時も、ニコニコしながら患者に接しているに違いない。
そんな姿がありありと目に浮かぶ。
そんなことを想像しながら、
副作用で便秘に悩まされているボクは、一生懸命力むのだが、
一向に便は出そうもない。

あきらめて外へ出た。また明日、看護婦さんのお世話になって、
排便するより方法がないかと考えた。

ボクの面倒を看るのも大変だが、
事が事だけに、看られる側の気持ちも穏やかではない。

こうした看護婦さんの仕事には、本当に頭が下がる...
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⑮看護婦さんの仕事2(檻の中Ⅹ)

2003年09月27日 16時10分00秒 | つれづれなるままに考えること
(患者 K君)
時には、救急車で緊急入院してくる人もいる。
27歳、若くて静かな美男子のK君。
彼女らしき人に付き添われて入院してきた。
緊急外来で痛みを処置してもらった後の入室となった。

当夜は、静かに眠りについた。
翌日の晩、どこが痛いのかナース・コールで痛みを訴えた。
当直の医師が呼び出され、痛み止めが投与されしばらく静かであったが、
痛みが増幅しているようである。また看護婦さんが対応する。

医師が駆けつける。
「痛い、痛い、我慢できない」を繰り返している。
「もう我慢の限度だ。我慢できない」と繰り返す。
医師が「少し待ってください」と言って、

部屋から出て行ってしまい看護婦さんが残っている。
「今 先生が痛み止めをくださいますから、もう少し我慢してください」
「もう我慢できない。早く手術してきって取ってください。
我慢できません。
痛い。痛い。
我慢の限度を超えている」
と訴えている。

こんな時、訓練されているのか、医師はめっぽう冷静である。
頼もしいと映った。
痛み止めはどれが良いのか、副作用のないものはどれか、
英語の辞書みたいな本をめくって調べている。
不謹慎だが 鼻歌を歌いながら。

患者は、この間もうめいている。
やっと麻酔薬かどうか知らないが、病状に影響を与えないであろう薬が投薬され、
患者は、「痛い」のかわりに、呼吸も荒く眠りについた。
同室の、私を含むその他の三人もやっと眠りにありついた。 

病院の起床は六時丁度。
爽やかなオルゴールの後に 

「今日は、×月××日○曜日です。ただ今より検温に参りますので、
安静にしてお部屋でお待ちください」と、

いつものアナウンスで患者は目覚め、一日が始まる。
K君は、相変わらず荒い呼吸のまま眠っている。
看護婦が検温をしながら、順次病室を回ってきた。

「K君 ! K君 !」

呼んでも目覚めない。
「すみませんが、もうそろそろ 起きるころですので、
目を覚ましたら 呼んで頂けますでしょうか」

と同室の患者に頼んで、出て行ってしまった。
AM7:00には、朝食となり、7:30には終わる。

その頃、K君の呼吸が、急に静かになって目があいたように見えた。
食事のお膳を下げに行ったついでに
「K君 起きたようだよ」と看護婦さんに話した。
ついでにお手洗いに行って、病室に戻ろうとすると、
看護婦さんが駆けてきて、ナース・ステーションの医師に話している。

「呼吸していないようです」と言っている。
訓練でこそ、見たり、練習したりしたことはあるが、
現実に人工呼吸や心臓マッサージを見るのは初めて。

看護婦さんは、患者を蘇生させのるに自分の力では、
とても覚束ないと判断するや、
ベッドごと移動して個室に入れてしまった。

AM8:30ころ、母親らしき人がきて、
どう話をしたかは不明であるが、臨終を告げられた模様で、
涙とともに遺留品を片付けていく。

「Kちゃん ごめんね」

すぐ見舞えなかったことを謝っている。
4人部屋で周りに聞こえるのを憚ってか、
静かな、子を思う母親の語り口であった。
湯飲み茶碗やジュースを2~3本置いて、
静かに帰って行った。

没後の後始末を手伝うのも看護婦さんの仕事?
看護婦さんは、最後を看取ってあげられたと満足げであったが、

ボクには、葬儀屋の仕事としか思えないのだが...

本当にこれも看護婦さんの仕事?だとすると看護婦さんの前では、
畏れ多くて頭を上げる事ができない。

後で、私の主治医から聞いた話であるが、
K君は、宗教上の理由で手術を拒否していたとの事。

主治医語る「手術していれば、命を取り留めたのに」と。
どんな宗教か知らないが、痛みを訴えた時、
手術をしてしまえば良かったのだろうか?

病状が回復した後で、改宗して万事OKだったのか?
あるいは、手術しなかったためにK君は幸せだったのか?
回りの患者たちには、思うべくもない出来事であった。
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⑭看護婦さん(檻の中Ⅸ)

2003年09月25日 11時02分00秒 | つれづれなるままに考えること
(看護婦さんの仕事)
看護婦さんの仕事は、沢山ある。
勿論 その一は 病人の看護である。

しかし、入院してくる患者は種種雑多で、
看護婦の仕事を超える要求をする不届きものもいる。

病室には緊急を知らせるベルのスイッチがある。
通常ナース・コールという。
咳が止まらなくて呼吸困難になりそうな時、
手術後で麻酔が切れ痛みに耐えがたいとき、
熱が出たのか寒さに耐えられない時、吐き気がするとき、
絶対安静の人がベッドから起き上がってトイレのようを足したいとき、
寝たきりの人がお手洗いや散歩に行きたいとき等々、
看護婦の手を借りないと事態が解決しないときの呼び鈴です。 

この病棟のボクのいる階には、
病床が34床あり常時ほぼ満杯である。
この34床の患者を8人で一組、Aチーム、Bチームに分け、
それに別途婦長さんを加え総勢17人で、運営されている。

勤務は三交代であり、24時間不休で看護に当たる。 
患者は、各チームの誰かが主担当となり、
担当が不在のときは、チームの誰かがその補佐をする。
患者から見た看護婦さんの一日は、およそ下記の通り、
病棟では、起床AM6:00。
消灯PM21:00。

看護婦さんと患者が接触する機会は多い。
毎日24時間の間に、患者は何回か看護婦さんと接触する。
AM 6:00 起床直後検温、体温の測定。
AM 6:30 食前薬の配布。
AM 7:15 朝食の配膳。
AM 8:30 食後の薬の配布。

(看護婦交代)
AM 9:30 ベッドの周りの清掃。
AM10:30 体の清掃(お風呂に入れない人の体を熱いタオルで拭く)
AM11;30 食前薬の配布。
PM12:15 昼食の配膳、
PM13:15 食後の薬の配布。
PM14:00 午後の検温、血圧測定。
PM16:00 体調確認(異常がないかチェック)
PM17:00 食前薬の配布。

(看護婦交代)
PM17:15 夕食の配膳
PM18:30 食後の薬の配布。
PM20:30 就寝前の体調確認。(人によっては睡眠薬を)
PM21:00 消灯。
PM23:00 深夜見回り(患者に異常が起きていないか個別に確認)
AM 0:00 勤務交代後の見回り

(看護婦交代)
AM 3:00 夜中見回り以上のほか、看護婦さんの仕事は、
AM5:00 採血、意識不明の患者の付き添い
(食事やお手洗い。オムツの交換。大小便の処理。
その他もろもろ)ナース・コールへの対応。

医師との打ち合わせ、薬局へ薬を貰いに行く、
動けない人を検査室へ車椅子で運ぶ、散歩のお手伝い、
お茶室に行けない人への、お茶のサービス。
患者には計り知れない看護婦の務め
(一日の日報の記入、患者の不具合の訴え等交代看護婦への申し送り等々。)
ボクの知らないこと、まだ一杯あるに違いない。

入院して初めてわかるのは、命を永らえさせる治療は医師だが、
それは、ほんの僅かな時間での接触で、
後の24時間は実に看護婦さんとの接触だ。
だから、命を何とか永らえたいときは、

「ああ、神様!仏様!」

であるが、

苦しみを緩和させ、細々と面倒を見てくれる人は看護婦さんであり、
医師よりはるかに頼りになる。
だから苦しい時は

「ああ、神様!仏様!看護婦様!」

となる。

松尾芭蕉が、仙台の松島の絶景を観て、
「松島や ああ松島や 松島や」(*)
と絶句したというが、
入院している患者に救いの手を延べる看護婦さんは、

「看護婦さん ああ看護婦さん 看護婦さん」

となるのであろうか。

(*)実際は、江戸時代後期に相模国(神奈川県)の狂歌師・田原坊が作ったもの。
田原坊の「松嶋やさてまつしまや松嶋や」の「さて」が「ああ」に変わったもの。
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「助けて!お父さん!-病室の隣人

2003年09月23日 10時24分00秒 | つれづれなるままに考えること
(副題:「助けて!お父さん!」)
女性患者のMさん、かなりのお年のようだ。
やや痴呆とでもいおうか、
いつもナース・ステーションで管理されている。
ナース・ステーションに居ないときは、
どなたかご家族の方が面会に来ているときで、
その時は、病室に戻る。

トイレに行く時、ナース・ステーションの前を通らなければならないが、
廊下を歩いていくと、いつも車椅子に座っていて、
廊下を通る人を眺めている。

ボクが通るとき、いや誰でも通りかかれば、
いつもやや首をかしげ手を振る。
「バイバイ」の仕草だ。
誰が廊下を通っても、必ずする仕草である。

看護婦さんは、食事は勿論のこと、
下の世話から、お話し相手まで、しなければならない。
夜に入ると早々と寝るのであるが、
年寄りの習性で、朝の二時頃には、目を覚ます。

年寄りの習性 と書いたが、
実は、NHKのラジオ放送も夜中の25時過ぎからは、
年寄り対象の放送をしている所から、
その習性は察することが出来る。
夜明けの五時過ぎまで、昔懐かしい小学校唱歌や、
昭和初めの懐かしのメロディや、
仏教の講話や、侘び寂び、の講演が繰り広げられている。
この時間のNHKラジオ放送の、
年寄りの投稿の紹介を聞いていると随分沢山のお年寄りが、
聞いていらっしゃることが判るが、
反面、不眠の悩みを半ば諦めた年寄りの声が伝わってくる。

こんなところから、早い目覚めは、
年寄りの習性であることが良く分かる一例でもある。
家族に迷惑はかけられないと、
静かにじっと布団の中でラジオのイヤ・ホンに耳を傾ける年寄りの姿に、
哀れを感じずに居られない。

夫婦二人のときは、二人で静かに寝物語をしたであろう、
いや起きだしてお茶にしたか、
あるいは、寝酒を少しなめたかもしれない。
連れ合いをなくした年寄りが、小さくなって、
家族には内緒で、布団の中でラジオを聴くさまは、想像するに余りある。 

そんな夫婦二人の昔を、懐かしむように、
目覚めたMさんは、「助けて!父さん!」と叫ぶ。
しばらくしてまた「助けて!父さん!助けて!」と叫ぶ。

この言葉には、何の意味も無い。
ただただ、良き夫を偲び、昔を懐かしがっているだけだ。

 齢がくれば、いずれわが身に降りかかってくるが、
いつまでも助け合った昔を偲んで、夫であれ、妻であれ、
「助けて!」と名前を呼ばれるようになりたいものである。

そんなことを考えながら、
「助けて!父さん!」と叫んだMさんの大声で、
失った昨晩の睡眠を取り戻そうと、
残りの人生がバラ色でありますように、
お祈りしながら午睡のために、

目を閉じた。



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