(竹取物語)
進学校で名高い、中高一貫校の中学の授業を参観する機会を得た。
科目は国語である。午前中にこの授業を見学した。
国語は「竹取物語」の訳読といったら良いのであろうか、
古典の授業であった。ちょうど物語が始まったところで、
その一部は次の通り。
「いまはむかし、たけとりのおきなといふものありけり。
野山なるたけをとりてよろつの事につかひけり。
名をは、さるきのみやつこと《なむ》いひける。
そのたけの中に、もとひかる竹、ひとすちあり。
あやしかりてよりて見るに、つゝの中ひかりたり。
それをみれは、三すんはかりなる人、いとうつくしうてゐたり。」
この物語は日本人なら知らない人は居ないと思われるほど、
よく普及している物語で読む人にもわかり易い。
しかし、今の中学生には
(いふ)、(けり)、(よろつ)、(つかひけり)などなど、
意味が分からないかもしれない。
教師は、解らないであろう言葉を現代語に直し解説しながら、
生徒の理解を深めていく、そんな授業風景であった。
脇で見ていても、子供たちにも分かりやすく、楽しく古典に
親しめそうに思えた。
授業を見る限り、「竹取物語」を読み終われば、他の古典文学を
読んでみようという気持ちが起きそうな授業で素晴らしかった。
ボクもこんな授業なら一年間、受けてみたいと思ったほどである。
ボクが中学生のときは、方丈記、更級日記であったと思うが、
古典文学を何の苦もなく読み理解できたのは、小学校の始めに習った
国語が旧仮名遣いであったこと、祖母から来た手紙が候文であったことが理解を深めさせたように思う。
中学校で習い覚えた文章は、生涯忘れることはない。その意味から、
この時期に人生のいろんな場面を捉えた「竹取物語」は、
揺れ動く思春期の少年に人生のあり方―世の中の姿など―を教えてくれるように思う。
また、学業だけでなく、クラブ活動にも専念して、活動を通じて、世の中の仕組みや、
良いこと悪いことの判断と実行、先輩後輩の習慣、などなど身につけて、
有意義な六年間にしてもらいたいものである。
そんな勉強をしてこそ充実した学生生活といえる。
神は、その人にしか生きられない生命(いのち)を生きるために、
必要な時と必要なものを必要なだけ与えてくれていると思う。
その期待に応えて、自らの人生をしっかり歩いて行きたいものである。
進学校で名高い、中高一貫校の中学の授業を参観する機会を得た。
科目は国語である。午前中にこの授業を見学した。
国語は「竹取物語」の訳読といったら良いのであろうか、
古典の授業であった。ちょうど物語が始まったところで、
その一部は次の通り。
「いまはむかし、たけとりのおきなといふものありけり。
野山なるたけをとりてよろつの事につかひけり。
名をは、さるきのみやつこと《なむ》いひける。
そのたけの中に、もとひかる竹、ひとすちあり。
あやしかりてよりて見るに、つゝの中ひかりたり。
それをみれは、三すんはかりなる人、いとうつくしうてゐたり。」
この物語は日本人なら知らない人は居ないと思われるほど、
よく普及している物語で読む人にもわかり易い。
しかし、今の中学生には
(いふ)、(けり)、(よろつ)、(つかひけり)などなど、
意味が分からないかもしれない。
教師は、解らないであろう言葉を現代語に直し解説しながら、
生徒の理解を深めていく、そんな授業風景であった。
脇で見ていても、子供たちにも分かりやすく、楽しく古典に
親しめそうに思えた。
授業を見る限り、「竹取物語」を読み終われば、他の古典文学を
読んでみようという気持ちが起きそうな授業で素晴らしかった。
ボクもこんな授業なら一年間、受けてみたいと思ったほどである。
ボクが中学生のときは、方丈記、更級日記であったと思うが、
古典文学を何の苦もなく読み理解できたのは、小学校の始めに習った
国語が旧仮名遣いであったこと、祖母から来た手紙が候文であったことが理解を深めさせたように思う。
中学校で習い覚えた文章は、生涯忘れることはない。その意味から、
この時期に人生のいろんな場面を捉えた「竹取物語」は、
揺れ動く思春期の少年に人生のあり方―世の中の姿など―を教えてくれるように思う。
また、学業だけでなく、クラブ活動にも専念して、活動を通じて、世の中の仕組みや、
良いこと悪いことの判断と実行、先輩後輩の習慣、などなど身につけて、
有意義な六年間にしてもらいたいものである。
そんな勉強をしてこそ充実した学生生活といえる。
神は、その人にしか生きられない生命(いのち)を生きるために、
必要な時と必要なものを必要なだけ与えてくれていると思う。
その期待に応えて、自らの人生をしっかり歩いて行きたいものである。