(室の八嶋 2)
大神神社を「おおみわじんじゃ」と呼ぶが、
パソコンで「おおみわじんじゃ」を漢字変換すると
「大神神社」と出てくるのが不思議であった。
初詣と赤地に白い祖も抜きのある幟旗が立っている道路正面に鳥居が見える。
鳥居の向こうが参道になっているのが分かる。
鳥居に近づくと、左脇に「室の八嶋50m先」の看板がある。
参道は西参道であり、表参道はこの反対側にあることが分かった。
「野州大塚駅入り口」の信号にあった、(大神神社まで1.6km)の案内は、
ひょっとすると表参道への案内なのかもしれない。
ボクはおよそ1kmの所で引き返してしまったが、
そのまま道なりに進めば表参道に出たに違いない。
案内看板が間違っているはずがないと反省した。
参道には合格必勝祈願の幟り旗がはためいている。
合格祈願をするのも、進学は一生の曲がり角になるのかもしれないからだろう。
やるだけやって、後は神頼みにして、合格の時は自分の実力の所為、
不合格の時は神様の所為にして諦めるよりしょうがない。
50mほどで左側に神殿が見える。
さすが下野の延喜内社の一の宮というだけに格式が立派な風貌の神社である。
脇に大神神社について、環境庁・栃木県の案内がある。
(大神神社は、日本最古の神社である奈良県の大三輪神社の分霊を祭るため、
建立されたと伝えられている。
境内には、下野の名勝地「室の八嶋」があり、
元禄に年(1689年)松雄芭蕉はこの地を訪れ
「糸遊に結びつきたるけぶりかな」の句を残している。)と。
また、栃木県教育委員会はここ「室の八嶋」を栃木県指定文化財にしており、
その案内に、下野惣社(室の八嶋)として
(大神神社は、今から1800年前、
大和の大三輪神社の分霊を奉仕し創立されたと伝えられ、祭神は大物主命です。
総社は、平安時代、国府の長官が下野国中の神々にお参りするために
大神神社の地に神々を勧請して祀ったものです。
また、この地は、けぶりたつ「室の八嶋」と呼ばれ、
平安時代以来東国の歌枕として都まで聞こえた名所でした。
幾多の歌人によって多くの歌が、残されています。
・ 煙たつ室のやしまにあらぬ身は こがれしことぞくやしかりける 大江匡房
・いかでかはおもいありともしらすべき むろのやしまのけぶりならでは 藤原実方
・ながむれば さびしくもあるか煙たつ 室の八嶋の雪の下もえ 源 実朝
・東路の 室の八嶋の秋のいろ それともわからぬ夕けぶりかな 連歌師宗良
一部省略)とある。
つまり「室の八嶋」と「煙」は一対になって歌に詠むこと、
そして室の八嶋には国の神々が祀ってあるということをいいたかったようだ。
その後、「奥の細道」の解説書を読むと「八島」とは竈(かまど)の神を指すとのこと。
それを見て、ようやく「煙」が「室の八島」と一対になることが理解できた。
さて、神社にはボクの前に先客がいる。
うしろで御参りが終わるのを待ってボクがつづく。
小銭を取り出したら細かいお金が360円あったので、
一月七日で遅まきながら、新年の初詣でもあり全部気前良く(?)賽銭箱に入れた。
神殿の壁には古ぼけて何が書いてあるのか判別できない絵馬が架かっており、
その横には、上達するのを願ったのか木製の薙刀(練習用か?)が奉納されている。
見渡すと、境内の玉垣脇に歌碑が建っている。
・絶えず焚く 室の八嶋の煙にも なを立ち勝る 恋もするかな 摂津(源宗宇)
さらに周りには、歌碑がいくつかあるので紹介しておきたい。
・大神の みいつかかやく我がさとは 家にも身にも 幸そ多かる 志風
・暮るる夜は 衛士の焚く火をそれと見よ 室の八嶋も都ならねば 定家
神殿を背に振り返ると石で出来た鳥居があり、
これが二の鳥居であるようだ。
鳥居脇の境内には、杉の巨木が生えており、
その脇に此処が「室の八嶋」の看板がある。
「室の八嶋」は杉林の中に、水に囲まれてひっそりとあった。
池の中に八つの島があり、その一つ一つに神社が祀ってある。
そんな光景である。
筑波神社、天満宮、鹿島神社、雷電神社、浅間神社、熊野神社、
二荒神社、香取神社の八嶋明神である。
また、芭蕉の句碑も建っている。
・いと遊に 結びつきたる けふリ(煙)かな 芭蕉
芭蕉も「八島」と「煙」を詠み込んでいる。
ボクも「八島と煙」を入れて一首、残念ながら歌碑はない。
・杉木立「室の八嶋」に水めぐり 朝早ければ水蒸気(けむり)たつ見ゆ (hide-bach)