太閤秀吉が盛大な桜の宴「醍醐の花見」で有名な醍醐寺。
「醍醐寺」は今や世界遺産に。(平成6年12月)
それくらいしか予備知識はなかった。
だから桜の名所に違いないと、楽しみにしていた。
(醍醐寺の仁王門を入った所)
旅行社は、よもや吉野山→吉水神社→後醍醐天皇→醍醐寺を、
連想させる方向で計画したのかしら、と思わせる。
或いは、桜がヒントで、世界遺産に繋がる観光にしたのか・・・
いずれにしろボクには初めての訪問場所「醍醐寺」である。
醍醐寺は密教の真言宗醍醐派の総本山。
仏教寺院なのに密教と言うのはと、疑問を持ち始めたら、
これが解るまでに仏教の勉強に数年かかる。
定年後、鎌倉のシルバー・ボランティア・ガイドを目指して、
勉強を始めた。
鎌倉時代の歴史をおさらいするために、
読みはじめた本を15ページまで進んだ所で、鎌倉時代を理解するには、
仏教を知らずして前に進めなくなった。
そこで仏教を知るためには、最初に仏教を持ち込んだ偉人、
空海、最澄、二人が学んだ密教が解り難く、
庶民に分かり易くするために法然が説いた仏教の教え、
さらに解りやすくした親鸞、そして歎異抄を現わした蓮如、
こうして仏教を知る作業を続けて行くと話は延々と続いて、
西遊記に出てくる「玄奘三蔵法師」までさかのぼり、
鎌倉のガイドになることをあきらめた。
こんな話を続けていると、
醍醐寺の紹介が始まらない。
脱線してしまった。話を戻そう。
醍醐寺は、いろんな方向から眺める寺院のようであるが、
創建は貞観16年(874)と古く、その後焼失し、
天歴5年(951)に五重塔が完成し、山上山下にまたがる大伽藍が整った。
秀吉の花見の後、金堂や三宝院など伽藍が400年前に復興されたと言う。
京都に残された古い木造建築としての寺院群としてボクには興味がある。
(醍醐寺を代表する五重塔)
(醍醐三宝院門跡)
まず三宝院の前に来ると修行僧が一列になって通って行った。
その前の通路に秀吉の花見で名を成した「太閤のしだれ桜」が、
今は花も過ぎて、青葉が目に染みる。
(太閤のしだれ桜)
三宝院の門をくぐって玄関に、靴を脱いで入場料を払い中へ。
今やどこの寺院も、地獄の沙汰も金次第である。
それでも中に入ると撮影禁止は如何なることでしょうか?
三宝院の庭園には、極楽浄土の阿弥陀三尊を現わす石が置かれた場所があり、
池には500年以上と言われる五葉松が亀を表現した亀島が、
その西隣に鶴島が置かれ、こうした作庭を蓬莱池と言うが、
古来作庭には極楽浄土を現わす蓬莱池と心をかたどった心字池を中心にする、
二通りの方法があった。
話はそれるが、水戸黄門が隠居して大日本正史を編纂するために籠った西山荘には、
心字池があるが、心をかたどった池は、逆方向を向いている。
領内を漫遊した黄門様が、人の心は素直に見るのではなく、
裏側から見ることを心がけたから、と言われる。
だから西山荘に有る心字池は、裏側から見るようにできている。
残念ながら心字池も西山荘も写真はない。
2020年に東京オリンピックが開催されると、
沢山の外国人が押し寄せるに違いないが、
フラッシュ禁止ならともかく、カメラ禁止は外国人には解り難い。
低開発国ならいざ知らず、世界経済大国第三位の国にしてはお恥ずかしい。
(世界遺産醍醐三宝院の玄関)
(そっと撮った書院の襖画の間)
(中庭)
(修行僧が一列になって通る三宝院門前)
修行僧が進む先には、醍醐寺の西大門が見える。
その手前左側に三宝院の唐門が金色に燦然と輝いている。
これは三宝院の勅使門で、五年前に当時の姿に復元された。
門全体が黒で、菊と桐の四つの大きな紋は金箔が施されていると言う。
慶長四年(1599)三間一戸の平唐門として建立されたもの。
菊は勅使が通るから、桐の紋は太閤秀吉が通るから、
中央に画かれているのでしょうか。
(菊と桐の勅使門)
勅使門の前を通り、真っ直ぐ進むと西大門がある。
ここには二体の仁王が睨んでいるが、
長承3年(1134)仏師勢増・仁増の二仏師が造ったものと言われ、
またの名を「仁王門」と言われる。
(西大門)
(西大門の仁王門)
(睨みつけてる仁王様)
仁王門を入ると、桜は終わったのに「桜まつり」のぼんぼりと紅白の幕が長く伸びて、
祭りの名残がある。
その先の左手に、世界遺産の金堂があり、ここに安置される薬師如来座像が醍醐寺の本尊になる。
右手に五重塔があるが、これについては前述した。。
(桜まつりのぼんぼり)
(金堂)
(五重塔)
さらに進むと不動堂があり、お堂の前には、
舟形光背をつけた不動明王が大きな目で睨みつけている。
その先に、苔むしたと言おうか、古びた門があり、
ここを通り抜けると左手に観音堂が見える。
西国三十三番観音霊場の第十一番札所、上醍醐准胝堂の遙拝所として、
准胝観音菩薩が祀られている。
(不動堂と不動明王)
(古く苔むした中門)
(観音堂)
「醍醐寺」は今や世界遺産に。(平成6年12月)
それくらいしか予備知識はなかった。
だから桜の名所に違いないと、楽しみにしていた。
(醍醐寺の仁王門を入った所)
旅行社は、よもや吉野山→吉水神社→後醍醐天皇→醍醐寺を、
連想させる方向で計画したのかしら、と思わせる。
或いは、桜がヒントで、世界遺産に繋がる観光にしたのか・・・
いずれにしろボクには初めての訪問場所「醍醐寺」である。
醍醐寺は密教の真言宗醍醐派の総本山。
仏教寺院なのに密教と言うのはと、疑問を持ち始めたら、
これが解るまでに仏教の勉強に数年かかる。
定年後、鎌倉のシルバー・ボランティア・ガイドを目指して、
勉強を始めた。
鎌倉時代の歴史をおさらいするために、
読みはじめた本を15ページまで進んだ所で、鎌倉時代を理解するには、
仏教を知らずして前に進めなくなった。
そこで仏教を知るためには、最初に仏教を持ち込んだ偉人、
空海、最澄、二人が学んだ密教が解り難く、
庶民に分かり易くするために法然が説いた仏教の教え、
さらに解りやすくした親鸞、そして歎異抄を現わした蓮如、
こうして仏教を知る作業を続けて行くと話は延々と続いて、
西遊記に出てくる「玄奘三蔵法師」までさかのぼり、
鎌倉のガイドになることをあきらめた。
こんな話を続けていると、
醍醐寺の紹介が始まらない。
脱線してしまった。話を戻そう。
醍醐寺は、いろんな方向から眺める寺院のようであるが、
創建は貞観16年(874)と古く、その後焼失し、
天歴5年(951)に五重塔が完成し、山上山下にまたがる大伽藍が整った。
秀吉の花見の後、金堂や三宝院など伽藍が400年前に復興されたと言う。
京都に残された古い木造建築としての寺院群としてボクには興味がある。
(醍醐寺を代表する五重塔)
(醍醐三宝院門跡)
まず三宝院の前に来ると修行僧が一列になって通って行った。
その前の通路に秀吉の花見で名を成した「太閤のしだれ桜」が、
今は花も過ぎて、青葉が目に染みる。
(太閤のしだれ桜)
三宝院の門をくぐって玄関に、靴を脱いで入場料を払い中へ。
今やどこの寺院も、地獄の沙汰も金次第である。
それでも中に入ると撮影禁止は如何なることでしょうか?
三宝院の庭園には、極楽浄土の阿弥陀三尊を現わす石が置かれた場所があり、
池には500年以上と言われる五葉松が亀を表現した亀島が、
その西隣に鶴島が置かれ、こうした作庭を蓬莱池と言うが、
古来作庭には極楽浄土を現わす蓬莱池と心をかたどった心字池を中心にする、
二通りの方法があった。
話はそれるが、水戸黄門が隠居して大日本正史を編纂するために籠った西山荘には、
心字池があるが、心をかたどった池は、逆方向を向いている。
領内を漫遊した黄門様が、人の心は素直に見るのではなく、
裏側から見ることを心がけたから、と言われる。
だから西山荘に有る心字池は、裏側から見るようにできている。
残念ながら心字池も西山荘も写真はない。
2020年に東京オリンピックが開催されると、
沢山の外国人が押し寄せるに違いないが、
フラッシュ禁止ならともかく、カメラ禁止は外国人には解り難い。
低開発国ならいざ知らず、世界経済大国第三位の国にしてはお恥ずかしい。
(世界遺産醍醐三宝院の玄関)
(そっと撮った書院の襖画の間)
(中庭)
(修行僧が一列になって通る三宝院門前)
修行僧が進む先には、醍醐寺の西大門が見える。
その手前左側に三宝院の唐門が金色に燦然と輝いている。
これは三宝院の勅使門で、五年前に当時の姿に復元された。
門全体が黒で、菊と桐の四つの大きな紋は金箔が施されていると言う。
慶長四年(1599)三間一戸の平唐門として建立されたもの。
菊は勅使が通るから、桐の紋は太閤秀吉が通るから、
中央に画かれているのでしょうか。
(菊と桐の勅使門)
勅使門の前を通り、真っ直ぐ進むと西大門がある。
ここには二体の仁王が睨んでいるが、
長承3年(1134)仏師勢増・仁増の二仏師が造ったものと言われ、
またの名を「仁王門」と言われる。
(西大門)
(西大門の仁王門)
(睨みつけてる仁王様)
仁王門を入ると、桜は終わったのに「桜まつり」のぼんぼりと紅白の幕が長く伸びて、
祭りの名残がある。
その先の左手に、世界遺産の金堂があり、ここに安置される薬師如来座像が醍醐寺の本尊になる。
右手に五重塔があるが、これについては前述した。。
(桜まつりのぼんぼり)
(金堂)
(五重塔)
さらに進むと不動堂があり、お堂の前には、
舟形光背をつけた不動明王が大きな目で睨みつけている。
その先に、苔むしたと言おうか、古びた門があり、
ここを通り抜けると左手に観音堂が見える。
西国三十三番観音霊場の第十一番札所、上醍醐准胝堂の遙拝所として、
准胝観音菩薩が祀られている。
(不動堂と不動明王)
(古く苔むした中門)
(観音堂)
「 たった一度の人生!
楽しんで終わりたいものです!」 hide-san
楽しんで終わりたいものです!」 hide-san