聖路加病院の院長だった日野原重明さんが105歳で亡くなった。
大往生である。
世間を騒がせたよど号ハイジャック事件のよど号に乗り合わせ、
命拾いをした日野原さんは、
神様がこの後の命をくださった、と感じたと言う。
ボクにはこんな大それた経験はない。
高校生の頃読んだ本、
ヘミングウエイの「老人と海」
これがボクの一生の生き方を教えてくれた。
あらすじはこうだ。
「年老いた漁師が、船を海に出して、何日も何日も不漁であった。
実に84日間の不漁であった。
84日と目で読んでどれだけの方が実感できるだろう。
これは二か月半に当たる。
それでも漁に出た85日目、魚がかかった。
遥か先の波間に小躍りする魚体と、糸に感じる手ごたえ。
大物だ!
躍る心を抑えて、慎重に慎重に、糸を手繰る。
自分が載っている舟より大きな獲物と格闘して、
3日3晩戦い続け、やっとの思いで手繰り寄せた獲物は大きすぎて舟の中に入らない。
やむなく舟の脇に結わえ付けて、帰りの航路につくが、
獲物が落ちないように慎重に慎重に、しかも意気揚々と舟を進める。
やがてその獲物を狙って海のギャング、サメが小舟の周りに寄ってくる。
一匹や二匹ではない。
群になって寄って来ている。
老漁師は、サメと戦って銛を打ち込むが、サメの大群はその量が半端でなく、
やがて銛もサメと一緒にどこかへ流されてしまう。
やむなく、オールを振りかぶってサメの戦うが、
多勢に無勢、釣り上げた獲物が少しずつサメに食い荒らされて行く。
僅かな時間の間に獲物は白骨化して、サメたちは雲散霧消して、
周りは静かな海に戻る。
疲れた老漁師はやがて港に戻るが、
疲れた足を引きずって、我が家に帰り、そのまま眠ってしまう。
漁師仲間は、舟と一緒にあるカジキマグロの大きさに驚き見入る。
小舟にゆわえ付けられた獲物のカジキマグロは、
その白骨を打ち寄せる波に晒したままに・・・・。」
およそこんな物語である。
ハリウッドの映画にもなり、
俳優のスペンサー・トレイシイがその老漁師を演じていた。
1960年ころの古い話だ。
【動く絵本】 老人と海 [The Old Man and the Sea]
ヘミングウエイはこの小説の中で、何を言いたかったのか、
「The Old Man and the Sea」を読んだ後で考えました。
ヘミングウエイは、
この物語の中の老人のように、人生どんなに努力をしても、
何にもならない、無駄な労力だという。
無常観を教えているだけなのだろうか。
どうせ人生何ともならないのなら、一所懸命生きることは無く、
適当に暮らせばよい。
そう考えると、毎日をだらだら過ごすことになる。
毎日をだらだら過ごしてみると、三日持たない。
そこで何かをしようとすると、目的意識が生まれて、
毎日が、いや毎時間が楽しくなる。
人生はこの時間を有効に消費することだ。
時間を有効に使うには、沢山の知識経験が必要になる。
知識は、座していては、向こうから遣って来ない。
自ら求めて、豊富な知識を駆使して、将来を予測し、
どのように対処したらよいかを考え、
その方法を生み出し過ごして行く。
その様に、毎時間をフルに有効に使った人が幸せになれる。
人は、いつの時点か解らないが、
死に物狂いになってやらねばならない時がある。
その時期を早く知った人が、早く行動に移した人が、
人生を楽しく、全う出来るのでは無いだろうか。
楽しんでこそ人生!
明日を待つのではなく、今を充実してこそ人生は楽しい。
日野原重明さんが亡くなって、
五日後に106歳になる叔母が鬼籍に入った。
台湾で育ち戦後、日本に帰り苦労した人生であったが、
晩年は、成人した子供たちに見守られて、
自宅から50mほどの老人ホームで安らかに旅立った。
ただ ただ、冥福を祈るばかりである。