(強風)
台風が日本海を縦断している間、
東京は熱帯性高気圧の中にすっぽり入り、
暑い日が続いた。
しかも強い南風に煽られ、
ほこりが家の中にまで入り込んで、
家中は埃に悩まされた。
そんな日の散歩は暑さを避けて、
日が翳り始める15時頃から出かける。
日陰を求めて歩くので、今までの散歩コース通りではなく、
道路の反対側を歩くことが多くなった。
今までは混雑を避けて歩いたのであるが、
暑さを避けるためには、止むを得ない。
商店街やスーパーマーケットの入り口側を歩く。
人はもともと「なまけもの」である。
少しでも楽をしたいのが人間である。
少しでも楽な日陰を選んで歩いている
ボクも例外ではない。
当然、買い物に来る人たちも楽をしたい。
だから、歩いてくるよりは自転車で来る人、
車で来る人が多くなる。
スーパーマーケットの近くに来た。
いつもは渋滞もしないのに、道路が渋滞をしている。
渋滞先を見ると、
スーパーマーケットの駐車場の入り口である。
スーパーマーケットの入り口付近の駐輪場は、
自転車であふれて歩道上にまで並んでいるは、
強風にあおられ、歩道上に自転車が倒れているは、
スーパーマーケットはごった返している。
一体何事かと思うが、暑さで人の出足が鈍り、
売り上げが落ちた窮余の一策で、
スーパーマーケットが打った大売出しだ。
歩道上に倒れた自転車を避けながら、
自転車は通るし、子供は通る。
ボクは反対側から来る人が途切れるのを待って、
倒れた自転車の横を通り抜けようとして思った。
これだけの人が通ることは、あらかじめ解るはずなのに、
どうしてこんなところに自転車を止めるのだろうか?
自分さえ楽なら良いと思ってのことだろうか?
すこし他の人のことを考えれば、
こんな行動はしないものなのに。
また、倒れた自転車で歩く場所さえなくなっているのに、
平気で自転車をまたいで通り抜けている人の
気持ちがわからない。
ボクはその自転車を起こして、
歩く人の邪魔にならない場所へ、
ほんの2~3メートル先に、
置いた。
自転車の駕籠から雨合羽が落ちたが、
誰も手助けをしてくれる人はいなかったので、
自転車を立てかけた後で、
拾って自転車の駕籠に入れた。
他人の為を考えて行動できる人が少なくなっているのは、
今の教育制度にあると言うが、
本当だろうか?
善いことをすることが照れくさいだけ、
なのではないのだろうか?
あるいは格好よすぎて出来ないのであろうか?
「情けは人のためならず」と言うが、
いつか自分に還(かえ)ってくることを知らないのであろう。
台風が日本海を縦断している間、
東京は熱帯性高気圧の中にすっぽり入り、
暑い日が続いた。
しかも強い南風に煽られ、
ほこりが家の中にまで入り込んで、
家中は埃に悩まされた。
そんな日の散歩は暑さを避けて、
日が翳り始める15時頃から出かける。
日陰を求めて歩くので、今までの散歩コース通りではなく、
道路の反対側を歩くことが多くなった。
今までは混雑を避けて歩いたのであるが、
暑さを避けるためには、止むを得ない。
商店街やスーパーマーケットの入り口側を歩く。
人はもともと「なまけもの」である。
少しでも楽をしたいのが人間である。
少しでも楽な日陰を選んで歩いている
ボクも例外ではない。
当然、買い物に来る人たちも楽をしたい。
だから、歩いてくるよりは自転車で来る人、
車で来る人が多くなる。
スーパーマーケットの近くに来た。
いつもは渋滞もしないのに、道路が渋滞をしている。
渋滞先を見ると、
スーパーマーケットの駐車場の入り口である。
スーパーマーケットの入り口付近の駐輪場は、
自転車であふれて歩道上にまで並んでいるは、
強風にあおられ、歩道上に自転車が倒れているは、
スーパーマーケットはごった返している。
一体何事かと思うが、暑さで人の出足が鈍り、
売り上げが落ちた窮余の一策で、
スーパーマーケットが打った大売出しだ。
歩道上に倒れた自転車を避けながら、
自転車は通るし、子供は通る。
ボクは反対側から来る人が途切れるのを待って、
倒れた自転車の横を通り抜けようとして思った。
これだけの人が通ることは、あらかじめ解るはずなのに、
どうしてこんなところに自転車を止めるのだろうか?
自分さえ楽なら良いと思ってのことだろうか?
すこし他の人のことを考えれば、
こんな行動はしないものなのに。
また、倒れた自転車で歩く場所さえなくなっているのに、
平気で自転車をまたいで通り抜けている人の
気持ちがわからない。
ボクはその自転車を起こして、
歩く人の邪魔にならない場所へ、
ほんの2~3メートル先に、
置いた。
自転車の駕籠から雨合羽が落ちたが、
誰も手助けをしてくれる人はいなかったので、
自転車を立てかけた後で、
拾って自転車の駕籠に入れた。
他人の為を考えて行動できる人が少なくなっているのは、
今の教育制度にあると言うが、
本当だろうか?
善いことをすることが照れくさいだけ、
なのではないのだろうか?
あるいは格好よすぎて出来ないのであろうか?
「情けは人のためならず」と言うが、
いつか自分に還(かえ)ってくることを知らないのであろう。