松陰神社と聞くとすぐ思い出すのが、萩にある松下村塾。
それと伝馬町にある十思公園の吉田松陰の供養塔。
松陰はここで処刑された。
(十思公園)

(十思公園にある松陰終焉の地碑)
埋葬されたのは、世田谷区にある松陰神社で、ここにお墓がある。
独身時代に住んでいた玉電(東急世田谷線)の「松陰神社」駅から、商店街を抜けて数分の所にある。
(商店街)

(松陰神社)
その昔の印象では鬱蒼とした暗い森の中にあった「松陰神社」も、
今ではとても明るい神社になり変貌している。
昨年一年間NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」で、
吉田松陰の妹を主役にドラマは進んだが、
兄の吉田松陰についても処刑されるまでが描かれていたので、
松陰については述べるまでもないが、
松陰神社について案内説明板があるので掲載しておきたい。
(松陰神社の案内説明板)

(松陰神社)
この説明板によれば、世田谷区若林のこの地区は、
当時長州藩の所領であったので高杉晋作や伊藤博文らによって、
この地に松陰は改葬されたと言う。
その証拠として毛利藩主や高杉晋作、伊藤博文、
松陰を尊崇した乃木希典らの灯篭が寄進されている。
鳥居をくぐったところに手水舎があり、
水屋の奥に「松陰神社道」の石標が建っている。
(「松陰神社道」の石標)
これは旧大山道(現在の世田谷通り)から松陰神社までの案内標識であったが、
世田谷通り拡幅によりこの場に移されたものであるが、
これは明治45年乃木希典によって寄進された道標と言われる。
その真向かいに真新しい「吉田松陰先生像」が端正な姿の坐像がある。
松陰像は、この神社には二体あって、同じ坐像である。
写真のない時代の人であり、残された掛け軸の画像から造られたものと思われる。
(吉田松陰坐像)

(もう一つの松陰像)
正面に神社の社殿が有るが、手前両側に石灯篭があり、寄進者は
「従二位勲四等公爵毛利元昭」と刻まれている。
(社殿と石灯篭)

(石灯篭に刻まれた毛利元昭の文字)
神社の右横には、萩の松下村塾を模した建物が建てられている。
萩まで行く暇のない方には、ここの建物が瓜二つに出来ているので、
見学されるのをお勧めします。
(松下村塾の建物の模様、部屋が空けてあるのは土日祝日のみ)
神社を背に帰る参道の左右にずらりと石灯篭が並んでいる。
こそ石灯篭を見ながら右に行くとつき当たりが、
吉田松陰先生のお墓になる。
(参道から左右に分かれる石灯篭、左へ並ぶ石灯篭)

(反対側から見た石灯篭)
一番手前が山形有朋寄贈分で三番めが乃木希典寄贈分の石灯篭。
(手前の山形有朋喜蔵の灯篭)

(乃木希典と読めますでしょうか)

(右に並ぶ石灯篭)
右側の石灯篭の前の道を進むと石の鳥居があり、正面にお墓は見える。
(石の鳥居)

(正面のお墓)

(吉田松陰先生の墓(中央)

(徳川家奉納の灯篭)
神社を出て、東急世田谷線「松陰神社」駅に向かう商店街。
道路の真ん中にある線は排水溝。
(商店街2)
以上豪徳寺から松陰神社まで、入院中の友人に見せた写真の数々。
彼は大そう懐かしんでいたが、本当に慰めになったのか、知る由もない。
回復を祈るばかりである。