(増上寺の徳川家霊廟)
増上寺の本堂の右脇を行くと突き当たりに徳川将軍家霊廟がある。
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(鋳抜門)
入り口には、古くいかめしい鋳抜門(いぬきもん)があり、
扉には、葵の紋所が五個ずつ並び、
両側に昇り龍 降り龍が鋳抜かれ、
その荘厳さは、日光の東照宮と並び評された往時の姿を今に留めています。
・鋳抜門(旧国宝)ーもと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』であったものです。
左右の扉に五個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている(青銅製)ところから鋳抜門と呼ばれる。
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(鋳抜門の内側)(この門は徳川将軍家六代将軍家宣公の宝塔前の「中門」
にあったものが移築された。)(増上寺)
この門の脇にある通用門を通って、私たちは徳川家霊廟へ入場する。
(2011年11月末まで公開。入場料500円)
(徳川家墓所は先の戦災の被害でそれぞれの中門や宝塔は消失している。
それぞれの宝塔(お墓)の前には「二天門」とか「惣門」があり、
その内側にさらに「勅額門」があり、この内側に宝塔(お墓)があった。)
(増上寺の戦災以前の図による)
徳川家霊廟の門の中には八基の宝塔があり、
右側に十二代 家慶公、九代 家重公、七代 家継公の三基が並ぶ。
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(十二代 家慶公)
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(九代 家重公)
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(七代 家継公)
左側に将軍生母側室等の合祀塔、静観院和宮、十四代 家茂公の三基が並ぶ。
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(合祀塔)
(合祀塔は、家光公第三子綱重、
五代綱吉公生母桂昌院、
11代家斉公正室広大院、
家宣公側室月光院ら、
南北御霊屋に祭られていた歴代将軍の夫人や子女の多数が祭られている。
なお、宝塔は月光院輝子の墳墓に祀られた宝塔である。)(増上寺)
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(静観院和宮―皇女和宮)(青銅製)
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(十四代 家茂公)
(十四代 家茂公―皇女和宮の夫)
奥の正面に二基の宝塔があり、
向って左が六代 家宣公夫妻、
向って右側が二代 秀忠公夫妻、
つまり正室「お江」のお墓である。
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(六代 家宣公夫妻)(青銅製)
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(二代 秀忠公(江の夫)、崇源院殿「お江の方」)
(増上寺の説明では、本来一人づつ別々のお墓があったが、
秀忠公宝塔は焼失のため、正室江与殿のものを使用している。)
増上寺の本堂の右脇を行くと突き当たりに徳川将軍家霊廟がある。

入り口には、古くいかめしい鋳抜門(いぬきもん)があり、
扉には、葵の紋所が五個ずつ並び、
両側に昇り龍 降り龍が鋳抜かれ、
その荘厳さは、日光の東照宮と並び評された往時の姿を今に留めています。
・鋳抜門(旧国宝)ーもと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』であったものです。
左右の扉に五個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている(青銅製)ところから鋳抜門と呼ばれる。

にあったものが移築された。)(増上寺)
この門の脇にある通用門を通って、私たちは徳川家霊廟へ入場する。
(2011年11月末まで公開。入場料500円)
(徳川家墓所は先の戦災の被害でそれぞれの中門や宝塔は消失している。
それぞれの宝塔(お墓)の前には「二天門」とか「惣門」があり、
その内側にさらに「勅額門」があり、この内側に宝塔(お墓)があった。)
(増上寺の戦災以前の図による)
徳川家霊廟の門の中には八基の宝塔があり、
右側に十二代 家慶公、九代 家重公、七代 家継公の三基が並ぶ。



左側に将軍生母側室等の合祀塔、静観院和宮、十四代 家茂公の三基が並ぶ。

(合祀塔は、家光公第三子綱重、
五代綱吉公生母桂昌院、
11代家斉公正室広大院、
家宣公側室月光院ら、
南北御霊屋に祭られていた歴代将軍の夫人や子女の多数が祭られている。
なお、宝塔は月光院輝子の墳墓に祀られた宝塔である。)(増上寺)


(十四代 家茂公―皇女和宮の夫)
奥の正面に二基の宝塔があり、
向って左が六代 家宣公夫妻、
向って右側が二代 秀忠公夫妻、
つまり正室「お江」のお墓である。


(増上寺の説明では、本来一人づつ別々のお墓があったが、
秀忠公宝塔は焼失のため、正室江与殿のものを使用している。)