楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

ぐるっと板橋スタンプラリー

2025年01月30日 04時43分18秒 | ひとり歩き旅
このスタンプラリー全部で17か所も歩き廻らないと完成しない。
全部終わった所で、コンプリート賞を先着250名に、
賞品:いたばしPAY300ポイントとSDGsボールペン、が頂ける。

(板橋LINEスタンプラリーのチラシ)


スタンプの場所は17か所あって次の通り。

(17のスタンプ設置場所)

①郷土資料館(赤塚5-35-25)
(資料館にある鎧)

(遊郭の門)

②板橋美術館(赤塚5-34-27)

③赤塚植物園(赤塚5-17-14)

 
④旧粕谷家住宅(徳丸7-11-1)


⑤郷土芸能伝承館(徳丸6-29-13)


⑥こども動物園・高島平分園(高島平8-24-1徳丸ケ原公園内)


⑦熱帯環境植物館(高島平8-29-2)


館内に入ると見事な花が出迎えてくれる。

花籠の大きさは、右側の車椅子と比較して欲しい大きなものである。

(出迎えてくれる花2)

⑧リサイクルプラザ(舟渡4-16-6)


⑨浮間公園サービスセンター(舟渡2-15-1)

浮間公園サービスセンターは浮間公園管理事務所。

(浮間公園の全容/パンフレットより)

浮間公園の池の上半分が北区浮間で、下半分は板橋区舟渡で、
浮間公園の右端の道路を渡った所がJR埼京線の駅であるが、
駅自体が北区と板橋区に分かれるので、
駅名は浮間舟渡駅と言う。

(浮間公園の風車/これは板橋区側にある。)


⑩教育科学館(常盤台4-14-1)


⑪中央図書館(常盤台4-3-1)


⑫小豆沢体育館(小豆沢3-1-1)


⑬エコポリスセンター(前野町4-6-1)


⑭板五米店(仲宿40-1)


大正三年(1914年)に建設された棟札が見つかった。
古い建物のお米屋さんであった。

⑭板橋こども動物園(板橋3-50-1 東板橋公園内)


⑯植村冒険館(加賀1-10-5)

冒険家植村直己さんは北極圏単独制覇を成し遂げたが、
その帰りにクレパスに落ちて行方不明となった。
生前中に講演会に参加したが、
肩幅の広い方であった。

北極のクレパスを超えるのに大きな物干し竿を、
武士が刀を差すように両腰に2本差していけば、
克復出来るだろうと話されたが、
その時ボクの心に少し心配が残った。
そんな装備ではなかったと思われるが、
ボクの心配が現実になってしまった。

⑰いたばし観光センター(板橋3-14-15)

最後の板橋観光センターで景品がもらえる。
先着250名様と有るのに、
最終日の3日前だったが、景品をもらえたところを見ると、
250名以内だったに違いない。

スタンプラリーは昨年の2024年にも
同じ企画が有った。
昨年と今年はほぼ同じ内容で有る。

昨年と違うのは、コンプリート賞として、
次の賞品が抽選で122名様にもらえる。
と言うことは、
48.8%の確率で、
つまり凡そ半分の人たちが何かに当たると言うこと。
ボクは籤運が良くないから、まあ、外れるでしょう。

抽選で当たる賞品
①いたばしPAY3000ポイント(50組)
②いたばし花火大会次回開催ペアチケット(2組)
③農業体験ペアチケット(じゃがいも堀り)(20組)
④金沢マラソンオリジナルグッズ(10名)
⑤板橋CITYマラソン・アームポーチ(5名)
⑥板橋CITYマラソン・ウエストポーチ(10名)
⑦コロコロコイン(20名)
⑧渋沢栄一根付ストラップ(10名)
⑨美術館オリジナル一筆箋(10名)
⑩美術館オリジナル・チケットホルダー(2色の内1色)(5名)
        
  おわり!




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夜の池袋

2025年01月03日 04時18分40秒 | ひとり歩き旅

夜の池袋




流石、正月の夜は人が少ない。

家に早く帰って、家族団らんか・・・

(池袋の夜 青江三奈)  


皆さん良いお年を!!


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渋沢栄一(いたばし観光センター)ースタンプラリー(最終章)

2024年12月19日 04時19分24秒 | ひとり歩き旅
渋沢栄一は近代日本を導く男として名高い。
現在の一万円札の顔である。



北区JR京浜東北線王子駅の飛鳥山は、
渋沢栄一が61歳の時に本邸を構え、生涯を過ごした地です。
北区観光協会では「渋沢×北区 青天を衝け大河ドラマ館」の開館にあわせ、「JINSHAプロジェクト」を立ち上げました。
「JINSHA」とは、「仁者/じんしゃ=JINSHA」
渋沢栄一が好んで用いた言葉の一つ
「仁者無敵(仁なる者に敵はなし」をもとにしています。
(仁者は愛情をもって人と接するので、
これを憎む人がいない、という意味)。

10~20代の若者世代にも渋沢栄一に関心を持ってもらえるように
キャラクターは作成されており、
JR王子駅南口改札前および飛鳥山公園内に
フォトスポットとして活用できるよう、
壁面装飾がされています。

(東京都北区のキャラクター)

渋谷栄一の渋沢記念館(飛鳥山公園内)の入場券/入場料おとな300円。


(記念館入り口の柴沢栄一像)




(飛鳥山公園内の渋沢栄一像)

(渋沢栄一邸 別館ー清水組が応接間として寄贈した家屋)

(飛鳥山公園入口北辺の橋)


スタンプラリーの五か所を歩き終わって、

(渋沢栄一の印刷のハンカチ)


上のタオル風の渋沢栄一のハンカチを頂戴したが、

使い道は?・・・・

タンスの引き出しに眠ることになった。

渋沢栄一にちなんだ場所のスタンプラリーは、
これで終わりましたが、月曜日閉館の場所が有って、
結局5日費やすことになった。

総歩行数75000歩で、一日当たり15000歩であった。

渋沢栄一は天保11年(1840)生まれ、没年91歳は昭和6年(1931)で、
昭和まで生き永らえたとは意外でした。

天保から昭和まで、元号の変遷は11回あり、
死ぬまでの元号が覚えられませんね。

天皇一代一元号になったのは、明治からで、
渋沢栄一の生涯には、元号の変遷が多くあったのは、
天変地異の事件が起きるたびに元号を変えていた。
大地震、江戸の大火、内裏の炎上、桜田門外の変、
辛酉(しんゆう)革命、などで元号が変わっていた。

「辛酉革命とは、
辛酉(かのととり)の年には異変が起こるという一種の予言説 、
この年には、元号を変えていた。」(ネットより)

ボクは昭和から平成~令和と元号は3回の変化しかありませんが・・・

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徳川慶喜(田畑文士村記念館)ー尾高平九郎(北区飛鳥山)ー渋沢栄一スタンプラリー(3)

2024年12月17日 04時47分11秒 | ひとり歩き旅
田畑文士村記念館はJR山手線田端駅北口を出たところにある。

ここには記念館の名前があらわすように、
芥川龍之介が居を構えたところで、
芥川龍之介の遺品の数々が展示されている。(入館は無料であった)

(徳川慶喜/パンフレットより)


(田端文士村記念館)

その後、室生犀星、萩原朔太など、
詩人の野口雨情、サトウハチロウも住んだという。

こうした作家の散策マップもここに置いてあるので、
興味ある方は、ぜひお訪ね頂きたい。

徳川慶喜はご存知、江戸幕府第十五代征夷大将軍であった。
一橋家の当主であり、徳川幕府最後の将軍で知られる。
江戸城を無血開城した。


次が飛鳥山お土産館。
尾高平九郎(おだか へいくろう) 幕末随一のイケメン剣士。



「尾高平九郎は渋沢栄一の義弟で、
埼玉県深谷市の農民から幕臣となる。
大政奉還後、徳川慶喜の復権を図るべく、
彰義隊に参加し、新たな振武軍を結成。
栄一がフランスパリ万博使節団の一員となった際、
見立て養子となるが、のちの飯能戦争に散った。」
(パンフレットより)

彰義隊振武軍=旧幕府軍のひとつとして、新政府軍と戦った部隊 。
この飛鳥山には渋沢栄一が生涯を過ごしたお屋敷、
庭や、接客用応接室など見どころが有ります。

次が最後の「いたばし観光センター」へ

つづく


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渋沢喜作(板橋中央図書館)ー高島秋帆(郷土資料館)ー渋沢栄一スタンプラリー(2)

2024年12月15日 04時57分00秒 | ひとり歩き旅
渋沢喜作は渋沢栄一のいとこで、
幼いころから親しかった。

(渋沢喜作/パンフレットより)

このパンフレットによれば、
「渋沢喜作は彰義隊・振武軍のリーダー、
渋沢栄一の従兄であり、幼いころから親しかった。
幕臣となり、彰義隊の隊長を務め、官軍と戦い、
飯能戦争で敗れる。
その後、栄一の推薦で大蔵省に務めた。」とある。

写真右側の赤い丸の中が渋沢喜作のスタンプ。

次が板橋区の郷土資料館。

高島秋帆(たかしましゅうはん)は板橋区徳丸が原で、
西洋の砲術練習を初めて行った。

その関係で徳丸が原を高島平と呼ぼようになった。
ここに6万世帯に及ぶ大団地が出来て、
「高島平団地」が建設された。

(高島秋帆/パンフレットより)

「徳丸が原で日本初のオランダ式の洋式砲術調練を実施し、
幕府の軍政改革に関わった。後に岡部藩で幽閉された際に、
幼少期の渋沢栄一と出会ったと言われている。」パンフレットより。

「田端文士村記念館」へ

つづく


コメント (2)
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