陸奥の国(宮城)から出羽の国(山形)に出るのには、
国境を警備する「尿前の関」の関所を通る必要があった。
「おくのほそ道」では、
「関守に怪しめられて、漸(ようよう)として関を越す。
大山をのぼって日既(すでに)暮れければ、
封人の家を見かけて舎(やどり)を求む。
三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。」
大山をのぼって日既(すでに)暮れければ、
封人の家を見かけて舎(やどり)を求む。
三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。」
と書いている。
やっと関所を越えたが、大山をのぼったら、
もう日が暮れてしまったので、
「封人(ほうじん)の家」を見かけて宿をお願いした。
三日間風雨がひどくて三日も山の中で逗留することになった。
そこで詠んだ句が、
・蚤虱 馬の尿(ばり)する 枕もと
であった。
封人の家に、蚤虱がいるほどのあばら家だったとは、思えないのだ。
なぜなら、封人の家は国境を守る役人の家の事で、
仙台領と境を接する新庄領堺田村の庄屋の家だからだ。
代々この家に住んできた有路氏の当主は、
芭蕉が訪ねて来た時は十五代目であったと言う。
そんな方の住まいに蚤虱がいるとは到底考えられない。
俳句を面白くするための芭蕉の創作であったように思われる。
(封人の家)
封人の家は、JR陸羽東線で鳴子温泉駅から新庄方面に向かって二つ目の駅。
乗ったらおよそ十五分でJR堺田駅に到着する。
発着は上下それぞれ一時間に一本しかない。
鳴子温泉駅でICカードの「Suica/スイカ」で乗ろうとしたら、
駅員さんに呼び止められて、
「どちらまでお出かけですか?」という。
「堺田駅まで」と答えると、
堺田駅にはICカードでは降りられないという。
どうやら、封人の家のある所は、
昔も今も大変辺鄙なところで、無人駅らしい。
それで切符を買って、電車で緑濃い林の中や、
トンネルの暗闇を抜けて、堺田駅に着いた。
降りたのはボクとカミさんともう一人男性の方だった。
電車はワンマン運転で、降りるときは最前列の扉から、
運転手さんに料金を払って降りる。
乗る時は、後扉からであるが、
扉の前で待っていても扉は開いてくれない。
前の方で運転手さんが、窓から首を突き出して、
「ドア横のボタンを押してくださ~い」と叫んでいる。
なるほど、ドアー横にボタンがあって「開」の文字が見える。
エレベーターのボタンに似ている。
(堺田駅の看板)
堺田駅で降りてホーム中央の階段を上って駅前広場に出る。
出た所にある看板には、堺田駅の文字の上に分水嶺とあり、
左側に太平洋、右側に日本海と書いてある。
看板を見る位置からは、見た通り水は分れて流れる。
駅はこの看板から数段降りた下にホームが有るだけだ。
その状況をよく表した無人駅の歓迎看板が堺田駅をよく表現している。
(堺田駅の歓迎看板)
看板には、
「ようこそ山峡の道へ
松尾芭蕉ゆかりの地、堺田に訪れた
旅人に心から歓迎の挨拶をおくります。」と、
堺田駅に良くお出でになりましたと、
藤沢周平の随筆集「山峡の道」の一節を載せている。
その終りの方に分水嶺の記事があるが、
それは振り返った所に、奥羽山脈の分水嶺があることを述べている。
(分水嶺の碑)
ここ堺田は奥羽山脈の峠で流れる水は、ここで左右に分かれ、
左へ流れる水は日本海へ、右に流れる水は太平洋に流れている。
それが間近に見える感動は文字で表現できない。
(注)先ほどの堺田駅の看板と分水の方角が逆になっているが、
堺田駅の看板を振り返った所に分水嶺があるので、
左右逆にそれぞれ日本海と太平洋に流れて行く。
(北から流れる水が左右に分かれている)
左へ流れる水は、最上川となり日本海へ、
右へ流れる水は、北上川となり太平洋にそそぐ。
二回も書くが、この眺めは実に感動的である。
ところで駅から北へまっすぐ道路が伸びて、周りは田んぼで、
家はすぐ左に一軒とその先の田んぼの中に一軒あるだけで、
直線道路を見ると、先の方に左右に走る道路があると見えて、
右から左へ車が一台通って行くところを見ると、
先に道路があることは解ったが、
封人の家がどこにあるか見当もつかない。
幸い目の前の家から年配のご婦人が出てきたので、
大声で呼んで、
「すみませ~ん。封人の家はどこにあるのでしょうか」と言うと、
「まっすぐ歩いていけばあるよ」と言う。
仕方なく道路を進むと、先に電車を降りた男性が、
道路の先の方を歩いている。
気を揉みながら歩いていくと、左手から馬のいななきが聞こえる。
芭蕉の俳句ではあるまいし、まさか馬のいななきが聞こえるとは、
ボクの気のせいかと思ったら、カミさんも聞こえたと言う。
田んぼの中の田舎家を目を凝らして見ると、
家の左隅に馬が頭を出している。
こんなタイミングの良い話があるものだと感心しながら進むと、
左右を走る道路に突き当り、右手を見ると、
写真で見かけた「封人の家」があるではないか。
(封人の家)
(芭蕉と曽良の木像)
入場料は250円。重要文化財になっている「旧有路家住宅」である。
入り口前には杖を持った芭蕉と、
笠をかぶった曽良と思われる木製の人形がお出迎えだ。
脇の入り口から土間に入ると左手に囲炉裏が目に入る。
土間には竈が二つ、きっと大きなお釜でご飯を炊いたことだろう。
その奥に水屋が見える。
(囲炉裏が見え竈のある土間)
右手には、馬屋があって、張り子の馬面にギョッとする。
余りにも近いからだ。
土間を抜けて水屋の横から裏手へ出る。
建物の裏側には井戸などあるかと思ったが見当たらない。
生活に水は欠かせないのに、どこから水を仕入れたのだろうか。
分水嶺の水を汲めばそれで事足りるのであるが、疑問は残った。
(土間にある馬小屋の馬)
(建物の裏側)
土間に戻って、囲炉裏のある所から上に上がらせてもらった。
そこは板の間で上に茣蓙が敷いてあり、
食事などはこの囲炉裏を囲んでしたのであろう。
囲炉裏の脇に「ござしき」の案内説明板がある。
板の間に茣蓙が敷いてあるから「ござしき」、
つまり茣蓙敷きの板の間と「御座敷」とをしゃれたのだろうか。
(ござしき)
この「ござしき」の奥が「なかざしき/中座敷」で、
その奥が「いりのざしき/入りの座敷」となっている。
ここは左側が玄関から直ぐの座敷になった居るところから付けられた名であろう。
(「なかざしき」と奥の「いりのざしき」)
(いりのざしき)
入りの座敷の右奥に床の間がある。
芭蕉と曽良はこの部屋に寝泊りしたのであろうか?
それにしては「馬が尿(ばり)する」俳句を作るのには、
馬が尿をする音が聞こえそうもないと思えるのだが・・・。
それとも遠くの物音が聞こえるほど周りが静かだったのだろうか。
あるいは昼間、馬が用を足す所をたまたま見て、
俳句に仕立てたのであろうか。
(床の間)
見学を終えて外へ出る。
芭蕉の句碑がどこかにある筈と見渡すと、建物の左端、
「いりのざしき」の前にその句碑はあった。
(芭蕉句碑)
(読めますでしょうか)
・蚤虱 馬が尿する 枕もと 芭蕉翁
さて、封人の家を出ると道路向かい側に旅人のお休所「芭蕉茶屋」がある。
封人の家を訪ねる旅行客がそれなりに多いのであろう。
この時は、修理が必要なのか工事にかかわる人達が額を集めて相談中であった。
(芭蕉茶屋)