久しぶりの好天に見舞われた8/25。
空は快晴の青にモクモクと入道雲が出ていた。
こんな入道雲を見るのは久しぶりで、遠く昔の8/15を思い出した。
(入道雲)
この時ボクは、岐阜県の今は関市になっている南武芸村に疎開していた。
「今日は2時に帰って来いよ」と叔父さんに言われていたので、
トンボ採りを諦めて、家に帰った。
昭和20年8月15日の事だ。
その帰り道、田んぼのあぜ道で仰いだ空の色と入道雲を思い出す。
それが昨日の青い空の色と入道雲とそっくりだった。
どんなことが有るのか知らずに帰ると、
オジサンはじめ大人たちが真面目くさった顔をして、
座敷のラジオの前に座っていた。
その時叔父さんはどんな立場だったか知らないが、
出征兵士があると、前夜は必ず叔父さんの家の座敷で、
箱膳の前で、出征兵士にお酒を飲まして送っていた。
もちろん出征兵士の親御さんも同席されていた。
いつも最後は家宝(?)の「関の孫六」の日本刀をすらりと抜いて、
見せていたことを思い出す。
こんな事をふすまの隙間から盗み見していた。
叔父さんは、礼儀のうるさい人で、
朝起きて、叔父さんに会うと、畳に正座して両手をついて、
「おはようございます」を言わなければならなかった。
叔父さんだけではない、自分より目上の人には、
全員にそうしなければならなかった。
ご飯を食べるときは、「いただきます、ごちそうさまでした」は当然、
食事の途中に、必ず「おいしいですね」と言わなければならなかった。
これは食事を用意してくれた人への感謝を表すと教えられた。
ことほど左様に、箸の持ち方から、取り上げ方、お吸い物の吸い方、
ご飯の食べ方、音を立てずに食べる、口いっぱいに物を入れない、
ご飯の御代わりは二杯まで、などなど。
しかし成人してから、ずいぶん役に立ったが、
この時は、緊張していてご飯も喉を通らなかったくらいだ。
空は快晴の青にモクモクと入道雲が出ていた。
こんな入道雲を見るのは久しぶりで、遠く昔の8/15を思い出した。
(入道雲)
この時ボクは、岐阜県の今は関市になっている南武芸村に疎開していた。
「今日は2時に帰って来いよ」と叔父さんに言われていたので、
トンボ採りを諦めて、家に帰った。
昭和20年8月15日の事だ。
その帰り道、田んぼのあぜ道で仰いだ空の色と入道雲を思い出す。
それが昨日の青い空の色と入道雲とそっくりだった。
どんなことが有るのか知らずに帰ると、
オジサンはじめ大人たちが真面目くさった顔をして、
座敷のラジオの前に座っていた。
その時叔父さんはどんな立場だったか知らないが、
出征兵士があると、前夜は必ず叔父さんの家の座敷で、
箱膳の前で、出征兵士にお酒を飲まして送っていた。
もちろん出征兵士の親御さんも同席されていた。
いつも最後は家宝(?)の「関の孫六」の日本刀をすらりと抜いて、
見せていたことを思い出す。
こんな事をふすまの隙間から盗み見していた。
叔父さんは、礼儀のうるさい人で、
朝起きて、叔父さんに会うと、畳に正座して両手をついて、
「おはようございます」を言わなければならなかった。
叔父さんだけではない、自分より目上の人には、
全員にそうしなければならなかった。
ご飯を食べるときは、「いただきます、ごちそうさまでした」は当然、
食事の途中に、必ず「おいしいですね」と言わなければならなかった。
これは食事を用意してくれた人への感謝を表すと教えられた。
ことほど左様に、箸の持ち方から、取り上げ方、お吸い物の吸い方、
ご飯の食べ方、音を立てずに食べる、口いっぱいに物を入れない、
ご飯の御代わりは二杯まで、などなど。
しかし成人してから、ずいぶん役に立ったが、
この時は、緊張していてご飯も喉を通らなかったくらいだ。