年が明けて、暖かい日が続き、
日課の散歩も快適に過ごせる毎日だ。
こんな緩んだ気持ちが続くと、とんでもないことが起きる。
あと五十メートルも歩けば家に帰ると思っていたら、
先方からトラックが結構なスピードで走って来る。
走りやすいように、
2メートルほど先にある右側の歩道に入ってあげよう、
そう思って少し速足で、右側の歩道に足を入れた途端に、
躓いて転んだ。
トラックが止まり、
運転手と助手?の二人が駆け寄って、
「大丈夫ですか?救急車呼びましょうか?」
「いや大丈夫、ありがとう」と礼を言いながら立ち上がると、
「頭打ったのでは?顔から血が出ていますよ。」
右頬にて手を当たると血が付いた、同時に痛みを感じた。
「顔は打ったが、頭は大丈夫」と答え、
転んだ時に落とした帽子をかぶった。
「お手数を掛けました、ありがとう御座いました」と
礼を言って別れ、家に帰った。
毎年のように転んでいるので、
日頃から転んだ時のためにと厚手の手袋をしている。
家に帰って鏡をのぞくと、
右目の下の頬から血が出ている。
頬を消毒して、打撲用の軟膏を傷口に塗って取り合えず安堵。
安心したその途端、
右手の薬指の甲側が痛いのに気が付いた。
手を見ると、薬指の第二関節から下の指の付け根まで黒く内出血している。
転んだ時に手を突いたようだ。
厚い手袋をしていたから、
こんな程度で済んだと自分の用意周到さに一人にんまり。
85歳をづぎてから、
ここのところ、毎年のように転んでいる。
今年はまだ始まったばかりであるが、
転ぶのはこれで通算四回目である。
毎年、転んでいたのに、
昨年は転ばなかったと、喜んでいたのに・・・
話し戻して、
今度は、咳をすると、右胸が痛い、
どうやら転んだ拍子に右胸の筋肉にも力が掛かったようだ。
その日は早々と寝ることにしたが、
両方の二の腕の筋肉が痛いのに気づいた。
右手は分かるが左手が痛いのは腑に落ちない。
翌朝、顔を洗って、掌を見たら、
左の手の平の親指の付け根の所に、
内出血の後が有ることに気づいた。
やはり、転んだ時に右手だけでなく、
左手にも力が入って体を支えたに違いない。
そのお陰で顔の打撲も最小限に済んだのであろう。
満89歳になって二日目のことであった。
そこで思い出したのが、一休禅師の狂歌、
・門松や 冥途の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし
正月には、門前に門松を置いたものであるが、
この門松、最近は見つけるのが難しくなった。
(散歩の公園のふるさと農家の門松)
一休禅師が詠んだ狂歌の意味が、
毎年転ぶと言う事件で理解することが出るようになった。
ゴンドラの唄/東京混声合唱団
これは映画「生きる」の中で、
病で残り幾ばくも無い命を思い、
老サラリーマンが一人ブランコに揺られながら、
口ずさんだ歌だ。
歌を聴いていると、
♪明日の月日は無いものを・・・♪
このボクも一歩一歩、
冥途の旅路に近づいているのであろう・・・
死出の旅路の一口は、次回転ぶときなのだろうか?
そうだとすれば後一年以内のことだが・・・
卒寿を迎える前に逝くのだろうか?
いえいえ、ここまで来たのだから卒寿は迎えたいものだ・・・
もう少し、落ち着いたときに考えよう!!
ブログも24年目になって居る。
もう終わりでも良い時期だし・・・