平成18年10月24日。一年に一度、勝部先生お会いして何所かで一泊することが10年程続いたのですが、平成18年は 真ん中ぐらいの年だったと思います。
白峰の山和荘に 泊って、先生はお酒を少し飲まれ、五所が原の我が家へ初めて来られた時のこととか、海軍航空隊で台南におられた時のことなど、お話をして下さいました。
昭和30年、未だ北陸トンネルが出来る前の事で 福井駅で仮眠をとって朝一番の京福電車で勝山まで来て、後はバスが谷まで来ればいいが、北六呂師までだったり、時には杉山口までだったりで そこから スキーやリュックを背負って雪道を五所ケ原の我が家まで 歩いて来た事などをよく話されました。
次の日は ミゾレが降っていましたが、岩間温泉まで行って来ました。
白峰に戻り、谷トンネルを越えて、東山いこいの森へと 登って来ましたが、上のトイレの所で 通行止めのバリケードがしてありました。
私は、どけて登ろうとしましたが、先生は やめておこうといわれるので、登らずに帰りました。
この時 東山いこいの森の管理をする者がいなくなったという事で、それなら私がやると決意しました。
それまでは 谷の村で管理人や掃除、草刈りなどやっていたのですが、次の年からは 谷の村では出来ないという事になって、
それなら 東山いこいの森は どうなってしまうのか心配になりました。
私は、親先祖が守って来たこの谷、五所ケ原、東山を他人に任すわけにはいかないと 強く思い、勤めていた会社は 未だ定年1年前でしたが、やめさせてもらって 19年4月から 管理人をしています。
勝部先生や山和荘の社長、奥さんに助けられ、勝山では、母の同級生の田中繁康先生が私が管理人になってやっている事を喜んで下さり時々車を運転して見に来て下さっていました。今年も2回来られました。
6月に来られた時は お元気だったのに 今は 入院をされもう食べられなくなっておられます。
6月に 撮った写真を病院へ持っていったところ、御兄弟の方たちが欲しいといわれておられますので今度福井に帰った時に焼き増しをして来ます。
東山いこいの森が出来た当時、田中先生も 北谷の事として係わっておられ、村の若い集に山菜などを採って来てもらい大きな鍋でキャンプに来られた人たちにふるまったと おっしゃっておられました。
そのころは、4月1日。東山いこいの森のキャンプの予約で市役所の前に行列が出来たとも言っておられました。
もうそのような 賑わいは 有りませんが、平成18年に誓った事を守るのが 使命と 思っています。
今年はまだ ミゾレも降っていません。