先輩が面白いから読んでみてと貸してくれた
「轆轤師(ろくろし)と落人伝説」の本の中に
「猿女君氏(さるのぎみ)」というのが出て来た。
琵琶湖の和邇(わに)郡小野の郷に住んでいたとされる
小野氏は猿女君氏の伝統を負う特殊信仰の伝墦者であり
全国にその信仰をひろめた。錬金術的呪性を持った
小野一族には、小野妹子、小野道風、小野小町がいたと書かれていた。
インターハイ山岳競技の出場校に送らせてもらった資料の中に
源義経が都から落ち延びる時に通ったとされる
道に平泉寺から白山禅定道を小原峠まで行き
その後大長、鉢伏山、そして山岳競技でも使われた
取立山、こつぶりを通って、判官堂に入っている。
判官堂は義経がそこで堂を建てて暫く住んでいたので
後に判官堂と呼ぶようになったのかも知れないが
その判官堂の義経一行の世話をするのに
御所が原から「さるばな姫」が行った。と
祖母たちはよく言っていた。
私は猿の姫なんて変だと思っていたが
まんざら嘘や誇張では無い様な気がして来た。
私に残された時間は余りないが、
御所が原物語を書いてみたい思いが強くなる。
小野一族のサルバナ姫であるなら容姿も端麗であった事だろう。