WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

変化を恐れない酒井俊に拍手

2006年06月17日 | 音楽

 昨夜、しばらくぶり酒井俊のライブに行って来た。酒井俊(vo)林栄一(as)坂本弘道(cello)田中信正(p) という編成だった。これのまでの酒井のLIVEとは違い、かなりFree Jazz的でアヴァンギャルドな演奏を含むものだった。林栄一のasはハスキーなトーンでインプロビゼーションを展開し(といっても、彼の演奏には歌心があった。バルネ・ウィランを想起したのは私だけだろうか)、酒井はそれに呼応して時に静かに語り、時にシャウトし、時にしっとりと歌い、そして時に奇声を発した。celloの坂本弘道は、celloという楽器をパーカッションのようにたたいたりこすったりしたかと思うと、まるでギターのようにストロークプレイを展開したり、果てには電動ヤスリを楽器の金属部分に接触させて火花を散らしたり、といったありさまだった(当然、会場は沸いた。騒然、唖然。なお曲によってはオーソドックで正統派の荘厳なcello演奏も聞かせてくれた)。もうひとりの田中信正(p) は、実直な青年だったが……。 

 酒井の話では、最近はやりたい音楽を追究してみたいと思っているとのことで、そのため「満月の夕」で獲得した客の数も減っているのだという。私自身、「満月の夕べ」が聞けなかったのは残念だったが、こういうFreeな演奏は大好きである。また、Freeとはいっても日本的Freeというか、楽曲の世界を膨らませる意味でのFreeな表現といった印象であり、音楽至上主義的な演奏とは違うもののような気がした。(坂本弘道(cello)の演奏は音楽至上主義的でアヴァンギャルドなFree Jazzだ)

 しかし、表層的な表現のスタイルは若干変わったものの、酒井の歌唱の方向性は基本的に同じなのではないか。酒井は、明らかに演劇的な歌唱表現の方向性を目指しており、それがますます加速しているといった印象だ。そういう意味では、例えはよくないかもしれないが、「晩年」のちあきなおみの世界に近づいているような気がするのだがどうであろうか。

かつて、ジョージ・ハリスンはこういった。

「人間は変化することを恐れるが、変化することを逃れることはできない」

何はともあれ、変化することを恐れない酒井俊に拍手したい。