WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ステレオ太陽族

2011年03月06日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 304●

Southern All Stars.

Stereo Taiyo-Zoku

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 妻が電話の勧誘攻勢に負けて契約してしまったwowwowで、昨日、桑田佳祐の「MUSICMAN」という番組をやっていた。桑田氏自身やその周辺の人々へのインタビューと新アルバム「MUSICMAN」のビデオから構成された番組だった。ちょっと興味を惹かれて見たのだが、結局あまりに冗長だったので途中で視るのをやめてしまった。飲みなおしにと、書斎のこもってこの古いアルバムをしばらくぶりに聴いた。

 サザンオールスターズの1981年作品、『ステレオ太陽族』である。本当によくできたアルバムだと思う。すごいアルバムだといってもいい。いくつかのヒット曲を除けば初期のサザンしか知らない私が言うのでは説得力がなかろうが、サザンオールスターズの最高傑作と断じだい。ジャズ・ミュージシャン八木正生の全面協力によって、編曲面が大幅にパワーアップされると同時に、ジャズテイストが加味されたこのアルバムは、間違いなくサザンオールスターズの新生面を開いた作品だ。サウンド的にも、楽曲のクオリティーにおいても、音楽的に飛躍的に進歩をしていると思う。

 このアルバムを最初に聴いたのは、学生時代、友人の下宿においてだったように記憶している。テレビをもたなかったその頃の私は、友人たちと下宿を行き来し、汗と精液の染みついた万年床を中心に、足の踏み場もないほど散らかった四畳半の部屋で、安酒を飲みながら、社会や歴史や哲学や文化について不毛な議論をしたものだった。私にとってはかけがえのない日々であるが、どうどう巡りの、不毛で空虚な日々だった。その蹉跌とルサンチマンに溢れたデカダンスな空間の背後に、ある日このアルバムが流れていた。ポップでジャージーなこの作品が、ある意味では我々を袋小路から救い出してくれたのではないか、と今は思える。

 村上龍はかつてサザンオールスターズについてのエッセイで、次のように書き記した。

「歌は革命をおこせない。しかし、歌は自殺をとめる力をもっている」

 1981年……、戸外では、"明るい"80年代が動き出していた。