WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

シンディー・ローパーのカラフルなサウンド

2011年03月28日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 305●

Cyndi Lauper

She's So Unusual

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 今回の震災で私の周囲には親族や家を失った人が数多くいるが(私の親戚も一人行方不明で、二家族の家が流された)、特に子どもを失った人の哀しみは想像を絶するものであり、言い表しようもないほどだ。何しろ、その朝別れたきり、そのまま帰ってこないのだ。何の前ぶれもなくだ。私の周囲の人もそうなのだが、人間は本当に悲しい時には涙がでないようだ。表情がなくなるのだ。表情がなくなって、身体が小刻みに震える。そういう人たちに対しては、何と声をかけたらいいのかわからない。震災から2~3日は私のいた避難所ではそういう状況で、何というか、人々から表情というものがなくなり、世界から色彩が消滅したような気がしたほどだ。

 震災から何日めだっただろうか。そんな停電の夜だ。FMラジオからシンディー・ローパーの古い曲が流れてきた。何か少しだけほっとして、世界が少しずつだが色づいてゆくような気がしたものだ。しばらくぶりに音楽を聴いてみようという気持ちになった。はっきりいって、それまではとても音楽を聴くような気分にはなれなかったのだ。私は、懐中電灯の灯りをたよりに、踏み場のないほど散乱した書斎の書籍やCDの中から、古いシンディー・ローパーのカセットテープを探し出し(天の導きというべきか、かなりはやく見つかった)聴いてみた。

 シンディー・ローパーの1983年作品、『シーズ・ソー・アンユージュアル』である。非常用の小さなラジカセだったので、決していい音ではなかった。暗闇に幽かに灯るろうそくの灯りの中で、小さなボリウムで聴いたシンディー・ローパーだが、世界を薄っすらと色づけるのには十分だった。私の周りがゆっくりと色づきはじめ、心が落ち着いてくるのがわかった。人間が生きていくためには、世界に色彩が必要だと思った。今考えると、この時聴いたシンディー・ローパーのカラフルなサウンドが、震災後の私の生活の分岐点だったような気がする。