◎今日の一枚 358◎
Al Haig
Jazz Will-O-The-Wisp
楽天イーグルスが日本シリーズを制した先週の日曜日、バスケットボール女子日本代表チームが43年ぶりにアジア大会で優勝した。私はそれを見るためにわざわざフジテレビnextに加入したのであるが、楽天の優勝もあって、マスコミではほとんど取り上げられなかったようだ。今朝の「サンデー・モーニング」ではほんの少し紹介されたが、バスケットボールの注目度はまあそんなものなのだろう。
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アル・ヘイグの1954年録音、『ジャズ・ウィル・オー・ザ・ウィスプ』である。録音は決してよくないが、いい演奏だ。ゴージャスでありながら端正なタッチが印象的である。ステレオの音量を大きめにして聴いてみたのだが、昔のジャズ喫茶の雰囲気が部屋に充満してきて、なんだがとても嬉しくなってしまった。
私のCDは随分前に買った「SJ蒐集CLUB」の日本盤で、ジャケットは左側のものなのだが、そのブックレットの裏側には右側のブルーのジャケットが印刷してある。webで検索すると、現在は同じタイトルで右側のジャケットのものも売られているようだ。いったい、どっちが本物なのだ。
寺島靖国氏のライナーノーツによれば、右側のブルーの方がエソテリック原盤の「ファースト・ジャケット」と呼ばれるものであり、左側の方はカウンターポイント・レーベル発売の「セカンド・ジャケット」なのだそうだ。ただし、寺島氏は「間違っていたらごめんなさい」としつつも、日本盤イシューにおいて「ファースト・ジャケット」が使われた記憶はない、としている。
ところで、この作品には同日に録音されたピリオド原盤の『アル・ヘイグ・トリオ』という姉妹盤がある。私は、2つの異なるジャケットはこの同日録音の作品の存在に関係しているのではないかと短絡的に考えたのだが、どうも違うようである。寺島氏のライナーノーツはこれについて、
1954年3月14日にアンリ・ルノーのプロデュースでこのセッションの録音がNYで行われた。この日全部で21曲がマスターテープに収まったわけである。しかしそれらがどういう経緯で分割されたのか。つまり、エソテリックとピリオドという二つのレーベルに分断されたのか。さらに詳しく調べてゆくとピリオド以前にスイングなるレーベルがその前身として存在している。ご存知のようにスイングはフランスのレーベルであるからいったんはマスターが持ち帰られフランス発売されたのだろうか。
と疑問点を提示され、「どなたかこのへんの世界を探究、発表してくれないものだろうか」と書き記している。
ビル・クロウ(村上春樹訳)『さよならバードランド あるジャズ・ミュージシャンの回想』(新潮文庫)には、寺島氏の疑問点を解消するような、この時の録音の経緯が記されおり、とても興味深い(p252-254)。ビル・クロウはこのアルバムの録音にも参加したベーシストだ。
同書によれば、録音エンジニアのジェリー・ニューマンの仲介で、フランス人のアンリ・ルノーが制作するアル・ヘイグのアルバムのために、ミュージシャンたちが集められ、一本のマイクで全8曲すべてをワンテイクで録音したという。ところが、ジェリー・ニューマンが「どうだい、僕のレコードのためにあと8曲やってみる気はないかな? 僕の持っているエソテリック・レコードからアメリカで発売することになるけど」といい出し、アル・ヘイグたちはそれに応じてスタンダード曲を演奏したというのだ。
この話には後日談がある。ニューマンがアルバム1枚分のギャラの小切手しか送ってこなかったので、ビル・クロウが2枚目のアルバムの分のギャラはどうなったのかと聞くと、「ああ、あれはひとつぶんだよ。そのことはわかっていると思っていたんだけどな。もしセカンド・セッションの分も払わなくちゃいけないとなったら、もう一枚のアルバムの話なんて始めからなかったさ。そんな予算ないもの」と答えたという話である。
寺島氏やビル・クロウのいうことが正しいとすると、総合的には次のようになろう。すなわち、この『ジャズ・ウィル・オー・ザ・ウィスプ』は、1954年3月14日に追加で録音された方の音源であり、それはエソテリック・レーベルからリリースされた。その際のジャケットは右のブルーのものである。事実、このジャケットには"ESOTERIC RECORDS" と記されている。これがのちにカウンターポイント・レーベルから再発売され、この時に左側のジャケットに変わった。日本で発売されたものは、当初このカウンターポイント盤をモデルにしていた。
なお、姉妹盤の『アル・ヘイグ・トリオ』については、「スイング」、「ピリオド」を経て、のちに「プレスティッジ」レーベルから発売されている。ジャケットは、まったく違うもののようである。