◎今日の一枚 454◎
Pink Floyd
Wish You Were Here
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/9b/2ef5eeb83d8df92fccd1b916703e8e63.jpg)
コロナ禍である。
11月に東京の叔父がなくなったが、地元の親戚たちからとめられて葬儀にも行けなかった。学生時代、1年間下宿させてもらった、お世話になった叔父だった。昨年末に伴侶(叔母)を亡くして急速に衰え、それから1年もたたずに亡くなってしまった。
東京でSEの仕事をしている長男は、お盆にも帰省出来なかった。仕事が忙しいこともあるらしいが、年末年始も帰っては来れないようだ。私は気にしていないが、田舎の閉鎖的な空間や、祖父・祖母に感染するかもしれないことを考えているのだと思う。意外と根は優しい息子なのだ。帰省できない代わりにと、私には服を、母親と弟には靴をプレゼントとして送ってきた。いずれも高額なものである。
コロナは我々の生活を確実に変えていく。コロナ禍のマインドはおそらくは一過性のものではあるまい。コロナ終息後も、じわじわと我々の生活に根付き、影響を与えることになるような気がする。時代精神というものは、そうやって緩やかに変化していくのだ。それが、プラスのベクトルになるよう、我々は意識せねばなせない。
今日の一枚は、プログレッシブ・ロック作品である。ピンク・フロイドの1975年の作品、『Wish You Were Here』である。日本語タイトルは、『炎~あなたがここにいてほしい~』である。名盤『狂気』(→こちら)の次に発表されたアルバムである。「炎」というタイトルは、ジャケットで一方の人間が燃えているからなのだろうか。作品のコンセプトから考えてもあまり納得できるものではない。ちょっと安易な気がする。『神秘』『原子心母』『狂気』『対』など、ピンク・フロイドの作品には、漢字数文字の日本語タイトルが付されることが多かったが、その流れからだろうか。『あなたがここにいてほしい』だけで十分だったし、その方がかっこ良かったと思う。
ピンク・フロイドについては、忘れがたい記憶がある。学生時代、教育学の楠原彰先生が、「横浜浮浪者襲撃殺傷事件」(1983)の犯人の少年たちがピンク・フロイドを聴いていたという報道に対して、こんな奴らにピンク・フロイドを聴いてほしくはないと、教壇で感情的になったことである。実際、ひどい事件だった。楠原先生は、当時アパルトヘイト反対運動の先頭に立っていた人物で、社会的弱者に対していつも温かい視線をもったリベラルな教育者だった。日雇いの肉体労働者をはじめ、様々な人たちをゲストとして教壇に立たせて、興味深い授業を展開していた人気のある先生だった。そんな楠原先生が、感情的で攻撃的な言葉を発したことに、新鮮な驚きを感じたのである。
さて、『あなたがここにいてほしい』の「あなた」とは、もちろんピンク・フロイドの草創期の中心的存在だったシド・パレットのことである。感性的でサイケデリックな曲を作っていた彼は、やがて精神に変調をきたして、グループを脱退、その後音楽シーンから姿を消していった。①の「狂ったダイアモンド」とは、まさしくシド・パレットのことであるし、さらにいえば、ピンク・フロイドのすべての作品には、もはやそこにはいないシド・パレットの影が潜んでいるといっていい。ただ、彼らの作品が圧倒的に深いテーマ性をもつのは、シド・パレットとその喪失の問題をそこで終わらせず、人間の普遍的なテーマとしてとらえ返していることによるものと考えていいだろう。
ピンク・フロイドの音楽は、どのアルバムを聴いても、その高度な批評性にも関わらず、不思議な抒情性に魅了される。人間について、社会について批評するコンセプトを持ちながら、穏やかな安らぎに導いてくれる、そんなサウンドが私はたまらなく好きだ。