WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

金融緩和じゃダメなんだ

2021年09月18日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 543◎
Charlie Haden & Gonzalo Rubalcaba
Tokyo adagio
 自民党総裁選挙である。アベノミクスならぬ〇〇ノミクスなどといい、効果のない大規模金融緩和を続けようとする候補が目に付いた。いい加減、考えてもらいたい。《失われた30年》、いや失われっぱなしの日本経済じゃないか。「異次元の金融緩和」などといっても、目標のインフレ率2%にも遠く及ばない。通貨量が足りないのだ。そして、金融緩和ではもはや通貨量の増大は望めないのだ。

 金融緩和とは、「買いオペレーション」のことだ。日本銀行が民間銀行の保有する国債を買い入れて、代わりに貨幣を供給する。ところが、そのお金は準備預金として日銀当座預金に繰り入れられるのだ。

 ところが、これらの日銀当座預金は必ずしも民間への貸し出しには回らない。民間の銀行は別の原理で貸し出しをしているからだ。それが《信用創造》というものであり、いわば無から貨幣を創造して貸し出すやり方だ。たとえば、民間銀行が帳簿に100万円と記入すれば、貸し出しとしてのお金が作り出されるのだ。民間銀行が勝手にお金を作っているに等しい。つまり、金融緩和によって準備預金として当座預金に積み上げられたお金は、そのまま世の中には出回らないのだ。これはマネーサプライ(マネーストック)とはいわない。 

 ところが、自民党の連中は、マネタリーベースという言葉を使い、準備預金としての日銀当座預金を含めたお金の量が増えたと議論をすり替えている。実際には、マネタリーベースは増大しても、マネーサプライはあまり増えないという事になる。さらに、世の中に出たお金も、内部留保として企業がため込み、国民にはさっぱりいきわたらない。。したがって、賃金は上昇せず、消費需要も増大しないということになる。銀行と企業が、国民に渡るはずのお金をせき止めていることになる。

 今、必要なことは、政府が国民にお金を配ることで世の中に出回るお金の量を増やし、消費需要を増やすことだ。

 今日の一枚は、チャーリー・ヘイデン&ゴンザロ・ルバルカバの『東京アダージョ』である。2015年リリース作品だが、2005年のブルーノート東京でのライブ音源である。2014年のチャーリー・ヘイデンの他界を契機にリリースされたもののようだ。チャーリー・ヘイデンは、ピアニストやギタリストと多くのデュオ作品を残したが、その多くが佳作いや名作である。チャーリー・ヘイデンのデュオ作品はすでにそれなりに所有しているが、すべて集めたいと思うほどだ。それにしても、ゴンザロ・ルバルカバというピアニストは、なぜこんなにも美しい音色を出すことができるのだろう。その澄んだ響きは、チャーリー・ヘイデンの深く沈むベースと絶妙にマッチする。耳を澄まし、目をつぶって聴いてしまう。このライブが東京で行われたことを知るにつけ、そこに自分がいなかったことが悔やまれるほどだ。


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