WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

保立道久による「網野善彦『日本中世に何が起きたか』解説」を読んだ

2006年07月28日 | エッセイ

網野善彦『日本中世に何が起きたか』(洋泉社MC新書)は、網野さんにとってのひとつの「総括」のような作品だ。これまでの論考より一歩踏み込んだ考え方を提示しており、これまで明言してこなかったことについて述べている箇所もある。

 

しかし、保立道久による「解説」はさらに感動的だった。保立によれば、本書で提示された網野さんの「展望」は、第一に原始社会-奴隷制社会-封建農奴社会-資本主義社会というロシア・マルクス主義の世界史の4段階図式に対する否定であり、第二に「無縁」の原理の中から商品の交換そして「資本主義」が出てくるという発想の2点である。

 

第一の点については、世界史の4段階図を留保しながら一方で「無主・無縁」の原理によって歴史を捉える見方を主張していた網野さんが、大きく一歩踏み出したという点で重要である。これは、従来、「二元論」などと悪口を言われてきた点であり、私なども、なぜ網野さんが世界史の4段階図にいつまでもこだわるのか理解できなかった点である。

 

また、第二の点については、文化人類学者らによってはすでに説かれてきた事柄ではあるが、歴史家・保立道久をして「衝撃的」で、とても「網野さんの発想についていけなかった」と言わしめる事柄である。保立さんは、これまで先鋭的な網野批判を繰り返してきたが、数々の実証的・理論的研究と網野理論との格闘の末、「理論史の理解という点では、他の誰より網野さんが正解であったことを確認せざるを得なくなった」と網野さんへの「降伏」を宣言したのである(もちろん、無条件の降伏ではなく、発展的な「降伏」だ)。

 

私はここに真摯な歴史家の誠実な態度を見ないわけにはいかない。感動的な文章だ。これまで、多くの人が網野批判の文章を書いた。しかし、私には説得的な主張とは思われなかった。例えば、高名な歴史家・永原慶二さんの網野批判なども、マルクス主義という前提からの批判であり、政治的・イデオロギー的な感をぬぐいきれなかったのである。マルクス主義という枠を超えて、日本の歴史はどう理解すべきなのかという問題が、本当に学問的に誠実な態度で、真摯に論じられているようには思われず、どこか、ヒステリックな「網野たたき」のように見えて仕方なかったのだ。おそらく、こう思っていたのは、私だけではないはずである。事実、私の知人の中には、同じような感想を持っている人が少なくない。

 

その意味で、今回の保立さんの「降伏」には、真の歴史家の真摯な姿を見せつけられた思いだ。保立さんの姿勢は、私に勇気と元気をくれた。かつて、マルクス主義解釈でがんじがらめの中世史に網野さんが投じた一条の光が、若い我々に勇気と元気をくれたように……。

 

しかしそれにしても、網野さんがなくなったことは残念だ。保立さんには是非網野さんの姿勢を受け継いでもらいたい。

 


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2 コメント

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ご無沙汰しております。コメントありがとうござい... (平泉澄)
2007-04-20 05:52:44
ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。
 1970年代頃までの日本中世史は、社会経済史や土地制度史を中心としており、マルクス主義的な段階発展論でいかにそれを説明するかという「理論的な」問題がついてまわりました。もちろん、刺激的ですぐれた射程をもった研究も少なくなかったわけですが、今考えればそれらも、マルクス主義史学の中での「新しい発想」に過ぎなかったと思います。
 歴史学徒もこのような「理論的な」枠の中で格闘していたわけですが、いろいろ考えても煮詰まってしまう壁のようなものを感じ、どこか重い足かせをつけている気分になったものでした。そこにはマルクス主義的な「倫理」が介在していたのです。
 そのような中で登場した70年代末からの一連の網野さん「作品」は、若い学徒たちに本当に新鮮な衝撃をあたえたと思います。「えっ、こんなふうに考えてもいいんだ」というふうに、ぱあっと目が開かれ、暗闇に光が差し込んできたような感じでした。私自身についてしえば、例えば『日本中世の民衆像』(岩波新書)味読したときの新鮮で解放的な感覚を今でも忘れることができません。
 なおご存知のように、網野さんには多くの刺激的・感動的な論考やエッセイがありますが、私にとっては、戦後の研究史を整理した「悪党の評価をめぐって-日本中世史研究の一断面-」(『歴史学研究』362)が、涙なくしては読めない感動的な文章です。
 
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こんにちは (ましま)
2007-04-19 20:12:40
こんにちは
史学にうとい私にはよくわかりませんが、松浦党志佐家の古文書に取り組んだとき、網野さんの著作が抵抗なく吸収できた想い出があります。暇をみつけてもうすこし理解を深めたいと思います。
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