WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

板垣退助来たる!

2021年02月23日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 470◎
Gary Burton
Like Minds
 『市史』の資料編を読むのがマイブームである。学究的に詳細に読み込むわけではない。手元に置いて、暇なときにパラパラめくって眺めるのである。手軽に読める、近代の新聞記事がお勧めである。近代史の専攻ではなかったが、学生時代に近代史の演習で明治期の新聞記事を読んだ経験もあり、抵抗感はあまりまい。パラパラめくって、不明な言葉を調べる程度だ。もともと高校日本史教師なので、時代背景は大体わかる。もちろん、日本史年表や日本史辞典で調べることもある。
 先日、板垣退助が私の住む街を来訪したという記事に出会った(『東北新聞』)。明治29(1896)年のことである。同年発生した明治三陸地震津波による被害の視察に来たようだ。1896年といえば、第二次伊藤博文内閣の時代である。この内閣は日清戦争を遂行し勝利したが、戦後の三国干渉でいったん獲得した遼東半島を返還することになってしまった。その悔しさから、日本全体が「臥薪嘗胆」を合言葉にロシアへの敵愾心を強めていた時期である。伊藤博文は、軍費増強の予算案を通すために政党勢力に接近し、政党勢力もまた世論の支持を得るために軍備増強に反対しずらくなった。こうして日清戦争後、伊藤は自由党の板垣退助を内務大臣に迎えたのである。だから、『市史』にも板垣「内相」とある。
 板垣内相がこの町に着いたのは7月1日、翌2日の午前6時から各所を一通り巡視したようだ。「板垣内相には老体の事とて非常に疲労」とあるように、板垣はとても疲れていたようだ。鉄道も道路網も整備されていない時代に、三陸地方を訪れるのは大変なことだったのかもしれない。板垣は1837年生まれだから、当時59歳ということになる。当時の59歳は、結構「老体」なのだろう。
 新聞記事には、「各所を巡視されしが、一通りの視察に止まりて親しく見舞はるることはなかりき」とあり、形式的な、型通りの視察をしただけだったようだ。「唐桑村」からこっちも巡察してくれという要望があったが、帰京を急ぐとの理由で断られたことも記されている。実際、板垣は疲れていたのだと思うが、新聞記事からはもっとしっかり見舞って支援を考えてほしいという地元側の批判的なニュアンスも感じられる。板垣はその日のうちに、志津川(現南三陸町)に去りそこで一泊したが、声も出さず物音もたてずに、疲れてぐったりと横になっていたようだと新聞記事は伝えている。
 
 今日の一枚は、ゲイリー・バートンの1997年録音盤『ライク・マインズ』である。チック・コリア(p)、パット・メセニー(g)、ロイ・ヘインズ(ds)、デイブ・ホランド(b) と当時のジャズシーンのトップスター達の共演である。チック・コリアの訃報に接して(→こちら)、チックのLPやCDの整理をし、しばらくぶりに手に取った。非常に耳触りの良い、お洒落な演奏である。ヴィブラホーンの響きが心地よい。明治の新聞記事を読みながら聴くのにうってつけだ。しかし、美しいフレーズや演奏の緊密さに、時折はっとして顔を上げ、耳を傾けてしまう。パット・メセニーの名曲① Question and Answer は聴きものである。


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