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横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

戦艦大和 沈没70年 追悼式 !!

2015-04-08 07:29:01 | 社会
戦艦大和、戦没者を追悼=沈没から70年、元乗組員ら―広島(時事通信) - goo ニュース

昨日7日は旧日本海軍の戦艦大和が沈没して70年を迎えたそうです。呉市の長泊公園(旧海軍墓地)で追悼式が行われました。
戦没者の遺族や軍服を着た方が「戦艦大和戦死者之碑」に菊の花を手向け戦死者を悼んでいました。
大勢の遺族が「戦争する事は良くない」と語っていたのが印象的でした。
大和の沖縄特攻作戦には軽巡矢矧他駆逐艦8隻が護衛部隊として行を共にし軽巡矢矧と駆逐艦4隻が沈んでいます。
大和の戦没者が3000人だそうで護衛部隊の戦死者が700名ほど有ったようです。
勿論「矢矧戦死者の碑」とか駆逐艦「浜風の碑」が有るとは思えません。しかし海上自衛隊の将官が参加しているなら関連部隊の追悼も考慮しても良かったのでないかと思いました。

旧日本海軍首脳部は「大和の沖縄特攻」の失敗を機に終戦に向けての組織的努力を全く放棄し陸軍の徹底抗戦に反論することなく(死んだふりを)通しました。
その一方では海上輸送総隊「貨物船の護衛部隊」は大和特攻作戦に艦船を持っていかれ燃料を削減された中でさらに8月まで死闘が続きました。

敗戦がもう4か月早ければ「空襲や艦砲射撃そして原爆」等で死んだり「満州での棄民」による民間人の戦死も避けられたかもしれません。
旧海軍軍人は個人として優秀な方が多いのは事実ですが一国の指導部として問題のある振る舞いでした。
謹んで作戦の戦没者に哀悼の意を表します。     合掌


写真:空襲をうける大和(インターネットより)

時事通信:
旧日本海軍が建造した世界最大の戦艦「大和」が沈没して70年を迎えた7日、広島県呉市の長迫公園(旧海軍墓地)で追悼式が行われた。元乗組員や遺族、海上自衛隊の関係者らも参加し、戦死した乗組員に黙とうをささげ、「戦艦大和戦死者之碑」に花を手向けた。

 追悼式を主催した戦艦大和会会長で、元乗組員の広一志さん(91)=同市=は、「若い世代に伝承することを通じ、平和日本の繁栄と世界平和維持に貢献することが、(戦没者の)遺託に応える道と確信する」とあいさつ。式後、報道陣に対し、「初めて大和に乗ったのは17歳で、感慨深いものがある。(戦没者には)安らかに眠ってほしい」と話した。

 19歳で戦死した元乗組員の兄のため、9年ぶりに参列に訪れたという荒堀かおるさん(83)=和歌山県串本町=は、「兄は本当にかわいがってくれた」と涙ぐみ、「戦争の悲惨さ、遺族の悲しみを伝えていく責任を感じた」と話した。

 戦艦大和会は2005年ごろから会員の高齢化で活動が難しくなっていたが、昨年、市民らが集まり活動を再開。戦後70年の節目に、乗組員や遺族の思い、平和への願いを次世代に伝えていくため、追悼式を行うことになった。

 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)によると、大和は1941年に呉海軍工廠(こうしょう)で建造され、全長263メートル、最大幅38・9メートル。最大速力は27.46ノット。46センチの3連装砲塔3基を搭載した史上最大の戦艦。45年4月7日、沖縄へ向かう途中、鹿児島県沖で米艦載機の攻撃を受け沈没した。3332人の乗員のうち3056人が亡くなっている。 
(引用終わり)
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